閑話 元嫁の知らない早乙女拓也(たぁくん)



「お父さん久しぶり。待たせたよね……今日は結婚の報告に来たんだ」



 王子様のような柔和な微笑み。

 言葉を聞けば、中々会えなかった父親に結婚の報告をしにきた。

 そんな風に見えることだろう。

 現に、報告を受けた父親は震えていた。


 だがそれは、感極まって震えたわけではなかった。

 額には青筋が浮かび、口元はぴくついている。

 それから——




「拓也!! お前、急に帰ってきたと思えば今までどこに!? 口を開けば結婚だと!?!? まさか、学校に行っていなかったのか!?!?」



 書斎に響く怒号。

 それは、早乙女家当主の怒りの声だ。


 見る人が見れば、その声を放つ男性の厳格な雰囲気に圧倒され体が竦むことだろう。

 そのぐらいの迫力があり、怒鳴りつける声で家具が震えているようだった。


 だが、そんな声を受けても涼しい顔をして拓也は立っている。

 そして、口を開く。



「通ってたよ」


「じゃあなんで結婚なんてことになってるんだ!」


「何を言ってるのさ。学生で結婚なんてよくあることでしょ?」



 と、当然と言わんばかりの態度でそう言い放った。

 その言い草に、父親の額にべったりと汗が浮かんだ。


 ぷるぷると震え、今にも飛び掛かりそうな形相で拓也を睨む。だが、怯むことなくニコニコと笑うだけであった。



「前に“真面目に生きる”って宣言したのは、お前だろう! “心を入れ替える”って……学校に通って見つけると……っ!」


「僕は真面目に生きているよ。こんなにも穏やかに日々を過ごしている。それに学校で見つけたよ?」


「……見つけた?」


「うん。ちゃーんと見つけたよ。結婚相手を」


「どうしてだ。拓也は今度こそ、学校に行って世のためになることを……って言っていたのに……」


「ふふっ。おかしなお父さん。結婚も世のためじゃないか。少子高齢化だから、少しは貢献しないと。僕はね、4人子供が欲しいんだ。あ、そうだ。学校は辞めるよ? 学校になんて行ってたら、育めないからね」



