第43話 奏の練習

 


「ふふっ……ほんと見てて飽きないなぁ」



 心地良いまどろみの中で、聞き覚えのある声がした。

 その声に反応するように、徐々に頭が覚醒へと向かい鈍っていた聴覚が音を拾い始める。

 きゅっと、誰かが自分の手に抱きついた気がした。


 ……どんだけ、寝てたんだ?


 目を開けようとすると明かりが目に入り、眩しくてまだ簡単には開けれない。

 俺は慣れようと薄目を開ける。


 まだ太陽は昇っているようだが、暑さは幾分か下がったようだ。

 きっと1時間以上、寝ていたのだろう。


 そろそろ起きないとなぁ……


 俺が起き上がろうとすると、「練習しなきゃ」という彼女の声が届く。


 ……何の練習だ?

 練習という言葉が気になり、俺は起き上がるのをやめ奏の様子を窺うことにした。



「えっと、その……。もしかして……起きたかな?」


「…………」


「うーん、寝息も立ててるし……やっぱり寝てるよね。ふふっ。有賀っちは一度寝ると中々起きないんだから〜」



 確かに、奏が言う通り、俺は寝ると熟睡してしまうことが多い。

 それを知られているということは、何度も泊まった時に寝顔とかを見られていたってことになる。


 そう思うと……ちょっと恥ずかしいな。



「えへへ〜、ほっぺたが気持ちいいなぁ」



 奏が頰をつんつんと突き、感触を確かめるように触ってくる。

 無邪気な笑いが聞こえ、それから頭を撫でてきた。


 寝ている子供をあやすような一連の仕草に俺は心の中で苦笑する。


 俺っていい大人なのになぁ……。

 そんな重いから気恥ずかしさと共に、羞恥心が湧いてきて顔が熱くなってくるようだ。


 そろそろ起きるーー



「寝てる今だからこそ、練習ができるよね……」



 ぼそっと呟く声が聞こえた。


 練習?

 何のことだ??


 練習という言葉が妙に気になり、俺は起き上がろうとしていた体から力を抜いた。

 耳を傾け、何をしているか様子を窺う。


 まぁ、俺に悪戯だったら寸前のところで止めればいいだろう。

 ちょっとばかし、驚かせてみるか。


 そう思って内心、笑っていると恥ずかしそうな奏の声が聞こえきた。



「有賀っち……じゃなくて。しん……しんたろー……」



 ……え?

 普段の奏らしくない、照れに塗れたその物言い……。

 その恥じらいが衝撃的で、俺の胸を高鳴らせた。



「やっぱり恥ずかしくて無理!! 私が呼ぶならもっと軽い感じにしないと! ってか、これぐらいのことで動揺するなって感じだよねッ!! はぁ、何やってんだろー」


「…………」


「でもさー。名前で呼びたいじゃん……。いつまでも『有賀っち』だったら……先生と生徒のままだし」



 俺は黙って、奏の言葉に耳を傾ける。

 それから唾を飲み込み、思考を巡らせた。


 このまま起きたら、彼女のプライドを傷つける?

 聞かなかったことにした方がいい?

 それよりもーー



 いやいや!

 そこは俺が動くべきだろっ!!!



「じゃあ……名前で呼べばいいんじゃないか?」


「へ?」


「遠慮しなくてもいいって。名前で呼ぶ人はいるし、呼び方は自由だからさ」


「…………」



 俺が目を開けて奏の顔を見ると、耳まで真っ赤に染めた奏の顔があった。



「えっと……いつから……起きてたの?」


「……奏が悩み始めたぐらいからだけど」


「それって1時間以上前じゃん!?!? もっと早く反応してよっ! ずっと独り言を聞かれてたとか恥ずかしくて死んじゃうからぁぁああ〜〜っ!!!」


「そんなに恥ずかしがらなくても……って、1時間も悩んでたのか……? 俺は、つい数分前のことだと思ってたんだけど。起きたのもついさっきだし」


「あ……」



 口を引きつらせて、赤い顔がさらに赤く染まる。

 喩えるならば、完熟トマトと言うべきだろう。


 手で顔を覆い「墓穴じゃん、あほー」と悶えるように首を左右に振る。


 どうやら、俺が熟睡してから奏はずっと悩んでいたようだ。


 ようやく、その動きを止めたかと思うと、大きく息を吸い込んで——



「しんたろー……これで呼ぶからね……?」



 もじもじと、そう口にしてきた。

 俺は手を伸ばし、奏の頭を撫でる。



「いいよ、奏」


「えへへ……」



 嬉しそうに笑う彼女。

 昼寝の目覚めとしては、最高に温かいものになった気がした。



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