第4話 神殿の地下に


 陛下との謁見を終え、神官長と先ほどの近衛騎士とともに地下通路を通って神殿に戻ったところで、ふと、通路の奥に見たことのない扉があることに気づいた。

 前世では、たしかあそこは食料倉庫か何かだったはずだけど……扉が以前と変わっているわ。

 変わっているだけなら別に気にしなかったのだけど、妙に重厚な鉄扉になっている。


「神官長」


「なんでございましょう」


「あの扉の奥には何があるのですか? ずいぶんと頑丈そうな扉ですね」


 神官長の顔に、明らかに動揺が走る。


「あ、あの扉の奥は……食料倉庫でございますすすす」


 いや動揺しすぎでしょう。

 毛根が死滅した頭に、うっすらと脂汗が浮かんでいる。

 ……何か怪しい。


「何故あんな扉を? 重くて開閉しづらそうですわね」


「あ、それは、ネズミが入らないように……」


 ネズミが出るにしてもドアはほとんど関係ないでしょう。

 ネズミがドアを開けて出入りしているわけじゃあるまいし。 


「そうですか。では見せていただけますか? 神殿のどこに何があるか把握しておきたいのです」


「その……聖女様にお見せするようなものでは」


 私は大きくため息をついた。


「騎士様」


「は、はいっ」


 突然声をかけられた近衛騎士は驚いて背筋を伸ばす。


「あの扉を、開けてみていただけませんか?」


「はっ。仰せのままに」


「せ、聖女様!」


 神官長の切羽詰まった声を無視して扉に近づく。

 重そうな鉄の扉が、目の前に現れた。

 鍵穴もなく、一見すると鍵がかかっているようには見えない。

 けれど。


「では、お開けします」


 騎士が一歩前に出る。

 なぜか嬉しそう。


「お願いします」


「承知いたしました!」


 元気に返事をして取っ手に手をかける。

 けれど、開かない。

 屈強な騎士が思い切り引っ張っているというのに、開かない。

 騎士のプライドゆえか意地になって壁に足をかけて汗だくになって引っ張るけれど、やっぱり開かない。


「ありがとう、もういいですわ。騎士の力でも開かないということが証明されましたわね」


「……?」


 近衛騎士が不思議そうな顔をする。


「ねぇ、神官長?」


「……」


 私は取っ手にそっと手をかける。

 ――やっぱり。

 魔法で鍵がかけられている。

 聖なる力に扉を封印するという魔法はないけれど、たしか土と水の複合魔法にそういうものがあった。かなり高度な技術を要するはず。


「これはあなたの魔法ですね、神官長」


「……」


「沈黙が答えですね。さて、食糧倉庫になぜ魔法で施錠が必要なのでしょうか。まさか食糧泥棒が出るなどという戯言はおっしゃいませんよね」


 言いながら、私は手から聖なる力を放出した。

 ぱきん、と何かが壊れるような音が響く。

 私が取っ手を引っ張ると、扉は重いながらもあっけなく開いた。


 扉が開くと同時に流れ出てくる悪臭に顔をしかめる。

 かすかに聞こえてくる、人がうめく声。

 目の前には、下へと続く階段。

 カーブしているので、下に何があるかまでは見えないけれど……。


「地下牢ですね?」


「……」


「答えなさい」


「……。左様でございます」


 神官長ががくりとうなだれる。


「誰を閉じ込めているのですか? 罪状も詳しく話しなさい」


 私は神官長の口元に手をやり、聖なる力による魔法の一つ、“真実の口”を神官長にかけた。

 これをかけられた者は、嘘がつけない。

 持続時間が短いのと、嘘がつけないだけで黙っていることはできるというのが難点だけど。


「さあ、これで嘘は通じません。そして言い逃れはさせません。話しなさい」


「……。前聖女様を……お諫めした神官が四名、侍女が一名。前聖女様の悪口を言ったとされる庭師二名。それから……前聖女様のお気持ちを拒みつづけた挙句暴言を吐いたという神聖騎士団の騎士が一名でございます……」


「前聖女の命令だったと?」


「はい。逆らえなかったのです……」


 ひどすぎる。

 前聖女の気持ちは少しはわかると思っていた自分が恥ずかしいわ。

 贅沢もどうかと思うけど、まさかこんなことまでしていたなんて……!


「当然、裁判などはしていないということですね」


「はい」


「違法に閉じ込めていたと」


「……はい」


「陛下はこのことをご存じなの?」


「いいえ! 前聖女様に固く口止めされており……」


 良かった。

 陛下が知っていて知らないふりをしていたのなら、不信感が芽生えるどころじゃないわ。


 それにしても、こんなところに地下牢ができていて誰も気づかなかったの?