 拓也はそう言うと、やれやれと肩をすくめてみせた。

 未だに状況を把握できない父親は、口をポカンと開ける。

 それから首を左右に振り、厳格な父の雰囲気を取り戻すと「拓也がなんと言おうと、結婚は認めない!」と物を投げつけた。


 拓也はひょいとそれを避ける。

 それから、話の通じない相手に呆れはてたようにして「困ったものだね」と言った。



「困っているのは私の方だ」


「僕は困らないけどね」



 でも拓也にはどこ吹く風と、気にした様子はない。

 相変わらず、王子様のような笑みを浮かべて笑うだけだ。



「ははっ。まぁ少しで20歳だし、最悪そこまで待つよ」


「拓也……。頼むから考え直して……大人しくしてくれ。お前が動くと碌なことにならん」


「あはは。大人しくって、僕は普通の幸せが欲しいだけだよ」


「幸せ……? また、金を勝手に使ってよく言えたものだなっ!! どこから探し出した!」


「ふふっ、お金は使うものだよ。お父さんは可笑しなこと言うね」


「それだけじゃない!! どうやって家を借りたりした!? それに車だって!!」


「馬鹿だなぁ。お金を積めば、どうにかなることも多いしすれば問題ないよ」


「まさか……また何かやって!?」



 父親の顔面蒼白になり、ガタガタと震え出す。

 その震え方は尋常じゃない。


 引き出しから薬を取り出すと、それを一気に口へと流し込んだ。


 その様子を拓也は笑ってみている。

 魅力的に見えるその笑みが、最早狂気にしか見えなくなっていた。


 父親は机をバンッと叩き、大きくため息をつく。



「もう無理だ……。私はこれ以上、お前を見きれない。お金だって、いつまでもあるわけじゃないんだ」


「僕はお父さんの子供だよ? 親が子供の面倒を見るのは当たり前だし、お金は子供のためにあるもんだ」


「……何か、大切なことを話していないことはないだろうな?」


「ないよ、何も。普通に健全な付き合いをしているだけで



「何もない」そう言い放つ拓也に、父親は嫌な胸騒ぎを覚えた。重大なことを隠されているのでは……そういう、胸騒ぎである。


 けど、行動が読めない息子の考えなんてわかる筈もなく、不安を頭の隅へと追いやってしまった。



「どっちにしろ認めん。お前の玩具にされる前に、彼女には別れてもらう。理由を話せば納得してくれることだろう」


「理由を話せばね〜。でもそんなこと僕も邪魔するし、邪魔しなくてもそう簡単にいかないと思うよ?」


「……どうしてそう思う」


「僕と同じで幸せが欲しいメルヘンな人だからね。それに、それだけじゃないし」


「……?」


「簡単には離れられないんだよ。3つの愛の鎖があるからね。切っても切り離せないのさ」



 意味がわからない。

 父親の顔にはそうハッキリと書いてある。


 わかった様子のない自分の父親を見て、拓也は「わからないよねー」と楽しげに言った。



「じゃあ、僕は行くね。これから、幸せ家族計画を考えないといけないから」


「その娘さんは、本当にお前を愛してるのか? 心から愛していると言えるのか? お前の勘違いという可能性も……」


「…………はぁ?」



 ——突如、拓也の顔の笑みが崩れた。

 目は見開き、憤怒とも言える感情を目に宿して、父親に詰め寄った。




「愛してるに決まってるでしょ? どうしてそんな考えになるのかな? ああ、わかった。お父さんは働くことしか出来ないダメ人間だから、そう思うんだ。真実の愛を知らないんだね。ちなみに、真実の愛と言うのは伝えなくてもお互いが求め合うものだよ。なんだろう? スピリチュアルな関係って言えばいいかな。僕とあやが出会ったのも、たまたまだったし。でもね、出会った瞬間にびびっと感性に訴えかけるものがあって、不覚にもときめいたのを今でも忘れてないよ。それからは、時間を共に過ごしたし、彼女は僕を癒してくれた。ずっと一緒にいてくれるとも言ってるから。だから、死がふたりを分かつまでは一緒だろうね。あー、そうだ。どちらが死ぬ時は、一緒に死なないとね。寂しいもん。これだけ、愛しているのにお父さんは——」




 落ち着いた様子に変わり、にこりと笑みを浮かべ一拍だけ間を開けた。

 そして……。



「お父さんは、僕を否定するのかい?」


「…………」



 父親は、開いた口が塞がらず言葉が出なかった。

 激しい喪失感と罪悪感に、口が動かなかったのだ。


 それを確認した拓也は、踵を返すようにしてドアに向かう。



「じゃあ、僕は行くね。邪魔しないでよ、。僕は彼女と添い遂げたいんだから」


「……拓也。もう、これ以上勝手に家の金は持って行かせはしない。学生が終わったら、勘当を言い渡す」


「別にいいよ。真実の愛で繋がった僕には必要ないからね」



 いつも通りのにこやかな笑み。

 それなのに、この部屋の空気感は極寒とも言えるほど凍えていた。


 膝を机につくようにして、父親は嗚咽を漏らし始める。



「……なんで、こんな風に成長してしまった。私はどこから間違えて……!」



 涙が止まることを知らない。

 流れる川のように、机を濡らし続けた。



「せめて奴が留守のうちに呼んで、迷惑料を支払って逃してあげないと……。でも、それだけでなんとかなるものなのか……? 私は……どうすればいいんだっ!!」



 ドンッと机を叩いた音が書斎に響く。

 響いた声は余韻を残し、それから啜り泣く音を拾うのだった。



 “あや”が本当の拓也を知るのは、もう少し……後の話である。


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