5
月曜日になってゴミ捨て場に立ち寄った。怜美が言っていた通り、ネックレスを保管しておくのがいいかもしれないと思ったからだ。怜美とはあれから話せていない。ラインをしてみたけれど既読スルーされた。こっちは謝る気になったというのに、二日経っても怜美からの返信はなかった。大人としての対応は果たしたのだから、あとは怜美の問題だった。これで返答がなければ、それまでの関係ということだろう。
さちほの捨てたゴミ袋は一番下に埋もれていた。光彦が吸っているタバコの空き箱が見える。抵抗感はあるけれどやむを得ない。袋を開けてネックレスを探す。しかし、一番上に入れて捨てたはずなのにそれは見当たらなかった。そしてとうとう、袋の奥に手を突っ込んでもネックレスだけは見つからなかったのだ。
ゴミを触った手であることを忘れて、さちほは口に手を当てた。
消えている……。誰がやったの――。
しばらくさちほはその場に佇んでいた。住人たちが通り過ぎる。好奇の目も気づかなかった。誰かから恨みを買っている? パパ活の相手? 思い当たらない……。
「おはようございます」
ふいに声を掛けられて、さちほは小さく悲鳴を上げた。
「あ、いきなり声かけちゃってごめんなさい。驚かせちゃいましたか」
「なんだ……金成か。別に、なんでもない」
今は金成に構っている暇はなかった。早く光彦に言うべきだった。ネックレスがなくなったとなれば真剣に対処してくれるだろう。さちほは学校に向かおうとする。
「待ってください。石橋さん、何してたんですか」
「は?」さちほは足を止める。「あなたになんか関係あるわけ」
「そうじゃないですけど、僕見てたんです。さっきゴミ箱漁ってましたよね。もしかして捨てちゃマズいものが混ざっていたとか」
さちほは背中に汗が流れるのを感じた。金成の顔にはうっすらと悪意が浮かんでいる気がした。
――なぜ知っている? あるいは、この男、もしや知っていて聞いているのか。
怪しかった。と、同時にさちほは怖くなった。危険な考えが頭をよぎる。まさか、ネックレスを取り出したのは金成なのだろうか。それから麻衣が言っていたカーテンから覗く視線。あのときは誰も見つけられなくて勘違いだと思ったけれど、それだって金成が見ていたかもしれないのだ。太った男……。
「どうかしましたか」
さちほが黙っていると、金成は首をかしげる。
「ねぇ、金成。昨日の急用ってなんだったの」
「それは……言えませんね。神前くんの彼女であっても」金成は苦い顔をした。「プライベートのことなんで」
金成のはっきりしない口ぶりを、さちほはますます怪しんだ。言えないことって。この男に言えないことはあるのだろうか。無遠慮で、身だしなみも不充分な男に、プライドなんて。隠し事があるくらい大層な男なのだろうか。ひょっとして本当はそんな真実出任せだったとしたら、それが意味することは――。
「昨日は楽しかったですか。僕も行きたかったですよ」
金成が名残惜しそうに話しても、今度は立ち止まらない。逃げなきゃ。さちほは金成を振り切ろうとした。
「ところで……有藤さんも来たんですね」
さちほの動いていた足が止まった。どうして……。有藤というのは麻衣の苗字だ。でも麻衣は学食にいなかった。彼女が来ることを金成は知らなかったはず。
「なんで知ってるの?」
「有藤さんの声が聞こえました」
「声だけで分かるくらい親しかったの」
「いえ……。上の階だったから彼女を呼ぶ声が聞こえたんですよ。この際だから言いますけど、僕がパーティを断ったのは成績の問題なんです。その日は勉強するために家に缶詰してました。パーティはいつでもできますけど、進級できなければ元も子もないですから。お恥ずかしい話ですが」
金成は頬を掻く。頬の傷跡のせいで歪な笑いだった。
「待ってよ。家に缶詰ってことは、上の階まで聞こえてたっていうの」
「はい。だってこのアパートですよ」金成は笑った。「多分上下左右の部屋には届いていたと思います。もちろんあのケンカも」
金成はケンカの子細を語った。
言葉が出なかった。床も壁も薄いから音が漏れることは知ったところ。。三ヶ月暮らしてみて、鈍い音はよく響くことが分かった。けれど、信じられない。金成が語る描写はまるで見てきたようだった。たとえばカーテンの隙間から覗いていたみたいに。
さちほは金成を直視できなかった。ストーカーの正体は金成かもしれない。いよいよ真剣に思い始めた。
×××
学校をサボって光彦の家に行った。カードを託す相手はいなかったからその日だけは欠席することに決めた。光彦はいつものようにゲームをしていた。喧しい銃声が部屋中に響く。
コンビニで買った朝食をテーブルに置いた。どうせ光彦は食べていないと思ったからだ。光彦はサンキューと言ったが、感謝は形だけで、すぐにゲームに戻ってしまう。
「ネックレスなくなってた」
さちほが言っても、光彦はコントローラーを離さない。
「聞いてって」さちほは画面の前に立つ。「私、怖いんだよ」
光彦は眉を顰める身振りでさちほをどかそうとする。が、さちほが動かないことを悟ると諦めてコントローラーを投げ出した。
「なんだよ。良いところなのに」
「私よりゲームが大事って言うの?」
「そういうことじゃねえよ。でもラインで済んだ話だろう」
光彦は億劫そうに言った。
金成がストーカーかもしれない。ラインで言ったのはついさっきだ。光彦はきっと心配になって飛んでくるだろうと思った。しかしその予想は裏切られた。迎えに来ることもなく、その文面に返ってきた反応は素っ気ないものだった。金成がストーカーはあり得ない、と。だからわざわざ家まで来たのだ。
「だから、金成がストーカーなんじゃないかって私思うの。学食のことを思い出してよ。量子になったら侵入できるって不気味な話。ストーカーだからあんなこと言ったんじゃないの。ネックレスだって金成がゴミ袋から回収したんだ。自分で贈ったから」
さちほはラインでもした話を繰り返す。文面だから伝わらなかったのかもしれない。
「あいつにそんな度胸ないって」
「どうして断言できるの」
「それはダチだからだ」
光彦の口から友達という不釣り合いなワードが出てくるのはおかしかった。
「知り合って三ヶ月でしょ」
「少なくともお前よりは知っている」
「そうだけど、根拠がないのに信頼できるほどの子なの。金成は」
「だって」光彦は面倒な表情を隠そうともせず、「あいつの外見、お前だって見ただろ。無頓着で人慣れもしてない。そんな奴がある日突然人に執着するようになるか? あいつはな、三次元には興味ないんだ。聞いたことないか。そういう奴。拓也はそういうタイプなんだよ。今だってゲームしてる」
光彦はそう言い切ると、またコントローラーを持った。よく分からないけど、軍人をひたすら撃ち殺していく。この世界のどこかに金成がいるのだろうか。
光彦の言い分は足りないと思った。金成が犯人じゃないという確証には到底なり得ない。でも光彦が金成を疑っていないのは本当で、そこまで言うなら信じてみようと思った。
けれど、そうだとすると贈り物は誰の仕業だ。さちほは言いようのない恐怖を感じた。
じゃあ、と言いかけて止めた。どうせ光彦には分かりっこない。
さちほは帰ろうとした。自分でできることはすべてやった。
ふと、画面を見たときだった。
「ねえ、今プレイしてるのって金成なんだよね」
「ああ。――おい、さちほ、どうしたんだよ」
声が出ない。目を疑った。震えが止まらない――。
――プレイヤー名:セシル――
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