第8話中学校

 恋愛とは一体何なんでしょう? もしも相互の認識が合致しなければ成立しないならば、一方通行な片想いは恋愛とは言えないのでしょうか? しかし言えるのであれば、悪質なストーキング行為も純愛になってしまうのではないでしょうか。


 いやいや、それは極論だよと言われる方も多いと思います。そうですね、僕は極論を言いました。

 人によって、恋愛論は様々だと思われますが、僕が思う恋愛とは、まず相手が居て、相互に愛おしい気持ちを持ち、適度に対立することだと思うのです。


 三つほど挙げさせていただきましたが、三つ目の『適度に対立する』というのは可愛い痴話喧嘩だったり、関係を破綻させるくらいの重大なケンカも含まれます。


 ずっと仲良くしているよりも、ケンカをすることで関係が強固になると僕は勝手に思っています。雨降って地固まるという言葉があるように、恋愛関係にもエッセンスや刺激が必要だと、そう信じているのです。


 まあ恋愛経験がさほどない僕が何を語るのか、自分でも滑稽に映りますが。

 そもそもずっと仲良くしていられる関係性なんてありえないでしょう。親子だったり友人だったりと恋人以外にもそう言えるように、人間は自分以外の人間を素直に認められない動物なのだと、何かの本で読んだ記憶があります。


