6
四津川星琉。さちほの初恋の相手。その名前と金成のプレイヤーキャラクターが一致している。
数年ぶりに地元の友人に連絡した。四津川星琉の所在を知りたかった。すると彼は中学に入学してすぐに県外の中学に転校したという。さちほの友達も多くない。そこから情報は途切れてしまった。
さちほは途方に暮れた。金成と話すしかなかった。でも一人では無理だ。光彦に頼み込んで同席してもらうことにした。
夕方、学食に三人は集まった。金成には、光彦から勉強を教えてほしいと言ってもらった。光彦からの呼び出しなら不自然ではない。金成が現れて、さちほの顔が強ばる。金成の方もさちほがいるとは思わず、小さな目を瞬かせた。
「びっくりしたな。石橋さんがいるなんて。神前くん、言ってくれればいいのに」
光彦は答えない。黙っているように段取りしていた。話が拗れるのを避けるためだった。
答えない光彦を見て、金成は何かを察した。
「どういうことです」
「実は用があったのは私なの」
「騙したんですか」金成の顔が気色ばむ。「僕は自分の勉強時間を削ってここに来ているんですよ」
「それは謝るけど、どうしようもない事情だったのよ」
さちほは努めて切実な面持ちを出すようにした。金成にはどうにか伝わったようで、「いいです。終わったことを責めても意味ないですからね。なぜ呼んだんですか」
怒りながらも了解してくれた。さちほは向き直る。
「金成、さっき光彦とゲームしてたよね」
「はい。してますけど」金成は開き直るように言った。「それがどうかしましたか」
「いつからやってるの」
「神前くんと知り合ったときですから、三ヶ月前ですかね」
金成は斜めの方向を見て答えた。
「どうやって知り合ったの?」
「石橋さん、何か聞きたいことがあるなら率直に教えてください。僕だって暇人じゃないんですよ」
「分かったわ。お互い忙しいからね。どうしてセシルという名前でゲームしてるの」
「いけないですか」
「いけなくはないわ……ただ」
「ただ?」
「私の知り合いと名前が同じだから」
沈黙が降りる。すると金成は吹き出した。唇の端に唾を溜めて汚く笑っている。苛ついたのはそれだけじゃない。つられて光彦も表情筋がひくついていた。
「何かおかしい?」
「おかしくはないですよ。ゲームキャラの名前が知り合いと同じ。その理由で僕を呼び出したとは思わなくて」
「とぼけないで。星琉くんを知っているくせに」
さちほは立ち上がり指弾した。金成の笑みが消える。
「星琉……誰ですか」
「四津川星琉よ。私の元同級生の」
「そんな人知りません。聞いたこともない」
金成は首を横に振った。
「嘘よ。偶然な訳ない。きっと星琉くんの名前を利用して私を怖がらせようとしてるんでしょ」
「待ってください。話についていけない」
「まだしらばっくれる気? ネックレスを贈ったのも金成なんでしょ。私が付けるのを見て楽しんでいた。普通、赤の他人のアクセサリーを褒めたりしない。ゲームの名前をいじったり、差出人空欄の贈り物をしたり。そうやっていろんな方法で関心を引こうとした」
「なんてことを。石橋さんが僕を呼んだ理由は分かりました。僕を疑ってるんですね」金成は憤慨した様子で言った。「冗談じゃない」
「でもそうなんでしょ」
「石橋さん、僕は誓って四津川なんて男知りませんよ」
「ストーカーは否定しないのね」
「違います。僕は断じてしていません。でもアリバイがないから証明のしようがないんです。ただ……はっきり言えることはあります。セシルって名前は別のゲームから借りたんです。Jシリーズって知りませんか。大ヒットしたんですけど」
そう言って金成はスマホを操作する。見てください、と言ってスマホを差し出す。
ウィキペディアが表示されている。確かにセシルというキャラクターは存在していた。
「そんなの後付けかもしれないでしょ」
金成の声が詰まる。
「それを言われたらもう僕は何も反論できなくなってしまいます」
「認めるのね」
「いいえ。認めません」
「じゃあ――」
「でも僕がストーカーだとしたらもっと賢い方法をとります。石橋さんは、僕が四津川のことを知った上でストーカー行為に利用したと言い張る」
「うん」
「なら僕は差出人空欄なんかせずに、四津川星琉と書けばよかったじゃないですか。そしたら恐怖心は倍増だ」
「書かないのも怖いわ。想像を掻きたてる」
「そうでしょうか。僕なら知り合いの名前が書かれた方が戦慄します」
「それはあなたの感想でしょう」
「いいえ。それを言うなら石橋さんだって。宅配ではないですけど、ゲームの名前に戦慄したんですよね。知り合いの名前がプレイヤーの名前だった。だから怖くなって、僕を問い詰めている」
今度はさちほが言葉に詰まった。
「石橋さんには四津川に執着する別の理由がありそうです。そもそも聞きますけど、僕のキャラクターが人の名前と被っちゃいけない事情があるんですか。もしも有藤さんや怜美さんと被っていたら、そこまで僕を問い詰めることをしましたか」
「それは……昔、好きだったからよ。軽々しく名前を使ってほしくないの」
少しだけ金成は驚いたような顔をした。でもすぐに表情を引っ込める。
