第9話中学校その2

 ケイ先輩と再び関わるようになるのは、僕が高校二年生と三年生の間、つまりは春休みの頃まで時の経過を必要とします。

 そしてそれは別れと悲しみの出来事になるのですが、まだ語る段階ではありません。

 ここでは中学の思い出を語りたいと思います。


 さて。楚漢戦争の時代の知恵者、李左車曰く、賢い者にも千に一つの誤りがあり、愚かな者にも千に一つの良策があるとのこと。その言葉に出会ったのは、小学生の頃で、当時は理解できませんでした。


 そりゃあ、千に一つだったら誤りもあるに決まっています。けれど九百九十九の良策があればフォローできるだろうと生意気な僕は思いました。

 ていうか、どんなことにも千通り考えられるくらい賢い人間なんていないですし。

 しかし中国の知者の言葉は戯言ではなく箴言だったのです。


 今現在の僕は賢い人間でもなければ愚かな人間でもありません。凡人な人間です。けれど中学の僕は誰よりも賢い人間だと思いあがっていました。

 運動以外のことだったら何でもできると信じていました。勉強だって本気を出せば、全国でも有数の成績を出せると信望していたのです。


 なんていう恥ずかしい想像でしょうか。想像というよりも妄想と言ったほうが正しいでしょう。本当はそんなことはないのに。

 たかが名門でもなんでもない普通の中学校でトップクラスの学力を持っていただけの小生意気な中学生の分際で。誇大妄想と言っても言い過ぎではないでしょう。


 その自信が打ち砕かれる出来事が起こりました。

 まあ結果的には自分にとって最良となるのですけど、今思い出しても恥ずかしさのあまり、悶え苦しむことになるのですが。

 はっきり言って、トラウマになっています。この出来事のせいで、人前に立つことができなくなってしまったのです。


 前置きはそれくらいにして、そのトラウマを綴りたいと思います。

 中学二年生の頃、三年生の先輩が引退した時期の話です。

 僕は生徒会の役員をしていました。僕の中学校は一年を前期と後期に分けて、学級委員や生徒会役員を任命していました。委員会の任期は半年、生徒会役員は一年と決められていたのです。


 しかし生徒会役員は一年の後期から任命されるので、僕は生徒会役員になる前は学級委員をしていました。もっと詳しく言うならば、一年生の代表である、学級委員長をしていたのです。


 まあやりたい人が居なかったから、僕に白羽の矢が立っただけですけど。

 しかし生徒会役員は立候補制でした。僕は興味があって、立候補したのです。名ばかりの選挙を行なって、それで生徒会役員になったのです。


 僕は一年生の後期と二年生の前期は会計に任命されていました。

 まあ役職は会長と副会長と会計と書記しかなかったのですけど。


 会計と言っても、財務を司るものではなく、庶務と同じようなことをしていたのです。

 今だから言いますけど、僕の先輩である、一個上の生徒会長は無能でした。偉そうにしていて、仕事を教えることもしなかった、どうしようもない中学生でした。


 こういう生徒会長にならないようにしよう。後輩には優しくしようと反面教師ならぬ反面会長として認識していました。

 今まで出会った上司で一番偉そうな人間でした。それでいて人気があるのがおかしく思いました。


 まあ社会でもこういう偉そうな上司がいることを中学で学んだことはある意味有意義だったと思います。

 偉い人間と偉そうな人間は確実に違っています。偉い人間は尊敬されますけど、偉そうな人間は軽蔑されます。


 僕は今までの人生で、決して偉そうな人間になるまいと心に決めていました。しかし今までの文章を俯瞰しても、自分は嫌な奴だと思います。

 僕は敵を作らず、軽蔑もされない人間を目指しているのです。腰が低い人間を演じています。誹謗中傷をされても暴言や文句を言わないようにしています。


 そんな偉そうな会長が引退して、新しい生徒会長を決める選挙が始まりました。

 選挙に立候補するには、推薦人が二人必要でした。当時は今より社交的だったため、すぐに二人の推薦人を見つけました。


 その中の一人は、会長になろうと目論む人間でした。僕はそいつが一番対立候補になるんだろうなあと思ったので、言葉巧みに推薦人にしたのです。

 そいつは推薦人になったら選挙に参加できないことを知らなかったみたいで、後から文句を言われましたが、知らないフリをしてお茶を濁しました。

 対立候補は敵にするんじゃなくて味方にする。我ながら上手い策略を考えたものです。


 生徒会選挙は中学校にしては本格的で、選挙用のポスターや登校時の選挙演説や当選した際の公約などやるべきことがたくさんあったのです。

 ポスターと言っても、写真を引き伸ばしたものではなく、色鉛筆やマジックペンで書いた似顔絵です。僕は絵心がないので、女友達に書いてもらいました。結構似ていて、自分はこんなにもシンプルに描かれるのだなあと感心しました。


