第8話 大人になったレオ
動けない。
右腕はがっちりとベッドに縫い付けるように押さえつけられ、足も彼の足の間に挟み込まれるような形になっている。
首は絞められてはいないけど、下手なことを言うと片手でポッキリ折られそうな雰囲気だわ。
ああ、そうか。
彼の記憶は牢の中で途切れているから、混乱しているのね。
いつから意識を失っていたのかしら。あのひどい傷で、どれだけ放置されていたのだろう。
この青みがかった白の衣装もまた、彼を刺激してしまっているのかもしれない。
精霊の絹の衣装は、聖女の証だから。
「誰だ……答えろ」
爛々とした光をたたえる琥珀の瞳は、獣のよう。
かすれた低い声も、大きな体も、強すぎる力も。レオなのにレオじゃないみたいだわ。
――レオを怖いと思う日がくるなんて。
「あなたの敵ではないわ。落ち着いてください。ここは医務室よ」
「医務室……?」
レオがのろのろとあたりを見回す。
どうも焦点が合っていない。
「医務室という雰囲気じゃないけどほんとに医務室なのよ。信じて。あっちに白いヒゲの医者がいるわ」
あ、なんだかよけいに怪しい感じになってしまった。
「……お前は誰だ。この衣装……」
ここで聖女と言うと首ポッキリになるかしら。
それはさすがに嫌だわ。
「あなたを苦しめていた聖女は死にました。わたくしはリーリアよ。あとは放してくれたら説明します」
「死んだ……? うっ……」
彼が私の首から手を離し、苦しげに頭をおさえる。
かなり混乱しているみたいね。
薬でまだ目覚めないと医者が言っていたけど、その薬の影響もあるのかしら。目覚めちゃってるけど。
「わたくしはあなたの敵ではないわ。見ての通りか弱い女です。あなたはか弱い女の首をへし折るつもりなの?」
「……そんなことは……」
彼が体を起こし、腕からも手を離す。
ふう、助かった。
とそこで、彼がふと視線を下げる。
その視線をたどると、スカートが太ももまでめくれあがっていた。
「――!!」
かろうじて悲鳴を飲み込む。
ここで悲鳴をあげようものなら、あの医者が「おうおうどうしましたかな!?」とか言いながら嬉々として乗り込んでくるに違いない。
その先は想像したくない。
「あ、すま、ない……決してそんなつもりでは」
あわてて私の上からどけて、視線をそらして片手で口元をおさえるレオ。
その耳は真っ赤になっていた。
「え、ええ……わかっていますわ。大丈夫です。混乱していただけなのでしょう」
スカートを直して、ベッドから降りる。
レオは何かを振り払うようにふるふると頭を振った。
彼が少しでも落ち着くように、ベッド脇に置いてあった水差しからコップに水を注いで彼に渡す。
彼は小さく礼を言うとそれをすべて飲み干した。
何度か深く呼吸を繰り返したあと、ようやくこちらを見る。
その瞳からは、混乱の色は消え、代わりに戸惑いが浮かんでいた。
「その……本当にすまなかった。か弱い女性相手に、どうかしていた。その衣装を見た途端、頭に血が上ってしまったんだ」
「無理もありませんわ。大変な目にあったのですから。あのような暗い場所で、ひどい目に……」
レオが地下牢で鞭で打たれていたことを考えると、胃のあたりが燃えるように熱くなる。
かわいそうに、どんなに痛かったか。
前聖女は絶対に許せないわ。まだ生きていれば思い知らせてやったのに。
「……俺が地下牢にいたことを知っているのか?」
「ええ。発見時、私もそこにいましたから」
レオはしばらく考え込む。
まだ頭がはっきりしないみたいね。
「あの聖女は死んだとのことだったが。その衣装……あなたが次の聖女ですか?」
「ええ」
「それは……重ね重ね申し訳ありません。私は神聖騎士団に所属しておりますレオと申します。ご無礼をお許しください」
こんな話し方、レオに似合わないわね。
だからって敬語を使わないでなんて不自然すぎるし。
でもなんだか寂しいわ。
「お気になさらなくて結構ですわ」
「現場にいたとのことで、あの魔法の鍵を解除してあそこから出してくださったのはあなたですか? もしや背中の傷も」
「わたくしは鍵を解除して傷を癒しただけですわ。実際に助けたのは近衛騎士で、その後いろいろ計らってくださったのは陛下です」
「やはりあなたが助けてくださったのですね。ありがたき幸せ。心から感謝いたします」
あーなんだかムズムズする。
いやいやダメよ、レオもこんな話し方ができるということは大人になったってことなんだから、喜ばないと。
「大したことはしていませんわ。では、わたくしはそろそろ……」
「幸せついでに、ひとつお願いしたいことがございます。図々しいとは思いますが、聖女様に直接お願いできるチャンスは今を逃したらないかもしれませんので」
どこか不真面目な笑みを浮かべるその顔は、やんちゃな少年だったあの頃の面影がある。
「何でしょう」
「ちょっと失礼します」
彼は着ているTシャツを脱ぎ捨てた。
ちょっ……いきなり脱がないでよ、目のやり場に困るでしょう!