 いくら元からあった食糧倉庫を利用したのだろうとはいえ。

 扉が変わったり不自然に聖女や神官長が出入りしたりしていただろうから、不穏な空気を感じていた人はきっといたはず。

 でも、神殿で神官長と聖女に逆らえる者はいなかったのかもしれない。


「なぜあなたは神官長という立場にありながら、前聖女の暴挙に協力していたのですか」


「し、仕方がなかったのです。言うことをきかなければ、浄化の力を使わないと。それどころか、この国を呪って瘴気で満たしてやると……!」


 呪って瘴気で満たす?

 そんなことできるわけがないでしょう。

 そもそも聖なる力はあくまで聖なる力。呪いの力になんて変換できないはずよ。

 それに浄化の力を使わないというのなら、もう三十を超えた聖女を聖女に据えておく理由もない。聖女の交代をすればいいだけだわ。

 ――本当にそれだけ? 神官長が前聖女に協力した理由は。


「そう。それであなたはここにいる人たちを見殺しにしようと思ったのですね。死ねば全てがなかったことになると」


「そのようなことは決して……! 近々陛下や聖女様にご相談するつもりで……」


「事なかれ主義もたいがいになさい!」


 怒りとともに聖なる力の波動を受けて、神官長がその場にへたり込んだ。

 魔力の高い人間には、聖なる力の波はこたえるでしょうね。

 近衛騎士が後ろで息を飲む気配がしたけれど、どう思われても構わないわ。


「前聖女の脅しなど関係ない。あなたは自分の立場さえ安泰ならそれでいいという人間です。そうでないというのなら、とっくに陛下やわたくしに相談していたはずです!」


 前世でもそうだった。

 侍女の配置換え一つ真剣に考えてもくれず。

 体の不調を訴えても「お疲れなのでしょう」で済ませた。

 もう許せない。


 私は神官長の額に手を乗せると、聖なる力を放出した。


「ひ、ひぃぃぃ!」


 手を離すと、神官長の額には“聖印”が刻まれていた。

 八つの花弁を持つ花のようなそれは、魔法を封じる刻印。

 聖なる力は魔法に対して特に強い。

 物理攻撃には弱いのだけれど。


「騎士様」


「はい」


「陛下にご報告を。この者も連れて行ってください。今はもう魔法を使えないただの老人ですので危険はありません」


「かしこまりました。聖女様はいかがなさいますか」


「地下へ下ります」


「危険です! 誰がどんな状態でいるかもわかりませんし、聖女という存在を恨んでいるかもしれません」


「ですが牢にもおそらく魔法がかかっているでしょう。こう見えて神官長の魔法は強いうえに緻密です。わたくしでなければ解除できません」


「しかし……まずは陛下のご判断を……」


 神殿においては、基本的に聖女と神官長の決定が王よりも優先される。

 国家の安全や政治に関わることでなければ、だけど。

 事態が事態だけに陛下に報告して指示を仰いでから救出するのが筋なのはよくわかっている。

 けれど。


「急ぐのです。重傷を負っている人もいるかもしれません」


 お願いです、と見上げると、騎士は真っ赤になった。


「わかりました。すぐに別の騎士をここに向かわせますので、決してお一人では下りないでください。どうかこれだけはお聞き届けいただきますよう」


「わかりました。ではここで待ちます」


 近衛騎士は心配そうに何度か振り返りながら、神官長を連れて地下通路へと向かった。

 ほどなくして、別の近衛騎士二名が走ってきた。

 どちらも二十代後半と思われる、濃い灰色の髪の騎士と黒髪の騎士。

 素人目に見ても強そうな二人ね。思ったよりも早く来てくれて助かったわ。


「お越しいただきありがとうございます、騎士様。事情はご存じでしょうか?」


「詳細は存じませんが、おおまかには。お供いたします」


「ありがとう」


 灰色の髪の騎士が手のひらの上に火の玉を出して、先に地下へと下りる。

 あれは魔法ではなく紋章術ね。

 そういえば地下に下りるんだもの、明かりも必要だったわね。

 私の火の魔法ではマッチの火程度しか出ないから、助かったわ。

 光の魔力は大きいのに、光の魔法に「光を生み出す」というものがないから不便極まりない。

 光の魔法っていったい何なのかしら。他の属性と組み合わせないと有効な魔法にならないし。


 下りるほどに強くなる悪臭と、うめき声。

 黒髪の騎士は後ろからついてきた。

 階段を下りきったところで、灰色の髪の騎士が止まる。

 狭い通路を大きな体で遮られているので、よく見えない。 


「騎士様?」


「あの……清らかな聖女様がご覧になるような光景では……」


「お気遣いありがとうございます。ですが道をお空けください。わたくしには聖女としての責任があります」


 騎士が一歩中に入って横に退ける。

 私は、思わず息をのんだ。


 両脇に、鉄格子で仕切られた牢が四つずつ。

 正面に大きなものが一つ。

 明かりは魔道具のランプがひとつあるだけで、灯してもらっている騎士の炎がなければかなり暗いだろうと予想された。

 牢の中にはかろうじてトイレの仕切りらしきものは一つあるけれど、この悪臭からして決して清潔な状況じゃないのは想像に難くないわ。


 一番手前の牢には、まだ若い女性が入っていた。

 痩せていて、オレンジ色の髪も伸びっぱなし、服もボロボロになっている。

 こんなところに若い女性を入れるなんて!