 登校時の選挙演説はただ単に「おはようございます」と言うだけでした。

 当選後の公約は、今もあるのか分かりませんがベルマークを集めて備品を買うという、なんとも中学生らしいものでした。


 こうした準備をしつつ、いよいよ選挙当日になりました。

 全校生徒の前で各候補が演説をして、それから投票という流れになります。まあ役員になるのは確実なんですけど、その中で生徒会長と副会長を決めるための選挙です。


 各候補は事前に原稿を用意して、それを読み上げる形式になっていました。

 しかし僕は原稿を用意しませんでした。いや、言う内容を記憶して、それを言おうと思いました。実際のところインパクトが強いですし、印象深いと思ったからです。


 僕は会長になれるとは思いませんでした。顔も良くないですし、運動神経も悪い。ちょっと頭の良いだけの人間でした。

 人気があるわけがありませんでした。まともに戦ったら負けることも分かっていました。

 だからこそ、敢えて原稿を持ち込みませんでした。

 しかしこれが千に一つの誤りだったのです。


 五人候補が居て、僕がトップバッターでした。

 僕は選挙管理委員会の指示に従って、体育館に用意された壇上へと上がりました。

 そして全校生徒の顔を見渡しました。


 その瞬間、頭が真っ白になりました。

 真っ白になって、何も思いつかなくなって、緊張してあがって、言葉が出なくなりました。

 まあその、なんていうか、原稿が飛んでしまって、その場で棒立ちになったのです。


 全校生徒がざわざわと騒ぎ出します。

 教師も不審げに僕を見つめます。

 僕は何も喋れませんでした。


 後ろに控えていた推薦人が「もういいから後ろに下がれ!」と小声で言いました。

 僕は何も考えられずに、その場に留まりました。


「えっと、その、僕が、その、会長になったら――」


 ようやく言えたのは、そんな情けない言葉でした。

 すると、全校生徒も教師も黙りました。

 しーんと静まり返る体育館。


「必ず、この学校を、その、良いようにします。そ、それは、絶対です……」


 なんて情けない言葉でしょう。

 人間が人間である以上、必ずミスをする。それはヒューマンエラーと呼ばれるのだと、知識としては知っていましたが、まさかこの僕が起こり得るなんて驚きでした。


「頑張りますので、どうかよろしくお願いします」


 そんな一言で、僕は壇上から降りました。

 ああ、もう終わった。これで会長にはなれないなあ。そういう風に思いました。


 しかし、僕を待ち受けていたのは、非難の声でもなければ罵声でもありませんでした。

 拍手、でした。

 全校生徒のみならず、教師からも拍手をもらえたのです。

 僕は戸惑いました。なんで拍手をもらえるんだろう? どうして応援してくれるんでしょうか?


 冒頭で楚漢戦争の話をしましたが、その戦争で勝利した劉邦は、はっきり言って、何の才能を持っていませんでした。

 軍事的才能も政治的才能も、武勇に優れてもおらず、知略に長けていたわけでもありません。


 それなのに、どうして中国を統一できたのでしょう。

 理由は、ほっとけないから。


 このほっとけないという感情は決して馬鹿にできないものなのです。

 この人は自分が支えてあげないと、あっさり死んでしまう。この庇護欲と保護欲が人を惹きつけるのです。


 演説もどきをしたときの僕は『ほっとけない』人間になってしまったのです。

 まあ一日限定の、ほっとけない人間でしたけど。


 結果として僕は会長になりました。

 まあ他の候補者は僕の支持に圧倒されて、本来のパフォーマンスができなかったのも理由にあげられますけど。


 まあそういうわけで、僕は中学校を牛耳る立場になったのです。


 アイさんは良かったね。これで誰からも認められるねと褒めてくれましたけど、僕はなんだかインチキしたみたいで、嫌な感じがしました。


 しかし生徒会長になったせいで、卒業式に大変なことが起こるとは、今の段階ではわかりませんでした。

 次回は卒業式の事件を話したいと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る