大神官への道(セティウス視点)


 リーリア様に宣言したとおり、最近僕は大神官になるための勉強を始めた。

 自分で言うのもなんだけど頭はいい方だし、昔からいろんなジャンルの本をよく読んでいたから知識はある方だと思っていた。

 けど、実際に大神官になるための勉強を始めてみると、今までの自分の知識なんてゴミみたいなものだと思い知った。

 女神や聖女、地脈に関する知識はもちろんのこと、薬草学、医学、算術、心理学、歴史学、各国の宗教、外国語、地理、その他色々。

 そして当然、魔力・魔法に関する知識・構成力。

 大神官に必要なこれらの知識や能力の中で、今のところ基準を満たしているのは魔力だけだ。

 何年かかるんだ? これ。


 そして、目の上のたんこぶ。

 大神官シャティーン。

 大神官になるには、あいつを追い落とさなきゃいけない。

 あいつは神官の間じゃ神のごとく崇められている。

 それを押しのけて大神官になるには並大抵の努力では無理だ。

 ましてや、実年齢はともかくあいつの肉体年齢はまだ若い。

 以前自分で肉体年齢は三十五歳くらいではないかと言っていたが、もう少し若く見える気もする。

 いずれにしろ、せいぜい僕と一回りくらいしか変わらない。

 その程度の年齢差の新たな大神官を、神官たちが望むかどうか。

 答えは否だろう。

 あいつはもう結界石には入らず自然な時間の流れの中で生きていくと決めたようだが、それでも引退を考えるような年齢に到達するまでにはまだまだ時間がある。


 大神官への道のりは険しく、先は長いな。

 けれど、今はそのことが逆にありがたい。

 勉強や研究に夢中になっている間は、失った恋のことを考えずに済むから。


 リーリア様とレオが付き合うようになってから、団長に聞いてみたことがある。

 失恋の痛みは、いつかは忘れられるものなのか、と。

 まあ馬鹿だよな。明らかに未練タラタラの男に聞いてしまったんだから。

 それでも「いつかは忘れるさ」と返してくれたのは、優しさだったのか。

 思わず「来世に賭けるかぁ」と漏らしたら、団長が「来世は私が予約済だ」と笑顔で言い放った。

 予約済じゃなくて勝手に来世こそと考えているだけだろう。

 くそ、戯れ言とわかっていてもイラつく。

 やっぱり団長とは昔からそりが合わない。

 いや、そりが合わないんじゃなくて一種の同族嫌悪なんだろうか。

 団長とは案外似たもの同士なんじゃないかと最近気づいた。

 女性の好みも、未練がましいところも、腹黒いところも。

 団長のほうが、いろんな意味で大人ではあるけど。


 最近はリーリア様の部屋の警護の時間を極力入れず、勉強のためになるべく自由時間を作るようにした。

 部屋の前で警護していてもあまりリーリア様には会えないし、どうせなら護衛のほうがいい。

 護衛なら、侍女もいるとはいえ話もできるし彼女の姿を見ていられる。

 触れたくなってしまうのが難点だが。

 前を歩く彼女の金色の髪がさらさらと風になびけばそれに触れたいと思うし、白くてきれいな手が動くたびに指を絡めてみたいと思ってしまう。

 抱きしめたい、そのままどこかにさらってしまいたい、と不穏な考えが頭をよぎることもあるけど、そのたびに思いとどまる。

 リーリア様を不幸にしたくないから。

 そして、リーリア様が僕に笑顔を向けてくれるこの幸せを壊したくないから。

 一緒にいると何かと辛くもなるが、それ以上に幸せを感じる。


 っと、駄目だな。

 気を抜くといつも彼女のことを考えてしまう。

 勉強勉強。


 今日は聖女廟近くの広場で魔法の練習をすることにした。

 ここは廟が近いせいかあまり人がいないのがいい。

 今使える以上の攻撃魔法は大神官には必要ないから、一番覚えたい瞬間移動の魔法を練習する。

 あらかじめ小さな魔法陣を描いておいた紙を、地面に二つ置き、そのうちの一つに小石を乗せる。

 そして小石の乗ったほうの魔法陣に魔力を注ぎ込む。

 魔法陣を描いた紙は燃え、小石は……ぴくりとも動かなかった。

 まあ、そう簡単にはいかないよな。

 成功すればもう一つの魔法陣のほうに小石が移動するんだが。

