第7話 医務室にて


 ぼんやりと目を開けると、星空を模した美しい天井が目に入った。


 一瞬、自分がミリアなのかリーリアなのかわからなくなる。

 淡い金色の髪が目に入って、ああリーリアだ、と半身を起こした。どうやらあのままソファで眠ってしまったみたいね。もうすっかり日が昇っているわ。

 “リーリア”という選択肢が出てくる時点で今自分がミリアであるはずはないのだけど、たまに記憶が混乱してしまう。

 前世の記憶があるというのも厄介ね。名前もちょっと似てるし。


 ノックの音がして、返事をするとサービングカートを押しながら若い侍女が入ってきた。

 明るい茶色の髪と瞳の、かわいらしい子ね。


「エ、エイミーと申します。これから聖女様の身の回りをお世話させていただきます。よろしくお願いいたします!」


 ああ、そうだった。

 陛下に再度会った後、神殿の人事官のところに行って気の優しい侍女をつけてもらうようお願いしたんだった。その後厨房にも行って食事について軽く打ち合わせしたのよね。

 前世では人事官の立場が弱くて神官長が結局好きなように決めてしまっていたけど、今はあの古狸が消えた上に陛下からのお墨付きもいただいているから、スムーズに決まって良かったわ。

 エイミーが出してくれた朝食も、クロワッサンにジャム、ポーチドエッグの乗ったサラダ、スープ、フルーツとだいぶ普通になったわね。

 希望をちゃんときいてもらえてよかったわ。朝からステーキが出てきたときはどうしようかと思ったわよ。


「エイミー」


 話しかけられた侍女がびくっと体を震わせる。


「は、はい」


 そんなに怯えなくても。

 侍女を就任早々クビにした話を知っているのね。

 どうやら怖い聖女だと思われているみたい。まあいいわ。


「朝食が済んだらすぐにお城に行きたいの。陛下から出入りしていいと言われているし医務室に行くだけだけど、一応お城の門番に伝えておいてもらえるかしら。あとは門番が確認をとるから、あなたは彼らに伝えるだけでいいわ」


「承知いたしました」


 エイミーは紅茶を淹れ終わると、部屋から出て行った。


 レオがどうしているのか、心配でならない。

 傷も癒したし命に別状はないということだったけど。


 朝食が終わり、戻ってきたエイミーの手伝いで軽く身支度を済ませ、私はエイミーを伴って城へ向かった。

 地下通路はそう気軽に通っていい場所ではないので、地上から行く。

 門番はすんなりと扉を開けてくれ、そこで待っていた陛下の侍従の一人であるという男性がわざわざ医務室まで案内をしてくれた。

 道案内なんて陛下の侍従の仕事ではないでしょうに……申し訳ないわ。


 侍従は医務室の前に着いたところで帰ってもらい、エイミーをそこで待たせて一人で中に入った。

 いちいち口を出してこない侍女っていいわね。


 医務室内は白を基調とした落ち着いた空間で、薬棚一つとっても繊細で丁寧な意匠であることがわかる。

 さすが王宮内の医務室。

 前世で一度入ったことのある騎士団の医務室とはだいぶ違うわね。


「これはこれは聖女様。お話は伺っております」


 奥から出てきたのは、白いお髭がステキなおじいさん医師。


「お邪魔します。男性の容態はいかがでしょうか」


「先ほど再度薬を入れたところですが、熱はだいぶ下がりましたしもう心配はないでしょう」


 良かった。

 体力はあるだろうし“気”の力も強いから回復も早いのかもしれない。

 薬をどこから入れたのかは聞かないでおこう。


「運ばれた男性はこちらでございますよ」


 医師の案内に従い、診察室の奥へと進む。

 両脇に、ドアが二つずつ。


「このドアの向こうはすべて病室ですか?」


「病室というか、個室ですな。今使っているのは件の男性のみです」


「個室が四つしかないのですね。つまりは病床が四つ?」


 騎士団の医務室は、ケガをする人も多いとあってベッドがずらりと並んでいた。

 王宮内で働く人も多いだろうに、病床が四つなんて足りるのかしら。


「ここは応急処置や薬を出す程度のことしかしませんからのう。入院が必要なほどならば王立病院へと搬送されます」


「そうなのですね」


「しかしご安心を。その程度の処置しかしないからといって腕が悪いわけではありませんぞ。わたくしめは先王陛下の侍医でしたから。ささ、聖女様、あちらの奥です」


「ありがとうございます。一人で入っても構いませんか?」


「おっほ! これはこれは……薬の作用でまだ起きないとは思いますが、どうぞどうぞごゆっくり」


 髭の奥の口元に楽しげな笑み、目元には隠し切れない好奇の色。

 ……何か誤解されてる?

