第6話 小さな騎士


 まあ、予想通り大変だったわ。


 馬車で待っていたサラはヒステリックに怒り、自分は絶対にこんな子供の世話をしないと言った。

 期待してないわよ、私の世話すらろくにしないのに。

 神殿に戻れば、神官長がネチネチネチネチ嫌味を連発。でもそれも面倒になったのか、最後には「勝手になさいませ」と去っていった。じゃあ勝手にするわ。


 レオはレオで。

 連れてきた時はおとなしくしていたけど、風呂に入れようとすると大暴れ。

 ひっかき傷が何個もできたわ。治癒能力があってよかった。

 まったく、いろんな意味で獣みたいな子だわ。

 腰に巻いてあげたタオルも自分で取っちゃったから、子供とはいえ目のやり場に困っちゃったわ。


 ようやく泡風呂に浸かったレオの体を、タオルで優しくこすっていく。

 それは気持ちよかったようで、目をつむっておとなしくなった。

 ……かわいい。猫みたい。


「お風呂は嫌いなの?」


「嫌いに決まってるだろブス」


 やっぱりかわいくない!

 このまま泡風呂の中に沈めてやりたい衝動を必死で抑える。


「あなたはまずその口の悪さをなおさなきゃね。悪い言葉を使ったときは……」


「はん、ブン殴るか?」


 ああ。

 孤児院ではそうやって扱われてきたのね。かわいそうに……。

 でも、甘いわね。

 そんなものよりもっとダメージの大きいお仕置きがあるのよ。


「おやつ抜きです」


「な、なにぃー!? というかおやつなんてあるのか!?」


「ええ。私はあまり食べないけれど、あなた用にティータイムに出してもらえるようお願いしてたの」


 サラに頼んだことはだいたいスルーされるから、厨房で直接頼んでみた。

 厨房に顔を出すことなんてなかったからたいそう驚かれたわ。そして快く承諾してくれた。

 そしてそこで私の昼食の用意を見て気が付いた。

 見かけたことのない、小さなフルーツの盛り合わせがあることに。

 今日だけフルーツがつくのかと聞いたら、毎食に出していると不思議そうに言われた。

 ああ、そう。

 いつも私に食事を運ぶときに、フルーツのお皿だけ抜いて自分で食べていたのね、サラ。

 もう長年のことだから慣れたけど、サラをクビにできないことが不思議でならないわ。


「おやつ……ティータイムのおやつ……」


 ごくりとレオののどがなる。

 こういうところは子供らしいのね。


「でもブスって言ったからおやつなーし! 今日はジャムが乗ったクッキーだったのに残念でしたーおほほほ」


「くっそ、ひ、卑怯だぞ! メシはいらないからおやつくれよ!」


「子供なんだからご飯はしっかり食べないと。でもおやつなーし! 卑怯で結構!」


「クソッ」


「クソもなしよ。心の中だけで言いなさい」


「……」


 完全にむくれているレオ。

 髪にお湯をかけると、ぶるっと小さく震える。ほんとにお湯が苦手なのね。


「悔しいの?」


「フン」


「別にあなたを服従させたくてそういうことを言ってるんじゃないのよ。悪い言葉は悪意を生むし、悪意は自分に返ってくるわ」


「悪意を向けてくるやつはオレが全部やっつける」


「世の中にはあなたより強い人はいくらでもいるし、たとえ全員やっつけられたとしても行く先は牢獄よ」


「……」


 さらにむくれたレオの髪を、やさしく洗う。

 ベトベトしてたから、少し念入りに洗わないとね。


「私もね、孤児院育ちなの」


「そうなのか!?」


「ええ。だから本当はあなたみたいに口が悪いのよ。頭の中ではあなたのこと何度もこのクソガキと思ってたわ」


「な、なんだと!?」


「でもそういう言葉は口には出さない。あ、今は言っちゃったけど。口に出さなければ人を傷つけることもないし、自分が不利になることもない。私はわりと自分勝手でずるいのよ。あなたも少しずるくなるといいわ。自分のために」


