第6話「彼の気持ち」

 私が眼鏡を外し、おさげもやめた学校の初日。


 クラスで空気のような存在の私は変わらず空気のような存在だった。

 誰も気づいてくれない。


 いや、気づいてるのかもしれないけど、誰もあえて声をかけてこないだけなのかもしれない。いじめられてないと思っていたけど、無視って最上級のいじめだと聞いたことがある。ああ、なんだか傷つくな。


 はやくもイメチェンしたことに後悔を覚えつつ、眼鏡とおさげに直そうかと本気で逡巡しながら、湊くんを見ていると、湊くんがこちらに視線をやった。

 とっさのことで顔をふせることもできず、まともに目が合う。

 湊くんは青白い顔で私を見て、目を細めている。


 視線と視線が交差する。


 私は頭が真っ白になり、まともに思考できずにいた。


 湊くんが私を見ている。湊くんが私を見ている。湊くんが私を見ている。湊くんが私を見ている。湊くんが私を見ている。湊くんが私を見ている。湊くんが私を見ている。


 壊れたレコーダーみたいに私の頭に同じ言葉がリフレインして、気持ちばかりが高まっていく。


「秋上、呼んでるけど」


 湊くんにクラスの男子から声がかかり、私は我にかえった。

 顔が熱いのがわかる、動悸がすごい。

 男子の指の指す方向には、教室のドアの前にかわいらしい女の子が一人、立っていた。


 ドクンと胸が一つ高鳴った。

 雪さんのいっていた言葉を思い出す。


 湊くんはドアに向かい、その女の子と廊下に出た。

 私は我慢できず、ばれないようにその後を追った。


 女の子は親しそうに湊くんに話しかけていた。ちょっと距離が近すぎる気がする。羨ましい。違う。離れて欲しい。

 

 会話を隠れて聞いていると、女の子と湊くんは茶道部の先輩と後輩だということが分かった。文化祭の話をしていて、喫茶店の出し物のことで盛り上がっていた。うちの茶道部は和を重んじるだけでなく、洋も取り入れていることを私は知っている。湊くんの入れるコーヒーなんかは絶品だった。きっとレパートリーも多いんだろう。


 後で知った話だけど、実家がカフェ&バーをしており、たまに手伝いをしいるらしい。その時の給仕姿を見たことがあるけど、私はあやうく湊くんの色気で昇天しそうになった。

 

 人気のない体育館裏まで移動したあと、二人は向かい合う。

 私は茂みに身を潜める。

 

 どことなく緊張していて、ちょっと頬を赤らめているその女の子はかわいらしかった。

 

 髪は色がぬけていて薄い栗色で、ふわふわと巻いている。

 

 柔らかそう……。

 

 自分のストレートで重たい髪に指をからめる。

 勝てている気はしなかった。


「……あの、先輩……」


 その後の言葉が高い秋空にすいこまれたような、沈黙が流れる。

 見ている私までものすごく、緊張が高まる。


 沈んでしまった女の子の気配が大きくなり、空気が動く。


「私、先輩のことが好きです」


 いった。

 いわれた。

 いわれてしまった。


 胸に強い痛みがはしる。


 その台詞をいった女の子に尊敬の念と強い嫉妬を私は覚えた。


 まぶしくて、尊くて、ああ、女の子だなと思えて、私がとても好きな人にそんなことをいってしまう存在に憎しみを覚えずにはいられなかった。


 けど、私の色々な感情をよそに、湊くんの反応ははやかった。


「ごめん」


 その答えは短く――


「気持ちは嬉しいけど、ごめん、応えれない」


 でも、はっきりとした答えだった。


 拒否。


 柔らかな表情でもその答えは明確な意思がこめられていたように思う。

 女の子の表情が沈み、それに耐えかねたように感情が強くはねた。


「なんでですか? 私じゃ駄目ですか? 先輩の彼女にはふさわしくないですか?」

「ふさわしくないなんてないよ。君はかわいいし、僕のまわりにも君のことかわいいっていう奴は結構いるよ、僕だってそう思う」


 顔色は青白く体調は芳しくないだろうけど、湊くんはしっかりと答える。


 そうだろうと思う。雪さんみたいにナイスバディーじゃないけど、高校生らしい小柄で均整のとれたスタイルで、なによりかわいらしい。愛らしいっていってもいい。誰かに愛される為に生まれてきたというタイプの人間がいるとするなら、彼女はまさにそれだった。


 少なくとも私よりかわいらしく、明るい雰囲気を持っていた。


「なら、なんでですか?」

「好きなんだ」


 湊くんはいう。


「――のことが好きなんだ」


 はじめの言葉が聞き取れず、よく分からなかった。


 誰? 

