第一章 ケンカップル、部長を捜索する

第1話 キラキラ女子、ボロボロの金曜日を迎える

 今夜はもう、ボロボロだった。

 ボロボロに疲れ果てている。

 それでも気を抜かずにあやみは自宅マンションにたどり着き、センサーキーにカードをかざしてドアを解錠した。

 玄関に入ると、すぐさまヒールを脱ぎ捨てる。

「ただいま…」

 あやみが疲れ切った低い声でそう言うと、賢いスピーカーが主人の声を感知して、玄関と廊下、それにリビングのライトが点灯した。

 そういう設定にしてある。

 低反発のルームシューズに足を入れてから、短い廊下を進んでリビングへ。

 今週は忙しかったのもあって、そこそこ散らかっている。

 社用タブレットが入っているためにずっしりと重量のあるバッグをソファの上に置くと、あやみの中で張りつめていたものがすっと抜けていくような感覚になった。

 イヤリング、ネックレス、腕時計といった装飾品のたぐいをもぎ取るように外し、ダイニングテーブルの上に乱雑に放る。

 それが済んだらストール、コート、ジャケットを脱ぎながらバスルームへ。

 わざわざ振り返って確認はしていないが、脱ぎ捨てたものはフローリングの上に抜け殻のように落ちていることだろう。

 とりあえずは気にしない。

 片付けは、この後の自分に託す。

 下着をランドリーバッグに放り込んで浴室に入り、すぐに蛇口をひねる。

 シャワーヘッドをバスタブに向けることだけ気をつけて、水圧を全開にした。

 設定温度は43℃だったけれど、お湯になるまでは20秒ぐらいの時間がかかる。

「早く、早く……」

 シャワーを噴射し続けていると、やがて冷水がお湯に変わって、浴室内に温かい空気が満ちて行った。


「間に合った…」

 あやみがテレビの電源を入れると、毎週観ている「金曜のロードショー」のオープニングが始まったところだった。

 テイクアウトの唐揚げとピザ、スライス玉ねぎなどのおつまみがテーブルの上に並んでいるその向こう側にテレビがある景色は、素晴らしいとしか言いようがない。

 この家に住むときテレビを置くかどうか迷ったけれど、置いて正解だった。

 馴染みの居酒屋の主人から譲ってもらったレトロなビアタンブラーに、冷凍室でキンキンに冷やしておいた生ビールをガッ!と注いで、溢れそうになったのを泡ごとギュッ!と飲み込む。

「……~~ッ!」

 いま、脳内で快楽物質がどばっ、と分泌された。たぶん。

 あやみはこぶしを天に向かって突きあげる。

「よし!生きる。……生きる!!」

 今夜の自分はいい感じだ。週末の夜を存分に、こんなにも楽しんでいる。

 もうシャワーも浴びたし、眠たくなったら歯をみがいてベッドに入ればいい。

 そう思ってテレビを観ていたら、とある格安SIMのCMが流れた。

「ウッ、」

 無意識に、くぐもった声が出てしまう。

 このCMに出ている俳優が、あやみの同僚の佐倉伶にそっくりなのである。

 一人で過ごすこんな週末の夜には、あの男の顔は絶対に思い出したくなかったのに。

 口の端を上げた意地の悪い目つきでこちらを覗きこみ、ミスを指摘しようとしてくるその端正な顔立ちが脳裏に浮かぶと、怒りとも嫉妬とも、未練ともいえる複雑な感情があやみを支配した。

 CMが終わり、ハリウッドの話題作が始まる。

 神妙な顔をした筋肉のすごい外国人俳優とテレビ越しに目が合うと、不覚にもあやみは泣きそうになってしまった。

 週末の夜も休日にも出かける予定がなくて、あやみが映画や海外ドラマを一人で寂しく視聴しなければならないのは、伶のせいなのだ。

 伶のせいで、あやみは「男に惑わされず人生を自分のためだけに消費すること」を決断せざるを得なかったのである。

 伶のことが好きだった。

 いや、今でも好きだ。認めたくはないけれど。

 でも彼とは付き合うことはない。

 自分と彼は同僚として、反発し合いながら一緒に仕事をするくらいの距離感がちょうどいいのだということを、あやみはこの春に思い知ったのだ。

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