第四話 貧しくても高潔
私の長女、クロエは学生の時から猛勉強の
その日の夕食ではダフネ一人が張り切っていて、クロエの予定を聞いていました。クリスチャンに二日後の夕方なら三人で売り家を見に行けると連絡すると言っています。
「ダフネ、それでもゴティエさんは親切で言って下さっただけなのよ。本当に見に行かなくても……それに……」
「お母さま、三人でこの調子で頑張れば来年には借金を完済できますわよ。私は卒業後すぐに希望の王宮調理師として職が見つかるとは思えませんが、それでもどこかに就職するのです。私たち三人の収入を合わせれば家の一軒や二軒くらい余裕で買えるようになりますってば」
娘二人が稼いだお金は貯金しておいて自分たちのために使って欲しいのです。ただでさえ親の私が彼女たちの結婚資金を用意できないのですから、尚更です。
それに、男の子ならともかく、女の子ですからいずれは家を出て行く可能性が大きいのです。母娘三人で一緒に暮らす生活ももうそろそろ終わるかもしれません。
「ダフネったら……」
「買う買わないはともかく、ゴティエさんにその素敵なお家を見せてもらうことは決定です。お姉さまもよろしいですわね?」
「あ、ええ、もちろんよ」
クロエは先程帰宅した時から心ここにあらずと言った感じでした。そして私たちは三者三様にそれぞれの思考に
ところが翌朝、クロエは熱を出して寝込んでしまいました。彼女は王宮の仕事も休み、二日目には熱は落ち着いたものの、まだ寝台から出られませんでした。
「お母さま、今日のゴティエさんとの約束、よろしかったらお一人でいらっしゃったらどうですか? 午後は私も学院から真っ直ぐ帰宅しますし、お姉さまの熱も峠を越えましたもの」
「そうね……ゴティエさんも折角私たちのために予定を開けて下さっているのですから」
「いってらっしゃい。お時間は気になさらずにごゆっくり」
私は約束の時間に一人でクリスチャンの事務所を訪ね、彼に事情を話しました。売り家は年が明けてから改めて案内しましょうと彼が提案してくれました。
そして何故か私は今、クリスチャンと向かい合って事務所近くの食堂で食事をしているのです。
「あの家のある通りはティユール通りと言ってその名の通り秋には
クリスチャンはあの家やその地区について色々と話してくれます。聞けば聞くほどその家に住みたい気持ちが膨らみ続けるのはしょうがないことでした。所詮は絵に描いた餅だと何度も自分に言い聞かせています。
「私、本当は娘たちにまで無駄な期待をさせたくなくて……ただでさえ経済的に苦しくて小さい頃から苦労をさせているのです。いつまで経ってもバ・ラシーヌの古くて狭い借家住まいで……あのような温かみのある、庭付きの一軒家で育ててやれなかったことを今更悔やんでもしょうがないのですが、その後悔は消えることはありません」
「貴女のような、逆境にも負けない一生懸命な女性には好感が持てます」
クリスチャンが真面目な顔で私の瞳をしっかりと見つめながら言うものだから私は思わず目を
何だか彼にとって、私は不動産屋の客以上の存在であるように勘違いしてしまいそうです。年上の女をからかってそんな気を持たせることをおっしゃるものではありませんわと、すんでのところで口走るところでした。
「そう、ですね。王都に出てきて早十年、必死で生きてきたというのは本当ですわ」
なんだか雰囲気が湿っぽくなってしまいました。
「質素で堅実な働き者としての誇りが貴女のお顔には現れていますよ。それに貴女が苦労して育てられたダフネさんも素晴らしいお嬢さんに成長されているではないですか」
クリスチャンが未だにしっかりと私の目を見ているのが感じられました。私は彼とちらりと目を合わせただけで再び
「あの、病気の娘が一人で寝ているのでそろそろ帰ります。ゴティエさん、今日は折角お時間を取っていただいたのに申し訳ありませんでした」
「そうでした。私の方こそお引止めして申し訳ありません。出ましょうか」
二人で食堂を出て、クリスチャンに頭を下げて帰宅しようとしたところ、呼び止められました。
「そうだ、年末の仕事納めの後、食事会があるのです。同業者や商業者組合の面々が集まるのですが、皆配偶者や恋人を連れてくるのです。毎年私は一人で参加するものですから少々肩身が狭くて。キャロリン、良かったら一緒に来て下さいませんか?」
「けれど部外者の私は場違いではないでしょうか?」
「そんなことはありませんよ。仕事の集まりというよりも懇親会ですから。寂しい独り者の同伴をして下さると非常に嬉しいのですが……」
クリスチャンにそう頼まれると断るわけにはいきませんでした。こんな素敵な彼なのにどうしていつまでも独り身なのか、不思議でした。同伴する女性にも不自由しないでしょう。
「まあ、そこまでおっしゃるのでしたら、私でよろしければ喜んでお供させていただきますわ」
思わずはいと言ってしまいました。年上女性としての余裕を見せたかったこともあります。
「では、お嬢さんのところへ帰ってあげて下さい。食事会、貴女と行けるのが楽しみです」
「ええ、私もですわ。失礼致します」
その後、私が帰宅すると我が家の前に馬車が一台止まっていました。もしや、と思ったところ私の予想通り、それはクロエのお見舞いに来られたテネーブルさまでした。
それにしても、彼とクロエがここまで親しい仲に発展しているとは少々驚きでした。
家に入ると、ダフネが夕食の支度をしていました。テネーブルさまは二階のクロエの部屋にまだいらっしゃるそうでした。
それでも彼はあまり長居もせず、高級な焼き菓子を持ってきて下さったのに、私の勧めるお茶も断られました。そして急に押し掛けたことを謝って帰っていかれました。
「テネーブルさまは親切な方ね。あの子にここまでして下さるなんて」
「二人を見ていると想い合っているのは確かなのに、何だかまだぎこちない感じがします」
「小さかった私の娘も恋をして大人になっていくものね。家族三人で新年を迎えられるのもあと何回もないかもしれないわ……」
「まあお母さまったら気が早いですわよ」
そのクロエも翌日には仕事に行けるまで元気になり、一安心でした。愛しい彼のお見舞いが効いたのでしょう。
***ひとこと***
前作「オ・ラシーヌ」をお読みの方にはクロエが熱を出してアレが延期になる事件も記憶に新しいことと思います。キャロリンの恋とどちらが先に成就するのでしょうか?
貧しくても高潔 セリ
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