それにしてもすごい体。鍛え上げられているのがよくわかる。
かわいいレオが、大人の男の人になってしまった。
「牢で衰えたなぁ、クソ」
自分の体を見ながらレオが独りごちる。
クソは心の中だけでって言ったでしょ。しかも聖女を目の前にして。
「見ていただきたいのはこちらなのですが」
彼がへそのすぐ上を指す。腹筋すごい……そういえば出ベソは引っ込んだのね。
そこにはひどい傷跡と、元は紋章であったと思われるものがあった。
もう血が出たりはしていないけれど、肉がえぐられたような跡がある。
「ひどい傷ですわね。その位置なら火の紋章ですか」
「さすがですね。聖女様ならおそらくご存じとは思いますが、紋章を刻んだ個所をひどく損傷すると、紋章術が使えなくなります。また別の場所に刻みなおすということもできません」
属性によって紋章を刻む場所が決まっているのよね。
たとえ傷が治っても、欠けた部分だけ上から再度刻みなおすということも無理だと聞いたことがある。
不完全な紋章と新しい紋章が馴染まず、属性の力だけが変な形で体内に残るのに紋章術は使えないとか。
「前聖女の仕業でしょうか」
「はい。一服盛られた挙句、牢にぶち込まれ鎖でつながれ、最初に紋章を潰されました」
「ひどいことを……」
紋章術は、体の一部に属性の紋章を刻むことで、魔法に似た力を使うことができる技。
刻む際に激痛に襲われるのと、紋章術の使用に“気”の力を使うので、体力気力共に鍛えられている男性の騎士にしか施されない。
魔法のような多様な使い方はできずほぼ攻撃能力のみだから、魔法よりも使い勝手は悪いのよね。
限界を超えて使うと命を削るとさえ言われていて、刻まれる属性もひとつのみ。複数刻むと体への負担が大きいのだとか。
何かとリスクが大きいのよね、紋章術って。本来なら魔力がなくて魔法が使えない人が属性の力を使えるようになるのだから、それも仕方がないことなのかもしれないけど。
それにしても、しゃべり方がだんだんレオっぽくなってきているわね。
なんだか少し安心したわ。
変わらない部分もあるのだと。
「前聖女が血を止める程度までは癒したためもう出血はしませんが、これ以上治りもしません」
「それをわたくしが治せるか、ということでしょうか」
「さすがは聖女様。話が早くて助かります。助けていただいた上にこのようなことをお願いするのは心苦しいのですが、もし可能でしたら」
「聖女がつけた傷ですから、次代とはいえ聖女であるわたくしにも無関係ではありません。紋章も関わってくるので、できるとは言い切れませんが」
「もし治らなくても気に病まれる必要はありませんし、元々あなたにはなんの責任もありません。聖女様相手に図々しいことを言っているのは俺なので」
「ひとまずやってみますわ」
傷跡にそっと触れる。彼の体がぴくりと動いた。くすぐったかったかしら。
時間が経った傷ほど、治すのは難しいとされている。しかも紋章を元に戻せるかどうか。
でも、力になりたい。
レオの助けになりたい。
聖なる力よ、どうか。
指先から白い光があふれ、抉れた傷を修復していく。
残るは、紋章。
これはかなり難しい。
でも……!
