第5話「恋がうまれた日」

 私の湊くんに対する想いが生まれた日。


 その日は、クラスの日直で相方の男子は相手が私ということもあってか、早々にさぼっていた。残された私は一人、夕焼けに染まる教室で、黒板の清掃を行っている。白いチョークの粉がぱらぱらと落ちてくるのが鬱陶しい。


 普段、人がいるところでただ一人いるというせいか、私の心はささくれだっていた。私はこれから成長して、大人になっても誰かの仕事を押しつけられて、まわりが先に行く中、一人やりたくもない作業を続けるんだろうか、と。暗い思考に囚われていた。


 中学の時の親しい友達と別れて、ただ一人この高校での生活にストレスのピークにさしかかった時期でもあった。

 黒板の作業を中断してしまい、目じりから透明なものがあふれそうになった時。


 彼が現れた。

 教室のドアがガラッと開き、湊くんが中に入ってきたのだ。

 どうやら忘れ物をしたようで、自分の机に一直線に向かって歩いていく。

 私は顔をふせ、分からないように制服の袖で目をこすった。


 今は夕焼けで、目が赤いのだってきっとばれてない、大丈夫。

 私はなにも声を出さず、湊くんのほうを見ずに、もくもくと黒板を消していた。

 すぐにガラッとした音がして、ドアが閉まる。


 私はほっ、として黒板消しを置こうとして――


「手伝うよ」


 声をかけられた。


「上の方、届かないでしょう?」


 私は何故、その時、湊くんが声をかけてくれたのかいまだに分からない。

 ただの親切心なのか、それとも私が泣いていて、なにかあったのかと思ったのか。

 けど、その後、二人で教室の黒板を消している時、私は一人じゃなかった。

 私にはその事実がとても大事なことだった。


 きっとなにもいわず作業を手伝ってくれる湊くんがいなければ、私はすごく落ち込んでいただろうから。一人、本当に教室で泣いてしまっていただろうから。湊くんはただ黒板を消すことを手伝ってくれただけだろうけど、私にとってそれはとても救いになった。


 その後、他の日直の仕事も手伝ってくれた。

 最後に私が日誌を書いている時に、湊くんは教室を出て行った。

 声をかける暇もなく、出て行ったものだから、お礼もいえなかった。


 私ってだめだな……。

 いつもこういったタイミングを逃す。


 でも、ちょうど日記を書き終えたところで、湊くんがお盆を片手に教室に戻ってきてくれた。


「終わったかな?」

「ごめんなさい。なんだか全部手伝ってもらって、この後、予定とかなかった?」

「ああ、いいよ。気にしないで、予定なんてなかったし。女の子一人でやらせるにはひどい話だしさ。それより、これ」


 そういって湊くんはお盆から、コーヒーカップを差し出す。


「……これ」

「僕、茶道部でさ、日本茶だけじゃなくて、コーヒーなんかも淹れてるんだ。一仕事したんだから、一息いれようよ」


 湊くんは向かいの椅子を私の正面にし、自分のカップを持ち座る。

 私はコーヒーがはじめてというわけでもないのに、恐る恐るカップを手に触れた。


 暖かい。


 中に満ちている黒々とした液体に目を落とし、カップに口をつける。


「……おいしい」


 濃いコーヒーなのに、苦味はすくなく、砂糖が適量に入っていて甘く、私の口ざわりにちょうどいい味で、とてもおいしかった。


「へー、そうやって笑うんだね」

「えっ?」


 そういう湊くんこそ、にっこりと柔和な目を細めて笑っていた。

 なぜか私はどぎまぎする。


「いつもなんだか、表情を表に出さないからさ。どんな人なのかなって思ったんだけど。いいよね、そうやって笑えるんだ、なんだか得した気分」


 そういって湊くんはニコニコする。


「わっ、私の笑顔なんて見ても楽しくないよ。そんないいもんじゃないし、暗いし、かわいくないし、そんな」

「そんなことないと思うけどな?」


 私は自然と苦笑が口元からもれる。


「いいよ。秋上くんお世辞は。私が暗くて、地味でかわいくないのは分かっていることだからさ。自分のことは自分で分かっているつもりだよ」


 そうだ。そんな私だから、こんなところで一人、日直の作業をのろのろとしてしまうことになるんだから。本当だめな奴だ、私って奴は。


 湊くんはそんな私をじっーと見てくる。

 改めて自分の不細工さを確認されているかと思うと、気が重い。


「眼鏡」

「えっ?」

「眼鏡はずしてもらっていいかな?」


 突然のお願いに私はとまどいながら、眼鏡を外す。

 ぼやけた視界の中、その私をまたじっーと見てくる。

 そんなにまじまじと私のかわいくない点を探さなくていいのに。笑われるんだろうか。……それは本当こたえるよね……。


「うん、やっぱり」

「なに?」

「さっき、自分のことわかっているっていったけど、意外とそうでもないかもよ」

「なんで?」


「今の顔――かわいいもん」


 なんて恥ずかしいことを平然という人なんだろう。


 私は自分がかわいいなんて思ったことなんてなくて、どれだけ自分がかわいくないかばかりを自覚していたのに、うまくその台詞に言葉を返せなかった。


 魔法のような言葉だった。


 それからだ。


 私はそれから、彼のことを好きになった。


 一番、誰かにいてほしい時に湊くんはいてくれて。

 言葉で私を虜にした。


 気がつけば、彼を目で追うことが多くなり、よく彼のことを考えるようになった。

 今では表現する言葉が思いつかない位、湊くんが好きだ


 私にとってはとても大事なことで、かけがえのない感情だった。

 けど、いまだに私はこの気持ちをどう伝えればいいか分からずにいた。


 だから、そう湊くんや雪さんのいってくれことから行動をおこしていったらいいかもしれない。


 まずはそれからで、そして、できれば、いつか私の気持ちを――。

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