 彼女はのろのろと顔をあげて私の存在に気付くと、ぽろぽろと涙を流し始めた。


「ああ……お美しい天使様……私を、迎えに来てくださったんですね……」


「わたくしは天使ではありません。……聖女です」


「ひっ……!」


 女性の顔が恐怖にひきつる。

 牢に入っているほかの男性たちもどよめいた。


「聖女……聖女だと……!」


「またオレたちに嫌がらせしに来たのか!」


「お許しください、お許しください!!」


「たすけて……」


 なんて哀れな人たちなのだろう。

 こんな牢に入るような悪事を働いたわけでもないというのに。

 日の光もささず風も流れないこの場所で、どれほどの恐怖と絶望に苛まれてきたの。


「静まれ。このお方はお前たちを牢に入れた聖女ではない。その聖女は死んだ。この方はこの度新たに就任された聖女様だ」


 騎士の言葉に、皆が動揺する。


「死んだ……あの聖女が死んだ……?」


「本当に……?」


「な、なにかの罠じゃないだろうな!」 


「いやでも……ついこの間来た時はひどく具合が悪そうだったぞ……」


 まだ信じられないという様子の人たちに、安心させるように「みなさん、心配はいりません」と声をかける。


「すぐにここから出しますから。あなたたちを傷つけたりはしません、どうか落ち着いてくださいね」


「だが万が一このお方を害するようなことがあれば、お前たちは本物の罪人になる」


 後ろの黒髪の騎士が剣の柄に手を置こうとするのを、首を振って止める。


「大丈夫です、騎士様。ここに害意のある人間はいません。あるのはただ、苦痛と恐怖と今は戸惑いだけ……わたくしにはわかります」


 堅物そうな騎士は、手を下ろして小さく頭を下げた。

 ただでさえ怯えているところに、剣を見せつけるようなことがあってはならないわ。


 ゆっくりと前に進みながら、両脇の牢に魔力を送る。

 パキン、パキンと魔法が解除される音が響き、牢の扉はきしむ音とともにゆっくりと自動的に開いた。

 喜びの声とむせび泣く声を聞きながら、正面の牢の前に立つ。


 長身の男性らしき影が横たわっていた。


 時折低くうめく声がする。

 灰色の髪の騎士が中を照らすように炎を近づけて、私は息をのんだ。

 赤銅色の髪の男性が、上半身裸でこちらに背を向けて横たわっている。顔は見えないけれど体つきからして若い男性だというのはわかる。

 手と足には鎖。

 そしてそのたくましい背中に、顔をそむけたくなるほどのひどい裂傷がいくつもあった。


 私は鍵を開けると、急いで中へ入った。


「聖女様! 危険です!」


 騎士があわてて私の腕をつかむ。

 けれど、はっとしたようにご無礼を、と手を離した。


「お気になさらず。それに心配はいりません。意識がないようです」


 私は彼の背中に手をかざすと、癒しの力を使った。

 ひどい裂傷がみるみる消えていき、騎士が思わずのように感嘆の声をもらした。


「お見事です、聖女様。これ程のお力とは……」


「ありがとう。けれど……」


 いまだうめく彼の首筋にそっと触れ、体温を確かめる。

 やはり、ひどく熱が高い。傷のせいだわ。

 まだ意識も回復しない。


「聖なる力は、傷は癒せても衰弱や病を治せません。彼の熱を下げることもできないのです。……彼を運ぶのを手伝ってくださいませんか?」 


「承知いたしました」


 騎士が男性の近くにしゃがみ込む。

 私はそれを見届けてから牢を出た。


「ジーク、灯りを」


 灰色の髪の騎士が黒髪の騎士に声をかける。

 黒髪の騎士が手に炎を宿し、同時に灰色の髪の騎士が炎を消した。

 どちらも炎の紋章術使いなのね。

 攻撃力が一番高いから、騎士の間では一番人気なのよね、炎って。


「他に怪我をしている方、自力で動けない方はいませんか?」


 牢から出て涙を流しながら喜びを噛みしめている人々に声をかける。

 皆、互いの顔を見合わせ、首を振った。


「だ、大丈夫です、聖女様」


 答えたのは、先ほどの女性だった。

 声からするとまだかなり若い。


「私たちは時々嫌がらせこそされましたが、暴力はありませんでした。その方だけ、……前聖女様が、鎖で吊るして鞭で……数日前、最後に来た日は特に酷く……」


 そこまで言って、女性が涙を流す。

 きっと怪我をしていた男性は、神官長が言っていた「聖女の気持ちを拒んだ騎士」なのね。