 誰なの?

 誰のことをいっているの?


「もういないじゃないですか!」


 女の子が叫んだ。


 そして、それで誰のことをいったのか私にも理解できた。

 それはとても切ないことで、同時に私に軽い絶望感を味あわせた。


「私じゃ、あの人の代わりにならないですか? もう死んでしまった人に気持ちをむけてばかりで、今の先輩辛そうですよ。私ならそんな顔させません。私なら――」

「終わってないんだ」


 体調が悪そうに青白い顔を手でおさえながらでも湊くんは続きをいわせなかった。


「あいつとはまだ終わってないんだ」


 言葉は強い口調ではなかったけど、それはとても重たく心をうった。

 直接いわれた女の子はもっと、打ちのめされただろう。

 女の子は手を震わせ、顔を下に向けて、なんとか言葉を捜しているようだった。


 けど、湊くんの態度は外からみても明確だった。

 体が弱っているからこそ、その気持ちの強さが伝わってくる姿だった。


 これだけは譲らないと主張しているようだった。

 隙がなかった。

 私は理解させられてしまった。


 ああ、そんなに、そんなに好きなんだ。

 たまらなくなって、私は泣きそうになる。


 私は涙がこぼれそうになって顔をふせた。

 彼女がどれだけ大事かということをみせられ、私の心は震えた。


 悲しいっていう感情がこれ程、分かりやすく自分の中に巣食うことはなかった。


「――先輩? 先輩大丈夫ですか? 先輩!」


 女の子の声に顔をあげると、湊くんが倒れていた。


 愕然とする。


 我にかえり、湊くんの側に行こうとすると、偶然、近くを通りかかった先生が湊くんを保健室に運んでいった。

 

 出鼻をくじかれた私は後をついていき、つきそっている女の子が私を見た気がしたがなにもいわなかった。今は急に現れた女子のことを気にしている場合じゃないからだろう。


 倒れた原因は体力衰弱だという。

 湊くんは本当に弱っていた。

 

 黒髪の少女の怪談。

 モデルは湊くんの彼女だ。

 怪談がうまれた経緯はこうだ。

 

 ある日、湊くんとのデートの待ち合わせに向かう湊くんの彼女は、交差路で信号無視を行った自動車と激突し、死亡した。

 それがつい一ヶ月ほど前のことだという。

 

 それから、あまり柄のよくない生徒から、夏休みということもあり、怪談話がでっちあげられたということらしい。

 

 曰く、黒髪の少女は学校に現れる。曰く、黒髪の少女を見ると、失恋する。曰く、黒髪の少女を見ても、髪の隙間を除いてはいけない。


 髪の隙間を見てはいけないというのは、湊くんの彼女の死因が脳挫傷だからだ。かなりひどく頭を打ちつけており、頭部は見られた状態ではなかったと聞いている。

湊くんは彼女を失って、そのショックの中、この怪談話にさらされていた。


 自分にとってかけがえのない人の死を面白可笑しく騒がれるのはどれ程、辛いことなんだろう。それでも湊くんは毅然として、学校に来ていた。そんなゴシップに負けないよう、屈しないように。ここで自分がおれてしまったら、この怪談がもっと嫌なものになってしまうのを分かっていたのかもしれない。

 

 でも精神は磨り減り、体力は奪われ、湊くんはとうとう倒れてしまった。


 保健室のベットで浅い息をつく湊くんを見ていると、なにかしてあげなくてはと思う。私は湊くんの彼女ではないけれど、なにかしてあげたいと心から思う。


 でもそんな湊くんに私は一体なにができるんだろうか?

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