「自分のため?」


「そう。自分のため。そしておやつを毎日食べるため」


「おやつのため、か」


「そうよ。それから、腹が立っても人を殴ってはダメよ。暴力を受けたときは私に言いなさい」


「……わかったよ。なるべく悪い言葉は使わない。人も殴らないようにする。でも別にあんたのためじゃないからな! おやつのためなんだ!」


「ふふ、わかってるわ。私の言ったことを真剣に考えてくれたみたいだし、今日だけはおやつなしはやめるわ。あとで一緒に食べましょう」


「やった!」


 ばしゃばしゃとお風呂の中で手足をばたつかせて喜びを全身で表現するレオ。

 私は髪も服も泡まみれになった。



 レオはしばらくの間、私の部屋の奥にある小さな続き部屋で暮らすことになった。

 本来ならそこには私付きの侍女が交代で寝泊まりするはずなんだけど。はず、なんだけどね。

 まあ誰も使っていない部屋があって良かったわ。

 続き部屋などとんでもない、素性もわからない子供だ、聖女様に危害を加えるかもしれないと色々な人から言われたけど、そこは押し切った。

 突然わがままになったとかブツクサ言われたけど。


 正直なところ、私の聖女としての価値は三十歳を超えてだんだん下がってきているのでしょうね。だから押し切れたんだわ。

 まだ聖なる力に陰りは見えないから聖女交代の話は出ていないけど、次代の聖女候補が日々教育を受けていることは知っている。聖女交代の準備は着々と進んでいる。

 以前は追い出されるのが怖かったけど、最近では引退できるならそっちのほうがありがたいと感じている。ようやく自由になれるから。

 三十歳を過ぎれば引退して年金生活ができるっていう話だったのに、聖女候補の中で最も光の力が強い子がまだ十四歳で、できればその子を次代の聖女にしたいから、あと三年ほど待ってほしいと言われている。