 たしかに聖女がわざわざ一介の騎士の見舞いに来るというのはおかしな話かもしれないけど。


「先生。何か誤解されているのかもしれませんが、わたくしはつい先日神殿に入ったばかりですし、男性はわたくしのことを知りません」


「何もおっしゃいますな、聖女様。あの騎士はいけめんですからなあ、お若い聖女様のお気持ちはわかっておりますとも」


 わかってない!

 腹が立つわこのおじい様。

 そのヒゲ全部むしってやろうかしら!?


「……。とにかく、誤解なきよう。失礼しますわ」


 これ以上話すのは面倒なので、レオがいるという部屋の中に入る。

 ごゆっくりぃという笑いを含んだ声が聞こえたので、やや乱暴にドアを閉めた。


 ひとつ息を吐いて、振り返る。

 病室というよりも客室と言ったほうがしっくりくる室内の中央に、大きなベッドがある。

 衝立があるので、ベッドの下半分しか見えないけれど、そこに“誰か”が寝ているのはわかる。


 鼓動が早くなる。

 本当に、レオなの……?


 おそるおそる、衝立の向こうにまわる。

 ベッドの上に眠る、赤銅色の髪の男性。 


「ああ……!」


 思わず、声が漏れる。

 ずいぶんと大きくなったけれど。

 その寝顔に、面影がある。


 間違いない、あのレオだわ……!


 ゆっくりと、震える足を進める。

 崩れ落ちてしまいそうになり、ベッドの脇にある椅子に座った。

 呼吸を整えて再度その顔を見る。


 不ぞろいに伸びた髪。牢にいたせいね。以前はもっと明るい鮮やかな赤色だったけれど、色が濃くなったわ。赤は赤だけど、赤銅色というのがぴったりね。

 不精ヒゲは剃ってもらったのね。汚れもきれいにしてもらっている。ああ、でも頬にまだ擦り傷があるわ。

 つるりとして柔らかかった頬は、少し堅そうな男性特有の肌になっている。

 鼻も高くなったわ。

 唇は、子供らしいつやつや感はなくなったけれど、あの時と同じきれいな形。

 ふふ、たしかに“いけめん”ね。


 大きく、なって……。


 涙がこぼれる。

 それは嬉しさが少しと、申し訳なさが大半。


 私はレオを引き取ってわずか三年で死んでしまった。

 その時レオはまだ十歳。もう一人の子はさらに幼かった。

 死の間際に思ったのは、無責任なことをしてしまったという後悔。

 独り立ちを見届けるどころかたった三年で死んで、きっと幼い心に傷を残してしまった。

 幼いこの子たちはこれからどう生きていくのだろうと、それだけが心配で心残りだった。 


「ごめんね……」


 神聖騎士団の騎士ということは、あのまま騎士見習いとして神殿に残ったということ。

 追い出されて路頭に迷ったりしなかったのは良かったけれど。

 今までどんな風に過ごしてきたの?

 辛いことはなかった? いじめられたりはしなかった? ごはんは……きっとちゃんと食べてるわね。こんなに大きくなったんだもの。

 ジャムが乗ったクッキーはまだ好きかしら。あなたはおやつの中であれが一番好きだった。

 もう一人のあの子は、元気にしている? 仲良くしている?


「レオ……ごめんね……」


 気まぐれのようにあなたを引き取ったのに、幼いあなたを残して逝ってしまった。

 私を恨んでいる? それならかえって気が楽だわ。

 でも。

 あなたは牢から出るときにミリアの名を呼んだ。


 私が前世ミリアだったとわかれば、彼は喜ぶだろうか。

 たとえそうだとしても、そんなことは彼には言えない。

 だって、また傷つけてしまうかもしれないから。

 今度は私のほうが年下だけど、また先に死んでしまわないとは限らないから。


 だから、あなたにミリアだったことは決して言わない。


 ハンカチで涙をぬぐって、彼の額に触れる。

 熱はだいぶ下がったみたい。よかった。


 ミリアだったとばれないように、レオにはあまり深くかかわらないほうがいいわね。

 彼が神聖騎士団に戻るのなら、関りを完全に断ち切るのは無理だろうけれど。

 遠くからでもあなたの成長や幸せを見ていられるなら、こんなに幸せなことはないわ。  


 擦り傷のある頬に触れ、指先から癒しの力を出す。

 赤く血がにじんだ傷が、きれいに消えた。


 ――もう、行こう。


 彼から手を離し、立ち上がろうとしたその時。


 強く腕を引かれて、ぐるりと世界が回る。

 ベッドに引き倒されたのだと理解したころには、私の首に大きな手がかかっていた。


 私を見下ろす琥珀の瞳には、混乱と警戒、かすかな怒り。


「誰だ、お前」


 うなるような低い声は、あの頃とは別人のようだと、やけに冷静に思った。

 

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