 何パターンかの魔法陣を用意してきたが、どれを試してもうまくいかなかった。

 小石はまったく動かず、魔法陣を描いた紙は燃えるものもあれば燃えないものもあった。最後に試した魔法陣では小石が粉々になった。

 失敗するとこういうことになるのか。これが自分の体だったらと思うとぞっとするな。


「何が悪い……? 魔法陣のほうの問題だよな。それとも魔力の波長が魔法陣と合っていない?」


 思わず独り言が漏れる。

 当然、それに返事が返ってくるなんて思ってもいなかったんだが。


「まずその小さな魔法陣に対して注入する魔力が強すぎるね。紙が燃えるのはそのせいだ。波長も少しずれているよ」


 ぎょっとして振り返ると、そこには大神官シャティーンが立っていた。

 床につきそうだった白い髪は肩の下あたりまで短くなっていて、さらに後ろで結んでいる。

 衣装も、引きずって歩いていたのが今は足首までの長衣になっている。

 なんというか、以前より人間っぽくなったな。


「……なんで。ていうか、いつの間に」


「ああ、“隠形”の魔法を使っているんだよ。姿を見えなくする……というか、実際には透明になっているわけじゃないんだけど、人の意識から外れてその存在に気づかれないようにする魔法なんだ」


 この男の魔法は底が知れない。

 瞬間移動といい今の魔法といい、かなり複雑な構造の魔法で、魔力のコントロールも難しいはずだ。


「君くらい魔力があればある程度近づくと気づくはずなんだけど、夢中になっていたんだね」


 くそ、微妙に上から目線な感じがしてむかつく。

 自分が高度な魔法を軽々と使えるからって。


「何か用?」


「うん。君と少し話をしたかった。……まず第一に、謝りたくて」


 やることだけやって母を放置し、僕の存在すら知らなかったことについてだろう。

 今さらだな。

 大神官が頭を下げる。それには少しだけ驚いた。


「フィリーナのことも君のことも、ずっと放っておいてごめん。君のことを知らなかったこと、君のために何一つできなかったことを今さらながら悔やんでいる」


「ほんと今さらだね」


「君の言う通りだ。君にどう償えばいいだろう」


「別に。償ってほしいとも思わないし、恨んでいるわけでもない。知ったときはカッとなったけど、すべてはミリア様、ひいてはリーリア様に出会うための運命だったと思ってるから」


 それは本当だ。

 この男はムカつくしイラつくけど、もう恨んではいない。

 母とのことや聖女継承の儀については、リーリア様が教えてくれた。

 大神官の許可は取ってあるし、僕に知っておいてほしいから、と。

 「父親」になれなかったのも、そもそもなる気がなかったのも、役割と秘密の重さを考えれば理解はできる。

 だからって全てを許して父親として受け入れるつもりもないけど。

 そもそも責任も持てないのにやるなよって話だし。

 とはいえ、リーリア様は濁してたけど、たぶん母から誘ってそれに抗えずに関係を持ったんだろうと思っている。

 まあ、それに関しても男として理解できる部分があるといえばある。

 ありえない話だけど、もしリーリア様が僕を求めたとしたら、理性なんて簡単に吹き飛ぶと思うから。


「あんたのこと、受け入れたわけじゃない。好きなわけでもない」


「うん、わかっているよ」


「でもさっきも言った通り、恨んでないから」


「そっか。ありがとう。君は優しい子に育ったんだね。ミリア様のおかげだね」


「……」


 そのまま、二人とも黙る。

 用事がないなら帰ってほしいんだが。

 大神官の視線が、地面の上の紙に注がれる。

 優雅な仕草でそれを拾った。 


「ああそうそう、瞬間移動の魔法を練習していたんだったね。これは私が使える中で一番高度な魔法なんだ。もう少し別の高度魔法を習得してから挑戦したほうがいいと思うけど……便利だから覚えたいのかい?」


「あんたから大神官の地位を奪うためだよ」


 大神官がぽかんとする。

 そして、とても嬉しそうに笑った。

 なんでだよ。

 以前から変わったやつだとは思ってたけど、感情の構造まで人と違うのか?


