第5話 少年レオ


 ソファに横たわりながら、窓の外をぼんやりと見る。

 ここからはきれいな月がよく見える。

 前世でも―――ミリアだったときも、よくここから月を眺めていた。


 配置換えにした侍女たちは案外優秀だったようで、ソファを含めた家具はちゃんと入れ替えられていた。

 さんざん脅したせいもあるのだけど。

 このソファもベッドも前世で使っていたものだから、すごくしっくりくるわ。

 ほとんどが前世と同じ部屋。

 けれど侍女が寝泊まりする続き部屋は完全に塞がれていた。前聖女がそうしたらしい。

 他人がいると寝られないタイプだったのかしら。


「前聖女、ね。名前はオリヴィア? シルヴィアだったかしら。もうどうでもいいけれど」


 牢を出た後、陛下に再度お会いしたけど、勝手な行動を咎めるどころか感謝をされてしまった。

 今まで気づかなかったことを恥じるとまで。

 牢に入っていた人たちは王立病院で念のため検査入院とのことだったけど、特別室で手厚い待遇を受けるから心配いらないと仰ってくださった。

 今の陛下はとてもお優しい方だわ。先王は暴君ではなかったけど、何事にも関心の薄い人だった。


 そして赤銅色の髪の騎士―――レオは、衰弱していてまだ意識もないのであまり長い距離を動かさないほうがいいとのことで、そのまま王宮の医務室にとどまることになった。

 命に別状はなく王宮所属の医師が診てくださることで、少し安心できた。

 彼は間もなく副団長になるのが確実と言われていたほどの騎士だったけど、侍女と駆け落ちしていなくなったということになっていた、らしい。

 もちろん、その侍女とは牢に入っていた彼女のこと。

 神官長がその話の出どころでしょうね。

 神殿は閉鎖的で王族ですらその権力が及ばない部分があるから、そんな人形劇並みの話や今回のような犯罪まがいなことがまかり通ってしまう。


 静寂の部屋に、私のため息がひびく。


 彼の名前は、やはり「レオ」だった。

 たぶん、成長したあの子なのだろう。

 大きくなった。私よりもずっと。

 背丈だけでなく、私の年齢までも追い越してしまった――。



********************



「ミリア様。お支度が整いました」


 相変わらず意地の悪そうな顔でサラが言う。

 そんな彼女に気づかれないよう、彼女が整えてくれた身なりを鏡でそっと確かめる。

 うん。今日は問題ないわね。

 たまにひどい髪形にしていたり、服が汚れていたりすることがあるから油断できない。

 そういえば以前、後ろでアップにしてもらった髪型がうん〇そっくりだったことがあったわ。茶色い髪だからよけいに嫌な感じ。

 外出前に気づいて事なきを得たけど、聖女がそんな髪型でウロウロしていたら侍女の自分の評価が下がるとは思わないのかしら。

 思わない……というよりどうでもいいのね。私への嫌がらせに命をかけてる感じだわ。

 どうせ指摘したって「うん〇などとんでもない! 聖女様ともあろうものが、そのような下品な発想を!」とか言うんだろうし。

 あー性格悪い。


「ミリア様。皆様がお待ちです」


「今出るわ」


 サラが明けているドアを、警戒しながら通り過ぎる。

 だって以前挟まれたことがあるんだもん。

 とんでもないミスを! 申し訳ございません! と謝ってたけどその口元が笑っていたのを知っている。

 あー腹が立つ。


 今日は年に一度の孤児院への慰問。

 侍女だ騎士だと色々ついてくるから自由なんてないけど、それでも城下町へ下りられることがうれしかった。


 馬車に揺られて着いた先は、私が育った孤児院よりもさらにボロボロなところ。

 まあ、どこもこんな感じよね。

 サラはあからさまに顔をしかめて馬車で待つと言い放った。

 こんな侍女がいていいものかしら。でもまあいいわ。彼女がいない方が自由に動けるもの。

 

 中に入ると、職員と、妙に身ぎれいな子供たちが迎えてくれた。

 この子たち、普段からこんなに身ぎれいにしてもらってるのかしら? たぶん違うわね。今日のために入浴させて、服も新しいものを用意したんでしょ。

 孤児院の現状をわかっているから、ため息しか出ないわ。


 本当は、こういう子供たちを救ってあげたい。

 建物もせめて補修したいし、痩せたこの子達が美味しいものを食べられるようにもしたい。

 でも、私には何の権力もない。

 陛下にはもう直接会えないから神官長に言ってみたことがあるけど、「善処します」のみ。

 明らかに何もしていないわねあの神官長。ハゲればいいのに。


 聖なる力なんてあっても。聖女なんてたいそうな名前の役職があっても。

 私は、無力だわ。


 鬱々とした気持ちを隠しながら、子供たちにプレゼントを渡していると。

 聖なる力のためか人より音をよく拾うと言われている私の耳が、かすかな声をとらえた。


「……?」


「どうかなさいましたか、聖女様」


 騎士の問いに、自分の唇に指をあてて「静かに」と返す。


「今何か聞こえませんでしたか?」


「私にはわかりませんでしたが……」


 ううん。かすかに、子供の声が聞こえた。

 ……地下から?