 牢にいたせいで少し衰えてはいるようだけど、体つきは明らかに鍛え上げられた軍人のもの。

 可愛さ余って憎さ百倍なのか知らないけど、好きな男によくこんな真似ができるわ……。


「あ、あの聖女様! 助けていただきありがとうございました!」


「お礼が遅くなり申し訳ありません! ありがとうございます!」


「心から感謝いたします……!」


 皆が床に這いつくばって感謝を述べる。

 私を見上げたその顔には、感謝を通り越して崇拝のようなものが浮かんでいる。

 うーん、それはそれで良くないわね。

 わがままに楽しく生きるのが目標なんだから、あまり崇拝されてもやりづらい。


「べ、べつにあなたたちのためではありませんわ。わたくしが暮らす神殿の地下にこのような場所があることが不快なだけです。感謝なんて必要ありませんわ、このような所で這いつくばっていないでさっさとお立ちなさい」


 ふん、と横を向くと、誰かが「ツンデレか」とつぶやく声が聞こえた。つんでれってなに。


「それよりも早くここを出ましょう、騎士様」


「承知いたしました」


 黒髪の堅物騎士が頭を下げる。

 私は彼に近づくと、声をひそめた。


「この方たちをお願いできますか? どこか目立たない場所へ案内していただき、近衛騎士団長か陛下の指示を仰いで下さい。できれば、彼らに診察と温かい食事などを……」


「はっ、心得ました」


「衰弱している騎士は、神聖騎士団所属ということです。医師の診察と休息が必要ですが、神聖騎士団の医務室に連れて行くと混乱が起きると思います」


「では王宮の医務室へ目立たぬよう連れて行きます。少ないながらも個室がありますし」


「感謝いたしますわ。陛下に直接お仕えする立場の方々に無理を言ってしまって申し訳ありません」


「もったいないお言葉です」


「勢いでここまで付き合わせてしまいましたが、貴方達が陛下から咎められるということは……? 例えば持ち場を離れた、王族以外の指示に従った、というように」


 騎士がふ、と笑う。

 強面だけど、笑うと優しそうね。


「団長の許可は取ってありますのでご心配には及びません。聖女様のご指示に従うのも、聖女様がなさっていることが陛下の意に反するものではないと確信しているためです。どうかお気遣いなく」


 本来、聖女が命令を下していいのは神聖騎士団の騎士だけで、今ここに来ている近衛騎士は王族にのみ使える騎士。

 近衛騎士にあれこれさせるのは越権行為よね。

 神聖騎士を呼んできてもらうべきだったかしら? でも現時点では神聖騎士団がどうなっているかまったくわからないから、神官長の息がかかった騎士が来ても困るし。

 いずれにしろ申し訳ないことをしたわ。

 ここから出たら陛下にも一言お詫びをしなくては。


「では参りましょう、聖女様。牢に入っていた者たちは私に続いて歩いてくれ。聖女様はその後ろを」


「ええ」


 黒髪の堅物騎士、解放された人たち、私、衰弱した騎士を背負った騎士、という形で並び、少しずつ階段を上りはじめる。


 それにしても、背負われている騎士が心配だわ。

 熱にうかされて時折低く呻いている。

 私にできることはこれ以上ないのだけれど……。


 彼を振り返り、ふと……何かが心をよぎった。

 ぐったりと背負われた彼の顔は、よく見えない。見えない……けれど。

 なにか……。


「聖女様? 彼を心配なさっているのですか」


 彼を背負った騎士に問われ、はっとする。


「そうですね……急ぎましょう」


 後ろを向きながら階段を上るわけにはいかないので、後ろ髪をひかれる思いで前を見る。


「う……う」


 低くかすれた声。

 聞いたことがないはずのこの声に、どうして心が騒ぐの?

 なんにしろ、今はここから出て治療を受けさせるのが先よ。

 いろいろと考えるのは、後に――


「ミ……リアさ、ま……」


「……!」


 心臓が、わしづかみにされたような感覚。


 うわごとで彼が口にした、その名前。

 ミリア。

 前世の、私の名前。

 ミリアというのはいたって平凡な名前。

 それに“あの子”の髪はもっと明るい色で……。


 けれど。

 ひとつの考えにとらわれて、心がそこから動けなくなった。


 もしかして。

 この男性は、レオなの……!?

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