「そっか、大神官を目指してるんだ。私もできればさっさと引退したいし、ありがたいよ」


「……」


「でも、まだまだ先は長そうだね。私が使える魔法を君も使えるようにならなければ、神官たちも認めないだろうからね。そのうえで、一つくらいは新しい魔法も生み出さなきゃならない」


「わかってるよ、それくらい」


「そうだね」


 大神官が、魔法陣が描かれた紙をじっと見る。


「ふむ、考え方は悪くないよ。でもホラ、魔法陣のこの部分。ここの部分を描き変えてみて。魔法陣は自分の魔力の波長に合わせて描くから、君にとっての完全な正解っていうのは私も教えることができないんだけど。あとは注入する魔力の練り方だね。これは体感で覚えていくしかない」


 なんでよりにもよってこの男からアドバイスをもらってるんだ。

 でも、背に腹はかえられない。

 この男から吸収できるものはなるべく吸収しておいたほうがいい。


「結局、瞬間移動っていわゆる縮地だよね。自分を分解して再構築してるわけじゃないよね?」


「そう、魔法陣と魔法陣の間の空間を縮めて距離をなくすんだ。分解再構築はかなり危険だからね。それを用いれば遠くまで瞬間移動できるかもしれないけど、物ならともかく自分で試す気は起きない。再構築したつもりで何かが欠けていたら怖いし、そもそもそれが本当に“自分”と言えるのかどうか」


 瞬間移動の考え方は合っていたようでほっとする。

 闇雲に試してみるより知識のある人間に色々教えてもらうほうが、習得までの道がぐっと近くなる。

 複雑な気持ちではあるけど。


「それにしても、君はとても筋がいいね。何も教えられずにここまでたどり着くなんて。結界も張れるようだけど、あれだって高度な技だからね?」


「……そりゃどーも」


 結界はたしかに高度ではあるけど、僕にとってはそう難しいものじゃない。

 ミリア様の聖印が消えた後は自然と使えるようになっていた。

 ある程度のレベルまでの魔法なら、本能的に使えるものなんだけどな。


「魔力が高いだけでなく、君は魔法の才能もあるよ。でも大神官になるにはまだ足りない。私はさっさと引退したいというのに、困ったなあ」


「あっそう」


「大神官として次代を指名することもできるけど、実力不足の場合は神官たちが認めない」


「……だから?」


 イライラしてきた。

 なんでこいつの話はこんなに回りくどいんだ。


「いくら私のむ、む、むむ息子だからって、実力の足りない者を指名はできないし」


「息子って言うな。どうしても言いたいならせめてサラッと言え。そして何回実力不足って言うんだよむかつく」


 だからどうしてそこで嬉しそうな顔をするんだよ。

 恨んでいないとは言ったけど、今さら父親面されるのも面白くない。


「というわけで、独学で大神官になるのはほぼ不可能に近いんだよ。いくら才能があっても、全部自分でどうにかできるものじゃない。かくいう私も先代に十年ほど師事して大神官になったんだから」


 なんだか嫌な予感がしてきた。


「だから、私の知識を君に授けよう。非公式ではあるけれど、弟子になってくれないかな」


「……」


 答えに詰まる。

 たしかに、この男から色々教えてもらえれば大神官への道は一気に近くなるだろう。

 でも、複雑だ。


「なにも君が私のむむっむっ息子だから言っているわけじゃないんだよ」


 だからそこでどもるなって。

 腹立つ。


「まあある意味ではそうかもしれないけど。私の魔法を引き継げるだけの魔力の持ち主は滅多にいないんだ。それに今まではそういう人物がいたとしても、聖女継承の儀のことがあったから大神官の位を引き継げなかったし」