「院長。地下には何があるのですか?」


「……! そ、倉庫があるだけでございます」


「子供の声が聞こえるようですが。倉庫に子供が?」


「っ! さ、作業をさせておりまして……」


「そうですか。慰問は子供たち皆に会うことを目的としています。その子にも直接プレゼントを渡したいので、会わせてください」


 院長の表情が、苦虫を噛み潰したようにゆがむ。


「聖女様。正直にお話しいたします。地下にいる子供は、大変危険なのです。やんちゃなどという言葉では表せないほど乱暴で、子供とは思えぬほど力も強いので手に負えず……」


「何歳の子ですか?」


「七歳です」


「その子はずっと地下に? これからも?」


 院長の眉間のしわが深くなる。

 口を出すな、と顔に書いてあるわね。


「ずっとはおりません。……更生施設に送ろうと思っています」


 更生施設?

 私は振り向いて、騎士の一人に更生施設とは何かを問う。

 鮮やかな金色の髪をした騎士は、気まずそうな顔をした。

 この人の名前は、ランスだったかしら。甘く整った顔立ちで侍女たちがきゃあきゃあ言っていたから覚えている。

 たしか平民出身だと誰かが言っていた。「ランス様って平民出身だけど将来有望ですごくイケメンで~」みたいな。


「あなたのお名前は、ランス卿で合っているかしら」


「はい。覚えていただき光栄です」


「ではランス卿、教えてくださる?」


 彼は諦めたような顔をした。


「更生施設とは、子供の更生を目的とした施設でございます」


「そのままね。具体的にはどういうところですか?」


「……。実態は刑務所に近いものがあるかと……。自由はなく、それぞれ定められた期間が終わるまではその施設から出ることができません。軽作業や農業、力仕事もするようです。通常、七歳という幼さで入ることはないのですが」


 刑務所!? そんな小さな子供を!?


「面倒を見切れないから、そのようなところに送るのですか?」


「簡単に仰いますが。他の子供達の面倒も見ながら、反省などという言葉を持たない乱暴な子供を育てていくのは不可能でございます。だからといって帰すような場所もありませんので」


「聖女様に対して無礼であるぞ」


「……失礼いたしました」


 そうよね。

 これが、この国の孤児院の現実。

 酷いことをと思うけど、院長ばかりを責めることはできない。

 どこの孤児院も人員的に余裕がないのに、一人の問題児に時間をかけてケアしてあげることなんてできないもの。

 けれど、更生施設に入ったその子はいつ出られるの?

 そこから出たその子は、どうなってしまうの? 明るい未来が待っているとは思えない。


「その子に会わせてください」


「しかし、御身に危険が」


「優秀な騎士達がいますから」


 そう言うと、騎士たちは心配を口にしながらも「必ずお守りします」とどこか誇らしげな表情になった。

 院長は私が引き下がらないとわかったらしく、かなりしぶしぶ地下へと案内した。


 地下にあったのは、たしかに倉庫だった。

 けれど、中に入っていたのは物ではなく鮮やかな赤い髪の男の子だった。

 扉には鉄格子まである。

 これじゃあまるで受刑者だわ。


「誰だよあんた」


 琥珀色の大きな瞳で私をにらみつけてくる様は、なるほど七歳の子供らしくはない。

 そして全身を覆う“気”の強さ。

 私は“気”の力を感知する能力はさほど高くないけど、それでもこの子が子供とは思えないほど強い“気”を放っているのがわかる。

 ランス卿とは別の騎士が男の子に対して何かを言いかけたけど、手を上げて止めた。


「こんにちは。私はミリアよ。職業は聖女です」


「聖女……? そんな身分のやつがオレに何の用だよ。オレを笑いに来たのか?」


「別に笑うような要素はないわ」


「ふん。じゃあ帰れよ。見物して満足しただろ?」


 男の子が鉄格子を蹴る。

 騎士たちが動きそうになるのを再度止めた。


「あなたは他の子に乱暴するの?」


「自分より小さいやつにはしねぇよ。主に大人だ」


「じゃあどうして大人に乱暴するの?」


「質問ばっかで面倒くさいババアだな」


 ババア? ババアとおっしゃいましたかこのクソガキは。

 その柔らかそうなほっぺたを思いきりつねってやろうかしら。

 でも私が怒るわけにはいかない。

 だってランス卿他二名の騎士たちが、今にも剣を抜きそうなんだもの。

 