 それくらいなら待ってもいいのだけれど。レオを本当に騎士にするなら、まだここにいたほうがいいし。

 年金はいくらもらえるのか、ちゃんと確認しておかないと。

 国のために尽くしてきたのだから、一般的な暮らしをできる程度の年金くらいはもらえるはず。これだけは譲れないわ。


 ここに来た最初の日以降、レオは悪い言葉を使わなくなった。

 時々ブ……とかバ……とか言いかけるけど。

 だいたい私はブスじゃないわ。美人でもないけど、中の上くらいの容姿……のはず。


 時折、レオはエネルギーを持て余しているみたいでイライラすることがあった。

 さらに、誰かに何かを言われたのだろう時は荒れて物を壊すこともあった。

 そこで私はレオのためにレオの背丈くらいの簡単な人形を作成した。

 下のほうに重りを入れて、自動的に起き上がる仕組みにしてみた。名前はボコボコ君。

 我慢できないほど腹が立ったとき、人じゃなくてコレを殴りなさい、とレオに渡した。

 何日かに一回は、ドアを閉めた隣の部屋からボコボコ君を殴る音と聞くにたえない罵詈雑言が聞こえてきたけど、私は何事もなかったかのようにふるまった。

 ボコボコ君が十二代目くらいになった頃、レオは私の前でイライラすることは少なくなった。


 でもエネルギーを持て余していることに変わりはないので、事情を知っていたランス卿を通して神聖騎士団長に掛け合い、騎士見習いにしてもらった。

 本人も強くなれるならと乗り気だった。

 それが良かったようで、レオはあまりイライラしなくなって、表情も生き生きとしてきた。


 レオとの毎日は、楽しかった。

 訓練でつくってくる擦り傷を癒し、一緒に食事とおやつを食べ、彼が寝付くまで物語を読んだ。

 あんなに退屈で無味乾燥だった日々が嘘のよう。

 灰色の世界が彼のおかげで色づいた。

 レオを引き取ったのは、わたしの単なるわがまま。

 自分の子を持つことはかなわないからと、母親ごっこをしているにすぎない。

 けれど、レオが笑ってくれるから。幸せなんだと言ってくれるから。

 私は、幸せだった。


 けれど、その幸せを邪魔する者もいた。

 よりにもよって、私がレオに性的ないたずらをしている、そのために子供を引き取った、という悪意の塊のような噂を流した人物がいた。

 絶対に許せない。

 私の名誉ももちろんそうだけど、何よりも、レオがそんな目で見られるのが許せなかった。

 だから私は噂の出所を執念で突き止め、昼食時の神殿の食堂という人目の多い場所で噂を流した侍女の前に立った。


「あなたが噂を流した侍女ですね」


「あっ……」


 彼女が何か言う前に、“真実の口”を侍女に施す。


「これで嘘は吐けません。さあ、答えなさい。耳が汚れるような嘘を……私が引き取ったあの子を性の対象にしていると噂を流したのはあなたですね」


「あ、私は……私は……」


「違うのなら一言“違う”とおっしゃい。それであなたの無実は証明されます。真実の口を施した上で違うと言えるのですから」


 大人しく、自分の意見も希望も滅多に口にしない聖女。

 そんな聖女が自分の前に立ち、聖なる力まで使ったうえでわざわざ人目のある場所で自分を断罪しているなんて信じられない。

 ……とでも思っているのかしらね、その顔は。


「お、お許しください……決してそんなつもりでは。もしかしたらそうなんじゃないかって、それくらいで……」


 すべて言い切る前に、私は侍女の頬をひっぱたいた。

 たいして強くは叩いていないけど、ショックが強かったのね。侍女は床に座りこみ、がくがくと震えている。


 食堂が、痛いほどの静寂に包まれた。


「ねえ。私はどういう存在?」


 しゃがみこんで、腰が抜けている侍女に問う。


「え?」


「答えなさい」 


「せ、聖女様です」


「そう。すべての自由を捨て人生をかけ、身を削るようにこの大陸の瘴気を浄化し続ける聖女です。国のため大陸のために尽くすその聖女を、あなたは淫乱な娼婦以下の存在に貶めようとしたのです」


「ち、違います。ほんの、軽い気持ちで」


「軽い気持ちで聖女を貶め、無垢な子供を性的虐待の被害者に仕立て上げたのですね。それともあなたは見たのですか? 私がレオに性的な振る舞いをするところを。一度でもそういう場面を見たことがあるのですか?」


「見て、おりません。お、お許しくださいー!」


 泣きわめく侍女に冷たい一瞥をくれ、立ち上がる。

 ちらりと周囲を見渡すと、皆一様に驚愕の表情を浮かべていた。サラですら顔色をなくしている。

 そうね。私は本当はおとなしい聖女ではないの。

 そして、したたかなの。


「私も軽率でした。いくらあの子が可愛いとはいえ、このような悪意ある噂が立つことなど想像もつかず、同じ部屋で生活してしまったのですから」


 誰にともなく吐き出す言葉を、皆が聞いている。


「結婚も許されない身でありながら母親になるという夢を捨てきれず、血縁のないあの子を引き取って母親になろうとしたことが間違いだったのですね。けれど、私は一度でいいから、母親になりたかった……」


 私の深緑色の瞳から、ひとつふたつ、涙がこぼれる。

 食堂全体にさざ波のように動揺が広がっていく。


「聖女様」


 声をかけてきたのはランス卿だった。

 今日は詰所じゃなくてここで食べてたのね。


「私は聖女様があの子を引き取った経緯を見ています。慈愛の心こそあれ、邪な目的があったなどと毛の先ほども思っておりません。ここにいる皆もわかっているはずです」


「そうでしょうか」


 はらはらと涙をこぼす私に、ハンカチを差し出してくれる。

 その表情は、どこか面白がっているようにも見えた。

 いたずらっぽい表情を浮かべる整った顔に、私の心拍数があがる。あーもう何考えてるの、こんなときに、年下相手に。


 でも彼はどうやらわかっているみたいね。

 私が噂を打ち消すために、わざわざ人目の多い場所で侍女を断罪した挙句ウソ泣きをしているということを。

 あくまで母親として接しているのだとアピールするために、母親になりたくてもなれなかった哀れな女を演じているということを。

 まあ、本音でもあるんだけどね。

 それに、私にはやましい点は何もないわ。

 あの子を薄汚い噂から守るためなら、「不名誉な噂を流した侍女をフルスイングでひっぱたいた聖女」という話が広まってもいい。

 

