第五話 美しい淑女


 選べるほどドレスを持っていない私でしたが、クリスチャンに誘われた食事会には何を着て行こうか悩みました。結局、落ち着いた臙脂えんじ色のよそ行き用ドレスにしました。華やかさはないものの、上品なシルエットで、私の歳相応のデザインです。仕事をもらっている仕立屋で大量に仕入れていた布の余りをかき集めて自分で縫ったものです。


 食事会の日は朝からそわそわしていました。若い人ばかりの食事会で私が疎外感を覚えることよりも、彼より歳のいった私を連れたクリスチャンが恥をかかないか心配でした。


「わざわざ私を誘わなくても良かったのに……」


 それでも彼にまた会えると思うと心が躍ります。


 娘たちには食事会に呼ばれていると言っただけでした。何となく一人で浮かれているのが気恥ずかしかったということもあります。


 出掛ける前に私が着替えている時、部屋の扉が叩かれました。


「お母さま、やはりそのドレスをお召しになるのですね」


「丁度良かったですわ。これは大晦日にお渡ししようと思っていたのですけれども、開けてみて下さい」


 クロエから渡されたその小さな箱の中には花の形をした瑪瑙めのうのブローチとお揃いの櫛が入っていました。


「まあ、綺麗……」


「お母さまに私たちからささやかな贈り物ですわ」


「二人共、そんな気遣いは無用ですのに……」


「お母さま、早くつけてみて下さい。そのドレスにもお母さまの髪にも映える色でしょう?」


 私の手が震えているのか、感涙で視界がぼやけてしまっているのか、良く分かりません。そのブローチを手に取ったものの、上手くつけられそうにありませんでした。


 そこでクロエがブローチをドレスの胸元に留め、ダフネが櫛をまとめ髪にしてくれました。


「良くお似合いですわ、お母さま」


「二人とも、ありがとう……」


 私は娘を一人ずつ抱きしめました。母親の私が苦労ばかりかけているのに、それぞれ親孝行で思いやりのある素晴らしいレディに育って、感慨深いものがありました。


「今晩は楽しんできて下さいね」


「時間は気にせずに、少々遅くなっても、もちろん嬉し恥ずかし朝帰りでも構いませんわよ」


 ダフネがそんなことを言い、私に目配せしています。私の年頃の娘は何か誤解しているようです。


「ダフネッ!」


「はいはーい、一応貴族の子女なのですから、俗語の濫用は慎みまーす!」


「ダフネったら」


 クロエも呆れています。そして私は二人にこころよく見送られ、待ち合わせ場所であるクリスチャンの事務所に向かいました。食事会はその近くの店で行われるそうでした。


 彼の仕事場には私が知る限りではクリスチャンの他に年配の男性と若い女性が働いています。待ち合わせの時間丁度に着きましたが、クリスチャンがまだ仕事をしているのなら邪魔をしたくはありませんでした。


 彼が自分の机で書類とにらめっこしているのが窓から見えました。店の前で待ち伏せするのもどうかと思われました。どうしようか逡巡していると、クリスチャンがふと顔を上げて目が合いました。私の姿を認めた途端に彼は本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべます。


 クリスチャンにそんな顔を向けられると、私は身も心もとろけてしまいそうでした。


 彼は事務所の扉を開け、私を中に招き入れてくれました。


「いらっしゃいキャロリン、今日はいつもに増してお綺麗ですね。もう終わりますからこちらに腰を掛けて待っていて下さい」


「あの、私のことはお構いなく、お忙しいのでしょう?」


「超特急で終わらせてきます」


 クリスチャンの言葉通り、私は数分待っただけでした。


「もしかして緊張されていますか、キャロリン?」


「はい。ゴティエさんのお知り合いばかりの中で私は場違いではないか、とか……」


「ご心配なく。気の合う古い友人たちですから、きっと貴女も上手く溶け込めるはずですよ。それから、特に皆の前ではクリスチャンと呼んで下さい。貴女がよそよそしいと私は悲しいです」


「そこまでおっしゃるのでしたら……クリスチャン」


 私の言葉にニッコリと笑ったクリスチャンは私に手を差し出します。


「さあマダム、お手をどうぞ」


 そして私の手を取ると彼の腕に絡めました。二人で腕を組んで現れたりしたら他の参加者の方々に誤解されるのでは、と気が気ではありません。彼は相変わらず嬉しそうです。


 食事会は総勢二十数名で、貸し切りのお店でこじんまりとしたものでした。


 クリスチャンの言う通り、皆さんほとんどが夫婦での参加で、この地区に店を構える商店主の方々が主です。


 私はクリスチャン以外に話し相手は居ないと思っていましたが、そうでもありませんでした。私と同業の女性には着ていたドレスを褒められました。料理も美味しく、とても楽しい時間を過ごすことができました。


 食事会の後はクリスチャンと特に懇意にしている数人が彼の家で飲み直すと言っていました。私はそこで帰ろうとしたのですが、クリスチャンを始め、皆に引き留められてしまいます。


「キャロリンさん、もう仕事納めだからいいじゃないの」


「まあお前がそう言う前にクリスチャンが彼女を帰すはずないだろ」


「その通りです。キャロリン、もう少しだけいいですよね」


 クリスチャンにしっかりと手を握られていては帰ろうにも帰れません。


「クリスのところは下が事務所だから夜中に皆で集まっても近所迷惑にならなくていいんだよね」


「だからってどんちゃん騒ぎはやめてくれよな、毎回言っているだろ」


 ほろ酔い加減で機嫌の良いクリスチャンは何だか可愛らしいです。


「クリスチャン、貴方のお宅に皆で押し掛けると知っていたら私何かつまむものでも用意して持って来ましたのに」


「そんな、とんでもないです、キャロリン。貴女だってお忙しいでしょうに」


「何だか二人、年の割に初々しいわよね」


「一言多いんだよ、お前は。キャロリンの前で歳のことを言うな、ってクリスチャンに怒られるぞ」


「あはは……」


 私は葡萄酒を食事の時に一杯飲んだだけでした。クリスチャンや他の皆さんはほど良く酔っていらっしゃるようです。


 初めてお邪魔するクリスチャンの住まいは無駄なものはあまり置かれていない、すっきりと片付いたお家でした。そう広くはない事務所の二階ですから、居間に全部で六人も入ると少々手狭です。


「キャロリン、お茶がいいですか、それとも葡萄酒ですか?」


「お茶を飲むのは私一人でしょうからお手伝い致します。茶葉と薬缶を出してもらえたら私自分で淹れますわ」


「それでは貴女にお任せしようかな。私は他の面々に出す葡萄酒とつまみを担当することにします」


 クリスチャンが茶器などのしまい場所を教えてくれて、二人台所に並んで皆さまにお出しするものを準備しました。娘たちとは良く一緒に料理をする私ですが、男性と二人で厨房に立つなんて初めての経験でした。


「クリスチャン、このチーズもお出しするのでしたら切りましょうか?」


「はい。昨日市場で買ったものです。お願いします」


 彼との距離がまた縮まった気がしました。




***ひとこと***

『何だかこうしていると夫婦みたいですね、キャロリン』というクリスチャンの心の声が今にも聞こえてきそうです。


そして、押し掛けてきた友人の皆さまは居間から彼らの様子をうかがっているに違いありません。


美しい淑女 ラン

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