 まあ自論でないことを謝るべきですが、何かを引用して生きる動物でもあることを、どうか理解していただきたいのです。


 とにもかくにも、恋愛について偉そうに語れるほど、僕の半生は充実したものではないことを始めに言っておきます。

 というか、失恋だったり、始めから恋が始まっていなかったりすることも多いのです。


 はっきり言って、恋愛が成就したことは一度しかありません。その恋愛も苦い思い出になってしまうことになるんですけど。そう考えると成就していないのかもしれませんね。


 さて。そろそろ前置きはこれぐらいにして、中学校の思い出を語りたいと思います。今回は僕の恋のお話です。

 ちなみに初恋ではありません。初恋は幼稚園の頃、普通に保母さんが相手でした。僕は年上が好きなのかもしれません。今まで好きになった人は全て年上ですから。

 そして中学校の頃の恋も、年上だったのです。


 僕が好きになった人は、所属していた運動部の部長でした。

 所属していた運動部。そんな曖昧な言い方をせずに、はっきり言ってしまうと、バドミントン部に僕は所属していました。


 小学校の頃は剣道をしていたのですが、痛い思いをして、全然上手くならない剣道よりも、何か新しいことがしたいと考えた僕は、バドミントンを選択しました。

 まあ友人がやっていたことも原因ですけど。

 僕は結構流されやすい人間なので、他人が選んだことに乗るところがあったりします。中学三年間の青春となる運動部も、そんな感じで決めてしまいました。


 まあ経験のない素人かつ、運動が得意ではない僕ですから、レギュラーにはなれませんでした。

 そんな僕でしたけど、練習は楽しかったです。剣道と違って全然痛くないし、辛くもない。そして何より重要だったのは、兄から離れることができたことです。


 兄の鬱憤を晴らすような乱暴に怯えることがなくなったことがとても嬉しいことでした。

 そんなこんなでバドミントンを楽しんで練習していました。そこに僕は新たな喜びが生まれてきたのです。

 それはバドミントン部の女部長、一個上の先輩、ケイ先輩と共に過ごすことでした。


 断っておきますが、これは一目ぼれではなく、徐々に好きになってしまったのです。まるで転がる石のように、恋に落ちてしまいました。

 ケイ先輩は、なんていうか、僕に姉が居るならこういう感じなんだろうなあと思うような気さくな女の子でした。

 今まで出会った女の子の中で、快活で明るい性格だったと思います。


 部長に選ばれるくらいですから、バドミントンは上手かったです。そこも好きになった理由の一つだと思います。

 自分にないものを人は求めているからこそ、そこに人は惹かれてしまうのでしょう。


 僕はバドミントンが上手くなりたかったのです。強くなって誰にも負けないくらいになって一等賞を獲りたかったのです。

 まあ運動に関しては無理でしたけど、それでも当時はまだ諦めていなかったのです。


 無駄な努力だったかもしれませんけど、それでも僕は頑張ったのです。その事実だけは決してなかったことにはできません。

 今では、そう信じています。


 ケイ先輩はバドミントンが弱い僕に熱心に指導してくださりました。それは先輩としては当然なことでしたけど、そんな経験が少ない僕は、とても嬉しく感じました。

 いつも自分一人で勉強していました。

 いつも一人で竹刀を振っていました。

 誰に教えてもらうこと。それはアイさん以来の感覚だったのです。懐かしいとまでは言いませんけど、幼稚園の頃の思い出が甦った気もしたのは事実です。


 ケイ先輩はいつも自信に満ち溢れていて、それでいて優しい人でした。中学生らしい女の子でもあったのですが、どこか大人びいていました。


 中学の頃の一才の違いは大きなものだと思います。特に中一と中二の違いは大きいです。

 中二は先輩としての自覚を持ちはじめていて、中一は小学生に近いからだと思います。まあそれが大人になる一歩を踏み出しているかどうかだと思うですが。

 ケイ先輩はたまにどきりとすることもしてきました。


「橋本、ラケットの握り方はこうだよ」


 そう言って何気なく僕の右手を握る所作に内心ドキドキしながらも「そうですか、ありがとうございます」と動揺を表に出さないように気をつけたのは自分も偉いと思います。

 まあ動揺したら二度と手を握ってくれないと不安になったのもありますけど。


 ケイ先輩との思い出は、多いようで実はとても少ないです。部活でしか接点がなく、普段の学校生活では関わることは少なかったのです。


 それでもケイ先輩と出会って過ごした二年はかけがいのないものだと思います。

 僕がケイ先輩との思い出の中で一番印象的に覚えているのは、僕たちの部が県大会で敗退してしまった日のことです。

 そしてそれはケイ先輩が引退してしまう試合でもありました。


 男子のチームは早々に敗退してしまいましたが、女子のチームは三回戦まで進みました。

 バドミントンはダブルスが二組、シングルが一組で、先に二勝したチームが次に進めます。順番はダブルス、シングルス、ダブルスで戦います。

 ケイ先輩は三戦目のダブルスに控えていました。

 しかし、ケイ先輩に回る前に、ダブルスとシングルスで負けてしまったのです。


 それがどれだけ悔しくて悲しいことでしょう。自分で負けたら踏ん切りが着くのですが、他人が負けてしまったせいで、敗退だなんて辛すぎると思います。しかも中学生の精神で耐えられるのは難しいでしょう。


 ケイ先輩は泣き崩れる部員たちに優しく声をかけました。特に負けてしまった三人の部員を気遣うようなことを言いました。


「この結果は残念だけど、無駄だったわけじゃない。次の後輩に引き継げるように、これから教えていこう」


 確かそんなことを言われた記憶があります。

 そして、大会が終わり、みんなが帰り支度をし始めた頃、ケイ先輩は一人どこかに行こうとしてました。

 僕はトイレかなと思いましたけど、嫌な予感がしたので、こっそり着いていくことにしました。心配になったという純粋な気持ちからだと思います。


 ケイ先輩は会場の誰もいないところにどんどん進んで行きました。内心不安に思いながら僕も着いていきました。

 そして地下と一階の間にある階段のところで、ケイ先輩は座り込みました。

 どうしたのかな? と思いつつしばらく様子を見ていると、小さな泣き声が聞こえてきました。

 ケイ先輩は、誰にも知られないように、一人で泣き出したのです。


 部長としてチームを引っ張る存在だったケイ先輩。厳しいときもあるけど、基本的に優しいケイ先輩。大人びいていて、強い人だと思っていたケイ先輩。それが、か弱い女の子になって、しくしく泣いていました。