 ランス卿は、いたずらっぽい表情を引っ込め、真面目な顔つきになった。


「聖女様。ただの噂と切り捨てるには、今回の噂は下劣すぎました。事実無根の噂を流し聖女様の名誉を汚したこの侍女をそのままにはできません。神聖騎士団にて取り調べの上、しかるべき処置をしたいと思います」


「お任せします」


 命を奪うことはないように、と小声で言うと、ランス卿はちいさくうなずき、侍女を連れて行った。


 ランス卿のおかげで助かったわ。

 聖女について不名誉な噂を流せばただでは済まないということを見せつけられたから。

 サラもしばらくはおとなしくなるでしょう。

 私は「昼食時にお騒がせしてすみませんでした」と一礼すると、部屋に戻った。


 ティータイムになって、訓練を終えたレオが焦った顔で部屋に飛び込んできた。

 どうやら昼間の騒ぎを聞きつけたらしい。

 まあ、あれだけ派手にやってしまえば、レオの耳にまったく何も届かないというのは無理でしょうね。


「ランスのオッサ……ランス様は詳しく話してくれなかったけど、オレのせいで何か悪い噂を流されたんだろ?」


「あなたのせいではないわ。私のせいよ」


 座るよう促すと、苦い顔でソファに座った。

 いつもなら座るなりすぐにおやつを食べ始めるのに、今は手を付けようともしない。


「私が能天気すぎたの。あなたに悪いことをしてしまったわ。私のせいで悪い噂に巻き込んでしまった」


 レオの隣に座って、彼の頭をなでる。

 汗をかいてはいるけれど、今では髪もサラサラね。鮮やかな赤が、とてもきれい。


「あんたのせいなわけあるか。オレが……オレのせいで……」


「私が話をつけたから、もう大丈夫よ。何も心配いらないわ」


「でもあんたが泣いてたって誰かが言ってた」


「ウソ泣きよ。しかも悪い噂を流した人にビンタまでしちゃったわ。あなたに何か言う資格を失ったわね。というわけで私は今日おやつなーし」


 泣き笑いのような顔で、レオが笑う。

 ああ、かわいいなあ。

 彼の隣から移動して、向かいの席に座る。


「また不名誉な噂が広がらないよう、部屋は別にしなきゃいけないわ。でも、あなたさえ良ければ夜以外はいつでも来てね。あなたがいる間は厭味ったらしくドアを全開にしておくから、もう何も言われないわ」


「オレが来たら聖女様は困らないか……?」


「そんなわけないじゃない。とてもうれしいわ。それにまた悪いことを言う人がいたらまた私がやっつけるわ」


 ね、と笑うと、レオはうつむいた。


「オレ、心も体も強くなるよ。はやく大きくなって、オレがミリア様を守るから」


 あ。

 はじめて名前で呼んでくれた。

 しかも守るだなんて。なんていじらしいの。


「そしてミリア様をお嫁さんにする」


 飲んでいた紅茶をぶっと吹き出す。

 お嫁さんって。一体何歳差!?

 でも、子供ってそういうものなのかもしれないわね。

 ぼくお母さんと結婚する! 私お父さんと結婚する! なんてよく聞く話だし。

 そう考えるとうれしいわね。


 この子はどんな大人になるのかしら。

 きっとかっこいい男になるわね。きれいな顔をしてるし、こんな年齢なのに男気もある。

 そして優しい男になるわ。

 でも反抗期にはクソババァとか言われたりするのかしら。

 それも過ぎて、いつかお嫁さんをもらって。私は姑みたいな立場になるのかしら?


 ああ、女神様。

 願わくば、この子の成長を少しでも長く見守っていられますように。


   

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