閑話章 元嫁の末路

閑話 元嫁には戯言が聞こえた気がした。

 


「嘘……こんなに大きかったの……」



 目の前に広がる光景を前にして、感嘆の声を漏らす。



 私は今日、たぁくんの家に訪れていた。

 ただ遊びにきたわけじゃない。

 なんと……父親に呼ばれ、ここまでやってきたわけである。


 ふふっ。2年の交際を経て、ようやくここまできた。

 後少しで私の願いは成就されることになるに違いない。

 そう、私は確信している。


 私は家まで続く広い道を周りの景色を楽しみつつ、広い道を優雅に歩く。



 ――洋風の大豪邸。

 フィクションの中だけだと思えるほど大きな家に、私の開いた口が塞がらない。


 あまりに凄すぎて、言葉にはならないわ。

 私の前を歩く執事風の初老男性は、服の上からでもわかるほど引き締まった体をしていて、家の門から私を導いてくれている。

 目つきが鋭く、少し怖さはあるけどね……。



 でも、そんなことはもう気にならない。



 ここに嫁げば、バラ色の人生が約束されたのは確実と言ってもいいだろう。


 想像しただけで心が躍る。

 どれだけ優雅な生活が出来るのか……ふふ、私もセレブの仲間入りね。



 夢のようだ。

 本当に夢のよう。


 後は、金持ち特有の面倒なしきたりがなければいいな程度だ。

 もしあっても、そのぐらい乗り切ってみせよう。




 応接室に通された私は、少しだけ違和感があった。


 ……たぁくんはどこ?

 いつまで経っても現れない彼の姿に、私は不安を感じる。


 ソファーに座らされ、私の正面に案内してくれた男性と厳格な雰囲気を醸し出す初老の男性が腰を下ろした。


 なんだか疲れた様子が見えるけど、何故だろう?


 でも、そんな疑問やさっきのような不安は目の前に出された“モノ”で綺麗に消え去ることになる。



「お納めください」


「……あの、これは」



 目の前で出されたのは、膨らんだ大きめの茶封筒。

 そこに入っているであろうモノは、想像に難くなかった。


 あー、なるほど……そういこと。

 結納金ってことねぇ〜。


 はぁぁ。心配して損をしたわ!

 もうっ、紛らわしいんだから〜。


 えーっと。

 膨らみの大きさから、200は最低でも入ってそうよね?

 いや、もしかしてそれ以上かも?


 ということは……。

 このお金があればまたいーっぱい遊べるわ!


 海外旅行?

 高級車の購入?


 あ、でも車はたぁくんのがあるものね。

 ん〜っ。じゃあ使い道をどうしよう!

 迷っちゃうなぁ。


 ふふっ、想像しただけでテンションが上がっちゃうわねっ!!!



 でも——。

 結納金って茶封筒だった……かしら?




「息子と別れて欲しい」




 突如、聞こえてきたその言葉に、私は一瞬だけ硬直してしまう。



 ——はぁ、最悪ね。


 私は心の中で悪態をついた。

 目の前に置いてある封筒のお金は結納金ではなく、“手切金”というわけだ。


 そんなこと、状況を見ただけでバカでもわかる。



 けど、これは予想の範囲内。

 家柄の良い家庭なのだから、そう言われる可能性も考えていた。


 ……ここからが本番ね。

 熱意を見せて、どうにかしないと。

 玉の輿を逃すわけにはいかない!


 私は申し訳なさそうに顔を伏せ、弱々しいままに相手の顔を見た。



「……私に何か至らない点がありましたか?」



 まずは、相手の要望と不満を聞く。

 それを何個も喋らせて、解決を図れば問題はない。


 そう思ったからこそ、聞いて見たんだけど……あれ?


 なんで、2人とも申し訳なさそうな顔を?


 このままだんまりとされても困るし……ここは畳み掛けた方が良さそうね。



「何がダメなのか教えていただけますか? 不甲斐ないことが多い私ではございますが、相応しくなって見せますから」


「すまん……。いや、そういう話ではないんだ。あなたがどんなに優れていても、結婚を認めるつもりはないのだよ」


「そんな……こんなにも愛してますのに……」


「すまないね。愛とかは関係ない上に、執着を持たれては困るのだ……」



 ちっ、なによ。

 反応がいちいちわかりにくいわね……。

 でも、言わないことには始まらないからなぁ。


 けど、なんだろうこの違和感は、反対する態度にやたらとおかしい。

 変な胸騒ぎも……。


 そんなことを考えていると、初老の男性が気まずそうに口を開いた。



「人の交際にとやかく言うのは間違っていると思う。だが、私は止めずにはいられない。見て見ぬふりが出来ないとこまで、腐り始めてしまっているから……」


「あ、あの。えっと……どういうことですか?」


「愛してるとか、そういことを息子に思わせては困るんだ」


「困るとは……?」


「文字通りの意味だよ。それだけじゃない。拓也は——」



 “バタン”と音を立ててドアが勢いよく開く。

 そして扉を開けて現れたのは、いつも通りの王子様みたいな笑顔で笑う——たぁくんの姿だった。



「たぁ……くん?」


「あや、来てたんだねっ!! よかったぁ、僕も騙されるところだったよ」


「だ、騙される?」


「そうだよ! お父さんったら、僕に嘘をついて『あやが僕を愛してなどいない』なんて酷いことを言うんだよ? それに会うことも日付違う日を僕に教えてるしね……」


「そうだったんだ……」


「ねぇ、あや。お父さんが言ってたことは嘘だよね?」


「勿論。私が『愛してない』なんて、そんなこと言うわけないわ」


「ふふ、そうだよね! 僕もそう思っていた」



 息子の登場に面をくらった様子の2人。

 「なんでここに」と、大きなため息と共に頭を抱えていた。


 もしかしたら、たぁくんの真っ直ぐさに押し切られると思い、このような手段に出たのかも知れない。

 さっきまで腑に落ちなかったものが解消され、すーっと胸につっかえたものが消えてゆく。



「ほら、行こうよ。そんなところにいたらお腹の子に悪いよ?」


「うんっ!」


「ま、待ちたまえ! 君のためにも——」



 たぁくんは私の手を引き、やや強引にこの場から立ち去ろうする。

 無邪気で人懐っこい彼の笑みが、私をさらに満足させてくれるようだった。


 きっと、意地悪を言う親から守ってくれてるんだろう。

 この人について行けば間違いない。

 だから、私は振り返らずに部屋を出た。


 けど、扉が閉まる直前——




「君は騙されて……息子は、19歳の——」




 私の耳に、そんな微かな戯言が届いた気がした。

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