「ババアというのは女性には禁句よ。失礼だからおやめなさい。で、どうして?」


「ふん。イライラするからだよ。悪いことがありゃいつでもオレのせい。まあだいたいはオレがやってるんだけど、そうじゃない時もあるのに話も聞きゃしないで殴りやがる。だからオレも十倍返しで殴り返すのさ。文句あるか」


「あるわよ。十倍返しはよくないわ。せめて同じくらい殴る程度にしなさいな」


「……」


 聖女様、とランス卿が声をかけてくる。


「もう戻りましょう。たしかに血の気の多いクソガキです。“気”の力もやけに強く、子供とは思えません。これ以上いても聖女様がご不快になるだけです」


「血の気の多さは“気”の強さからきてるのかもしれませんね。“気”の力は生命力そのものですから。子供の体に宿るには強すぎる力を持て余してイライラしているのかも」


「たしかにそうかもしれませんが」


「鍛えたらいい騎士になるかしら? 紋章術は“気”の力を使うし」


「なるとは思いますが、まさか」


「では院長。この子は私付きの騎士見習いとして私が引き取ります」


 そんな言葉が、するりと口から出た。

 それは孤児院にいた過去の自分を重ねたゆえの同情だったのか。

 ほんの気まぐれだったのか。

 それとも、ずっと秘めていた決して叶わない願い……子供を産み育ててみたいという身勝手な欲望からだったのか。

 きっと全部ね。


「聖女様……!?」


「一体何を!?」


「お考え直しください!」


 騎士たちが驚いて口々に反対する。

 それは驚くわよね。

 今までわがまま一つ言ってこなかったおとなしい聖女が、よりにもよって突然孤児院から乱暴な子供を引き取るだなんて言うんだもの。


「おい、何いってんだ」


 男の子が戸惑いを隠せない顔をしている。

 でも犬の子じゃないんだから、ちゃんと本人の意思を尊重しないとね。


「あなたの人生ですから、あなたが選んでね。私と一緒に行くか、ここに残るか」


「……。おいジジイ」


 男の子が院長に向かって呼びかける。

 ジジイもダメよ。


「なんだ」 


「ここに残った場合、オレはどうなる」


「お前にここに残る道などない。お前は手続きが済めば更生施設に行くことになっている」


「……」


 男の子の勝気な瞳が、一瞬揺れた。

 傷ついたような表情に、胸が痛む。


「で、お優しい聖女サマはその話を聞いてオレに同情したわけか」


「そういうことになるわね」


 そんなことないわと誤魔化しても仕方がないので、正直に言う。


「でもいい騎士になってくれるんじゃないかという期待もあるわ」


「はっ……そんなもの……」


「ではここに残る? 強制はできないわ」


「……」


 くそ、と小さくつぶやく。

 更生施設に行くのは嫌だろうし、ここから出たい気持ちも強いのでしょうね。

 けれど、その気の強さゆえにプライドも高いのか、誰かに同情されたりするのも嫌なのね。

 ほんとに子供らしくないわ。


「同情されるのはプライドが許さないかしら」


「……」


「でもチャンスを邪魔するだけのものなら、そんなプライドなんて無意味よ。プライドなんかじゃお腹も膨れない、小銭すら稼げない。私に同情されて悔しいなら、私の予想をはるかに上回るくらい強くてかっこいい騎士になって私を見返してちょうだい」


 その言葉に、男の子がうつむく。

 何かに耐えようとするように、固く握りしめた小さな拳が震えていた。


「……。一緒に、行きます。オレを連れて行ってください」


「わかりました。院長、カギを」


「は、はい」


「聖女様……」


 ランス卿が額に手を当てて天をあおぐ。

 ああもう、何も言わないで。


 鍵が開けられて出てきた男の子は、まっすぐ顔をあげてこちらを見ていた。

 いい目をしているわ。


「君、名前は?」


「レオ」


「いい名前ね。これからよろしくね、レオ」


 レオの瞳から宝石のような涙がひと粒、落ちた。

 何を思っての涙だったのかしら。

 口惜しさ? 安堵? 寂しさ?

 私にはわからない。けれど、わかるようになりたい。


 この子を引き取ることは、おそらくは最初で最後の大きなわがままなのだから。


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