「事情は察します。でもさっきも言った通り、セシルというのはゲームキャラから引用したもの。それ以上でも以下でもありません。第一、その四津川星琉はどういう字を書くんです? 僕のセシルはカタカナですけど、その子も同じカタカナなんですか」
「『星』、それから『王偏』に『流れるのつくり』の部分」
「ほら、言ったでしょう」
金成の指摘はもっともだった。よく考えれば音が一緒なだけだった。でも今更引き下がれなかった。
だいぶ参っている。宅配をはじめに、ジンギスカンパーティの口論、ネックレスの消失。連日のトラブルで、自分でも訳が分からないくらい混乱していたのだろう。もはや負けないための反論。反論のための反論をしていた。
「だとしても……。そうね、言いたかないけど、あなたが星琉くんだったら――」
「めちゃくちゃですよ、石橋さん。僕をストーカーに仕立てあげたくてめちゃくちゃやってる」
「そうでもないわ。星琉くんにも火傷の痕があったから」
「そうですか。でも火傷じゃなくて僕のこの傷は生まれつきです。それに名前はどうするんですか? 僕が四津川なら金成という名前は? 金成拓也と四津川星琉じゃ全然違うじゃないですか。どう説明できますか。その四津川くんはこんな僕みたいな体型でしたか」
金成は語気荒くまくし立てる。いつの間にか金成は立って話していた。自分でもその熱量に気づいていないようだった。
傷の原因も違う。よく見たら形も違う気がした。さちほは記憶で語っていた。自分の記憶がどこまで正しいか分からなかった。ましてや小学生の頃の記憶なのだ。
支離滅裂と言われても仕方なかった。恥ずかしかった。金成拓也は四津川星琉ではない。それどころか完全に無関係の人間だった。さちほはそれでようやく金成を認めた。
「初恋の相手を守りたいのは分かります。でもそれで僕のゲームキャラにまで口出しするのはどうなんでしょう。逆の立場で考えて、さちほさんがゲームのキャラクターに拓也と命名したとして、僕はそれを改名させる権利を持っているのでしょうか」
「……悪かったわ」
「分かってもらえればいいんです。僕も誤解が解けてよかったです。それで距離を感じたんですね」
「距離?」
「ええ。石橋さん、僕と全然話してくれないから。目も見てくれなかった」
それは、と言って止めた。その先を言いようがなかった。単純に、生理的に無理だから。口のなかにくくんで、別の言葉で置き換える。
「気をつけるわ」
それで金成は満足そうな顔をする。
「な、言ったとおりだろ? 拓也はそんなことするような奴じゃないって」
光彦が言った。集中していてすっかり光彦の存在を忘れていた。光彦は立ち上がる。
「どこ行くの」
「学生課。メールが来てた」
「待ってよ。置いてくの」
「心配すんな。すぐ戻ってくる。さすがに出席日数の関係を無視するわけにはいかないだろ」
光彦は小走りで学生課に向かった。さちほはそれを見送ると、金成の顔を見た。金成はスマホを弄っている。ちらりと画面が見える。どうやら先ほどのゲームをしているようだった。
二人で待っているように言われたけれど、光彦は一向に帰ってくることはなかった。さちほは気まずさを感じ、話を切り出した。
「ねえ」
金成はスマホから顔を上げる。
「はい?」
「金成はどうして薬学部に来たの? やっぱり両親が薬剤師とか」
「いえ……違います。憧れの人がこの薬学部にいるって知ったので」
「へぇ」
さちほは相槌を打つ。金成が以前物理の話をしていたのを思い出す。勉強家の彼のことだから教授の誰かに憧れを抱いて入学したのだろう。熱心だな、と思った。深入りするとまた物理の話をされそうだったから、余計なことは言わないでおく。
「石橋さんはどうしてですか」
「私は家が薬局やってるから。つまんない理由でしょ」
「そんなことはないです。そういう人は多いですからね」
「つまんないわよ。きっと正社員になってどこかの薬局に就職して、結婚してパートになって、やがて実家を継ぐ。この既定路線が今からでも想像できるわ。ま、光彦は嫌がってるけど」
「神前くんが?」
「光彦はもっと遊びたいって。実家を継ぐって提案したら大反対」
「はぁ。そうなんですね」金成は間の抜けた返事をして「僕だったら実家を継げますけど」
「え、何」
寒気がした。僕だったら実家を継げますけど――。金成はぞっとするようなことを言った。
それは結婚するということを遠回しに言っているのだろうか。金成は人との距離を測らずに誰にでも思ったまま発言してしまう人種だった。光彦が聞いたらどう思うだろう。
「悪い。待たせたな」
会話の行き先を失って困っていたところに、光彦が戻ってきた。へらへらとした顔は消え去って、どこかばつが悪そうだった。色々と注意されたのだろう。
「帰るか」
光彦に、さちほは頷いた。一応は解決したのだから用はなかった。けれど気持ちはなぜか晴れやかじゃなかった。心に引っかかりがある。靄の正体が判明しないまま、さちほは帰宅の途についた。
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