第41話 教え子の成長と努力



「座る前にちょっと待ってね」



 奏はそう言うと、鞄からレジャーシートを取り出し芝生の上に敷く。

 それから、風が吹いて飛ばされないように、シートの四隅に鞄などを置くようにしていた。


 テキパキと準備する様子は、いつも通りの奏だ。

 そんな彼女の様子を眺めていると、あまりの手際の良さに俺の口元が自然と緩んでしまう。


 今日のデートは全部、自分が用意するわけじゃない。

 奏が色々と考え準備して、俺のためにやってくれている。

 その一生懸命さを見ていると、心が温かくなってくるようだ。


 こういう……尽くされてる感じって幸せだなぁ。


 そんな風に思い、つい見惚れてしまっていたのだろう。

 いつの間にか準備を終えた奏が、目の前に来ていることに気がつかなかった。



「有賀っちどうしたの?」


「い、いや……なんでもない。ちょっとぼけっとしていただけだよ」


「へぇ、てっきり私に見惚れちゃったのかと思ったよぉ。ほら、私って可愛いでしょ??」


「自分で言うなって。奏は、どちらかというと美人系だろ」


「ちょっと……素直に言われると照れるって」



 頰を掻き恥ずかしそうに顔を赤く染める。

 自分の恥ずかしさを誤魔化すように俺の手を引き、そのまま座らせるとそそくさとお弁当の準備を始めた。


 そう、しおらしい態度をとられると、俺まで恥ずかしくなってしまう。

 ペースを戻しても、また乱され……今日はその繰り返しに思えた。


 俺も手伝おうと思い、弁当に手を伸ばすと奏と手がぶつかり、「あ」という声と共に二人して動きを止めてしまう。



「……ねぇ有賀っち」


「……なんだ?」


「……有賀っちって、前よりどうして褒めてくれるようになったの? 見た目とか……その色々と」


「そうかな? 俺としては、そんなに変えたつもりはないんだけど。けど……」


「けど?」


「もし、無意識に変わってるとしたら、素直な言葉が出るようになったからかな。前は、言葉にしないように自分を律していたし」



 結婚していた時、元嫁は自分のことは棚に上げてかなり嫉妬深かった。

 喩えば、元嫁がアイドルや俳優を見て『かっこいい! 素敵!!』と言ってるのに対して、俺が似たような意見を女優に言うと、鬼の形相で責めてくる。


『私以外を見ることは許さないんだからねっ!』みたいな感じだった。


 アニメや漫画みたいにフィクションの世界だったら、ツンデレっぽくて、所謂“萌える”という分類にカテゴライズされることだろう。

 でも、リアルでそれをされると只々情緒不安定で読めなくて……何より、いつ癇癪を起こされるのだろうと恐怖観念が植え付けられだけだ。


 だから、自然と口にはしなくなるし、言ったとしても元嫁にだけだった。


 そんなことを奏は知るわけがないから、疑問に思ったのだろう。

 高校生の時も、大学に入った時も……彼女に『どお??』と聞かれても、適当に流すだけだったから……。



「今、思うと随分と素気なくて失礼な態度とってたよなぁ〜俺……」


「そう? 寧ろ、よくないのは私の方だと思うけど?」


「そうかぁ?」


「だってそうだよ。奥さんがいたのに、聞き続けて困らせてたんだから」


「……困らせてたっていう自覚はあるのね」


「そりゃあるよ。でも、届かない気持ちを届けさせるには、自分勝手だけど言い続けるしかないかなぁーって思ってたから……さ」


「奏……」


「だからね、有賀っちが気に悩む必要はなしッ!! あの時は、私が悪いの! ってことで以上!」



 彼女は強引に話を終わらせて、ニカッと笑う。

 その笑みが暗い気持ちをスーッと晴らしてくれて、今の空のように澄んだものになっていった。



「ありがとう」


「いいっていいって! そんなことより早く食べよっ。お弁当の中身は健康的にしてみたんだよ〜」



 そう言って、奏は弁当を開ける。

 大きめの弁当箱に入っていたのは、色彩豊かで健康的な中身だった。


 ぱっと見の印象だけでも、肉、野菜とバランスよく配置され、人参が花の形になっているなど細部にも工夫されている。

 野菜のテリーヌの色合は見事なもので、赤、黄、緑と見るだけで楽しめるものになっていた。



「流石、奏だなぁ。美味そう……」


「えへへ」



 奏は老舗料亭の長女。

 それを知ってる俺は、あえて『流石、雨宮の家だね』なんてことは言わなかった。


 これは彼女の努力だし、家のお陰で全部成り立っていることはないって——知っているから。


 そんな俺の気遣いが嬉しかったのだろう。

 奏は嬉しそうに笑い、肩に寄りかかってきた。


 俺はお弁当を口に運び咀嚼する。



「うま……」



 と、無意識に出てしまった素直な感想。


 それに対して奏は「ありがと……」と小さく言う。

 表情はそんなに変化はないが、頰は薄っすらと紅潮していた。


 