 僕はその場に立ち尽くしていました。なんて声をかけていいのか、分かりませんでした。

 そのとき、アイさんが僕に語りかけてきたのです。


 洋一くん、女の子が泣いているんだよ? 早く慰めないと。

 アイさん、そう言ってもどうしていいのか分からないよ。


 僕は見なかったことにして、その場を去ろうとしたとき、動揺のあまり、物音を立ててしまいました。


「誰!? 誰か居るの?」


 ケイ先輩の言葉に僕は迷いましたけど、姿を現すことにしました。


「……すみません、ケイ先輩」


 そう言ってケイ先輩の目の前に来た僕は、ケイ先輩の泣き顔を初めてみました。

 今思い出しても、とても悲しい表情でした。

 いつも笑顔だったケイ先輩だからこそ、その悲しみの表情が印象的に覚えているのでしょう。


「橋本、どうしてここにいるの」


 睨みつけるように、ケイ先輩は短く言いました。


「えっと、先輩が心配になって……それだけです」


 そんな気が利いたことが言える人間ではないので、正直なことしか言えませんでした。


「そう。橋本、ちょっとこっち来て」


 ケイ先輩は顔を背けて、僕に命令してきました。まあ先輩命令なので、言うことを聞くしかないし、泣いている女の子の頼みを無碍にするほど、冷たい人間ではありませんでした。

 繰り返しになりますけど、僕は人を唆すのと同じくらい、人を救いたいと思っていました。だから、悲しむケイ先輩を助けたいと思っていました。


 ケイ先輩のそばに来ました。

 すると、ケイ先輩は立ち上がって、僕を抱きしめてきたのです。

 初めは何が何だか分かりませんでした。

 そしてぼんやりと、アイさんと同じことされているなあと思って。

 それから現実に引き戻されてしまいました。


「ちょっと! ケイ先輩――」

「黙って。しばらくこうしていてよ」


 そう言われたら従う他ありません。

 僕は何も言わずに、ただ抱きしめられていました。

 ケイ先輩はしばらく黙ったあと、語りかけてきました。


「最後の試合、出たかった。私、あんな負け方したくなかった」


 やっぱり中学生だなあと思いました。負けず嫌いの女の子。普段大人みたいな言動ですけど、それでも悔しいときは悔しいと言えない、弱い女の子だったのです。

 僕はケイ先輩を慰めようと、不器用に頭を撫でました。

 気遣うように、優しく撫でました。


 僕は結局、何も言うことができませんでした。

 僕はケイ先輩が本当に好きでした。だから悲しい表情を見ると、胸が痛くて、心が切なくなりました。


 抱きしめられて嬉しいと思いませんでした。ただただ、ケイ先輩の悲しみがなくなるように、ずっと居てあげました。

 ケイ先輩はしばらくそうしていると、すっと離れました。


「ありがとう。心配してくれて。もう大丈夫だから」


 その大丈夫というのが、何なのか分かりませんでしたけど、少し元気になったケイ先輩を見て安心しました。


 それから僕たちはバラバラに帰りました。一緒に帰ると何か噂になるのかもしれなかったので避けたかったのです。

 そこらへんが思春期ならではだと、今では微笑ましく思います。


 それから学校に帰ってからも特別ケイ先輩と会話はしませんでした。

 思い返すと、かなり気恥ずかしく思ってしまったのです。


 ケイ先輩の顔をまともに見ることができませんでした。恥じらいという言葉を僕は身をもって知る経験になりました。

 さて。最後にケイ先輩との失恋話を話して結びにしたいと思います。


 ケイ先輩の卒業式の日。

 僕はケイ先輩に一言言いたくて、探していました。

 学校の上から探そうと校舎内に入り、上へ昇って屋上に行きました。


 そこで僕は見てしまいました。

 ケイ先輩が、男子生徒とキスしているのを。

 僕の世界が音を立てて崩れたのを感じました。


 僕はその場を去りました。その男子生徒が誰なのか、ケイ先輩とどういう関係なのかは今でも分かりません。

 けれど、僕の恋はそれで終わってしまいました。いや、元々始まってはいなかったのを僕が勝手に終わらしたというほうが正確でしょう。


 今でもトラウマです。ドラマのキスシーンも目を背けてしまいます。

 そしてこう思うのです。好きになった人はすぐに離れてしまうんだなあと。

 これからの人生で数多く経験することになる別れを、僕ははっきりと自覚していくことになるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る