魔力を放出しつづける。
消された紋章が、徐々に、徐々に戻っていった。
たしかな手ごたえを感じて、手を離す。
たくましい腹筋の上には傷跡一つなく、鮮やかな赤い紋章が完全な形で存在していた。
「……! なんてことだ……紋章まで本当に治るとは……。感謝の言葉もございません」
「大したことはありませんわ」
というのは嘘だけど。
実は今のでかなりの魔力を消耗した。
傷を治すのはさほど難しくはなかったけれど、紋章は傷になった部分が消えてしまっていたから。
一か八かでやったけど、肉体の時間を巻き戻すのに近いことをやった。
皮膚のごく一部だけだから可能だったけど、これ以上の範囲で同じことをするのは無理そうね。
あ、でもこれを利用すると将来ほうれい線とか消せたりするのかしら。
前世ではうっすら現れてきたそれが気になってたのよね。
「上手くいってよかったですわ。では、今度こそ失礼しますわね」
「引き止めて傷まで治してもらい、申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。このご恩は必ずお返しします」
「どうかゆっくり休んでくださいね」
レオの手前、気丈に振舞っているけど、魔力を消耗しすぎて今にも倒れそうだわ。
前世とは比べ物にならないほど魔力が高いのに、それでもこんな状態になるなんて。
でも絶対にレオの前で弱った姿は見せない。罪悪感なんて抱かせないように。
背筋を伸ばしたまま部屋から出ることに成功し、ドアを完全に閉めたところで壁にもたれかかる。
疲れた……。このまま眠ってしまいたいくらい。
もちろんそんなことはできないので、なんとか壁から離れて診察室に戻ると、白髭医者がおや、とこちらを見た。
「おかえりなさいませ聖女様、お疲れですかな」
「少し魔力を使っただけですわ。大したことはありません」
だから邪推するな、と言外に伝える。
けれど。
「若いというのは良いことですなあ」
「何がですか?」
「いえいえ……外に出られる前に乱れた髪などを直されるとよろしいかと……フフフ」
髪に手をやると、髪飾りが外れかけていた。
たぶん、引き倒された時にこうなったのね。気づかなかった……失敗したわ。
で、この白髭はこれを見て何らかのことを想像している、と。
その髭、いやらしい性格通りピンクに染めてやろうかしら。
水と土と光の複合魔法でできないか今度試してみよう。
「先生が想像しているようなことは何もありませんでしたわよ」
髪を直しながら言う。
医師は相変わらず笑みを浮かべている。
「まあまあ、わたくしめは聖女様の味方ですよ。結婚は禁じられていますが、実はそういう行為まで禁じられているわけでは」
医者が何か言い切る前に、私はついに髭を鷲掴みにした。思いっきり引っ張りたい衝動だけは我慢をする。
そしてにっこりと笑みを浮かべる。
「先生が想像しているようなことは何もありませんでしたわよ」
先ほどと同じ言葉を繰り返す。
医者の顔から笑みが消え、かすかに恐怖の色が浮かんだ。
「はい、おっしゃるとおりでございますな。聖女様はただ自分が助けた人物を気にかけ様子を見られただけでございます。まこと慈悲深き聖女様です」
「その通りです。ご理解いただけて何よりですわ。“上手くいった”ようですし、わたくしはこれで失礼しますね」
髭を離し、医務室から出る。
閉めたドアの向こうから「おっほぉー髭がぁぁ、でも悪くないかもぉぉ」という叫び声が聞こえたけれど、無視をした。
不思議そうな顔で診察室のドアをチラチラと見るエイミーに待たせたことを詫び、城を後にした。
私がかけた白い髭をピンクに染める魔法は長持ちはしないけれど、その色が気に入ったようで自分で髭をピンクに染めるようになったと後に噂で聞いた。
医務室の医師は、白髭ではなくピンク髭と呼ばれるようになった、らしい。
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