「負けた……これは完敗だよ」



 俺の言葉に奏は、えっへんと胸を張りドヤ顔をした。


 家事全般をやり続け……正直、料理には自信がある。

 だから負けないって、心の中ではどこか思っていたのだろう。

 でも、その自信は今日で見事に崩れ去ってしまった。


 ……色々と凄い。

 なんか語彙力がなくなるほどに……。


 奏の作った弁当は、俺なんかが相手にならないような出来栄えで、食べ進めるとその料理に舌鼓を打ち、仕事の疲れが癒されるようだった。

 締めにはデザートもあり、アフターケアも完璧という……まさに非の打ち所がない。


 そうなると、最早悔しさの欠片もなく唯々、感心するばかりだった。

 清々しさもあるぐらい……。


 俺は食べ終わり、箸を置くと丁寧な所作で頭を下げた。

 降参を示すようなポーズである。



「ふふっ。何やってんの~有賀っち」


「ご馳走様でした。結構な御点前で……」


「は~い。お粗末さまでしたぁ~」



 満面の笑みを浮かべながらも、どこかほっとしたように表情を緩めた。

 それからお弁当を片付けてゆく。


 って、俺の降参ポーズはスルーなのかよ……。



「奏、マジで料理がうまくなったな……。箸が止まんなかったよ。かなり食べたのにまだまだ食べたりないぐらいだ」


「またまた~。大袈裟だよぉ」


「そんなことはないって。これなら毎日でも食べたいぐらいだ」


「へ? い、今なんて……?」


「毎日でも食べたいぐらいって言ったんだけど……可笑しかったか?」


「い、いや全然可笑しくないよ!!」



 食い気味に答え、それから頬を押さえてもじもじとする。

「どうしよー」とか「心の準備が~っ」とか……しまいには「胃袋攻略は正解だったんだ!」と、うんうんと独り芝居を始めてしまった。


 顔面七変化と喩えてもいいその表情の変化が面白くて、俺は思わず苦笑した。

 だが、「あ……」と何かに気が付いた声と共に急に笑顔が消え失せる。

 最終的には口を尖らせて不機嫌そうな態度になった。


 さっきまで浮かれていたのが嘘みたいに……めっちゃ不機嫌である。



「どうかしたか?」


「別に~。ただ、ぬか喜びすると地獄に堕とされそうだから、気を引き締めたのー。最後の最後まで油断はしないってねー」


「俺は、大真面目に言ったつもりだったんだけどな」


「えー……そんな風に言われると期待しちゃうよー?」


「ははっ」


「ちょっと! 笑って誤魔化さないでよね!?」



「もうっ!」と奏は頰を膨らませ、俺を揺らしてきた。

 怒ってるような表情と仕草だが、目は笑っていてふざけてるようである。


 俺は、彼女を宥めると頭に手を置き、ぽんぽんと軽く叩く。すると、奏は嬉しそうに目を細めた。



「とにかく美味しかったのは事実だよ。今まで口にした中で一番だった」


「へへ〜、嬉しいこと言ってくれてありがと。練習した甲斐があったってことだね~っ」


「そっか。奏は努力家だな」


「まぁ、そこそこだけどね。一応ね……お母さんに教えてもらったんだよ」


「そう……なのか?」


「うん。だって、勿体ないでしょ? 身近にプロがいるのにその技を盗まないなんてさ」


「成長したな、奏」


「えへへ~。もっと褒めていいんだよ~」



 猫みたいにじゃれてくる奏の頭を「よしよし」と撫でてやると、にへらと緩んだ顔になった。

 それがどうしようもなく愛おしく感じ、俺は彼女が態勢を変えるまで撫で続ける。


 自分から歩み寄ったのか……あれだけ嫌がっていたのに。


 奏の家は老舗料亭を営んでいる。

 だから、その跡取りを……ってところで昔は色々と揉めていた。


 今では問題なさそうだけどね。

 人って成長するもんだなぁ。

 料理なんて煙たがっていたのに、それがここまでの腕前までになったと思うと……ああ、マジで涙が零れてきそうだ。


 涙腺がゆるくなったかな……?


 俺は彼女に気づかれないように目を擦ろうとすると、なんだか視線を感じた。

 恐る恐る奏の様子を窺うと、至近距離で俺の顔を見ている。



「……なんだ?」


「えーっと……もしかして、泣いてるの? めっちゃ目が潤んでない!? だ、大丈夫??」



 心配そうに様子を窺ってくる。

 でも、『教え子の成長に感動してるんだよ!!』なんてことは恥ずかしくて言えず、俺は曖昧に笑って誤魔化すことにした。



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