「……」


「私が持っている魔法に関する知識は、誰かが継いでいかなければもったいないと思う。一年二年で習得できるものではないけど、才能とやる気がある君に私が持つ知識を渡していきたい。そしていずれは君の次代を担う者を探しに旅に出たいと考えているよ。それはまだまだ先の話だけど」


「……。わかった。非公式でいいなら弟子にしてくれ」


 大神官の顔がぱあっと明るくなる。

 だからなんでそんなに嬉しそうな顔をするんだよ。

 ほんと調子狂う。


「別にあんたのことを受け入れたわけじゃないから」


「わかっているよ」


「それでも、僕は僕だけの“強さ”を手に入れたい」


 騎士としては、レオには到底かなわない。

 なら、僕は僕の世界を極めたい。

 それが、いつかあの方の助けになるかもしれないから。


「君ならきっと大神官になれるよ。ああ、でも、言うまでもなく力を悪用しては駄目だよ。大神官になる資格を失ってしまうから」


「悪用? するつもりもないけど、どういう意味?」


「たとえば隠形を用いて聖女様のお風呂を覗いたり」


 !?


「夜中に聖女様のお部屋に瞬間移動して悪さをしたり」


「誰がするかそんなこと! 発想が下品なんだよ! やっぱり弟子になるのやめる」


 そんなみっともない真似するかよ。

 そもそも大神官になる資格以前に命がなくなる。

 でもまあ寝顔をこっそり見るくらいなら……って僕は何を考えてるんだ。駄目に決まってる。 


「あくまでそんなことをしてはいけないという話だよ。怒らないで。弟子になるのはやめないで」


「もう変なことは言うなよ」


「はい」


「まったく……」


 ため息がもれる。

 非公式とはいえ弟子になるということは、この男と頻繁に会う生活を何年も続けるということ。

 なんだか気が重くなってきた。 


「ところで、君は私の弟子になるのだから、私のことは師と呼んでもらおうかな」


 恨んではいないけど受け入れてもいないって言ったよな?

 なんでの部分だけやけに力が入ってるんだ。

 なんだこの男は。


「……わかりました大神官様」


「いやいや、師と」


「これからよろしくお願いします大神官様」


 魂胆が透けて見えて嫌だ。

 なんだって今さら父親ぶろうとするんだ。

 弟子云々の話も、父親ごっこしたいためだけに言い出したんじゃないだろうな!?


「わかった、師父はあきらめるよ。でも敬語はやめてほしいな」


「まあそれはいいけど」


「じゃあ、これからよろしく。私はいつでも暇だから、君の時間がとれる時に色々教えよう。今度連絡用の魔石を渡すよ」


 うきうきとした様子で大神官が言う。

 やっぱり弟子になるなんて、早まったかな。


「……わかった」


「じゃあ、今日のところはこれで」


「ああ」


 大神官はきょろきょろと辺りを見回し、もじもじし始める。

 え、何。

 まさかここでトイレとか?

 いや子供じゃあるまいしまさかな。

 なんてことを考えていると、ぽん、と頭に軽く手をのせられた。

 ……え?


「大神官になれるよう全力で手助けするよ。その、それで、一度でいいからお父さんと」


「帰れ!」


 大神官はあわてて聖女廟のほうへと逃げて行った。

 あそこから瞬間移動で帰るためだろうが……いったい何なんだあいつは。

 くそ、むかつく。

 予想外のこととはいえ、手を振り払わなかった自分にも腹が立つ。

 さっきまで償いをとか言っていた人間がお父さんと呼んでだなんて馬鹿にしてる。

 なのになぜ、腹は立っても不快な気持ちになり切れないのか。


「はあ……」


 結局僕も人とは感性がずれているのかもしれない。

 あいつに似たんだな。くそ。

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