第32話 先生の言葉
「奏……?」「……姉さん」
思いがけない人物の登場に、俺達は呆気にとられた。
どうしてここに……?
ってか、何でここを知ってるんだ?
そんな疑問が浮かび、それ以上は何も言えない。
すると、そんな俺に近づいてきた奏は手を握り、ふぅと息をつき、にこり笑顔を向けてきた。
……握る手には、やたらと力が入っている気がした。
「もうッ! 随分と探したよ〜っ。有賀っちが中々戻って来ないし、そしたらお母さんからも急に連絡があるしさぁ」
「悪い……」
「いいって。響が今日、買い物についてきた時から違和感があったし。連絡が来たときは、こんなことだろうと思ってたよ」
「……うっ」
自分が読まれていると思ってなかったのだろう。
響ちゃんは苦笑いだ。
計略には長けているけど、人の感情には鈍い所があるからな。
頭はいいけど、身内にバレるのはそういうところからだろう。
「さぁーて、響ちゃ~ん? 何か、お姉ちゃんに言うことがあるよねぇ?」
満面の笑みを浮かべた奏が響ちゃんに近づく。
明らかな作り笑顔には、体が本能的にぶるっと震え、心なしか寒気がした。
やばい……めっちゃ怒ってる。
「……姉さんはいつも綺麗です」
「まぁそれほどでもあるんだけど……って、こらぁ! そういうことじゃないでしょ〜〜っ!!」
「にゃい!?!?」
奏の渾身のデコピンが響ちゃんの頭にヒットして、猫みたいな声が出た。
わりといい音がして、おでこが赤くなっている。
いつもの澄ました表情には見る影もなく、涙目で奏を見ていた。
「……痛いです、姉さん。無駄に力が強いです……」
「これは当然でしょ。私、結構怒ってるんだから」
「……私、悪くはありません」
「悪いって、そこはちゃんと認めなさい」
感情をむき出しにして怒るなんてことはなく、静かな口調で妹を嗜める奏がいた。
さっきの会話を聞いていたのかもしれない。
だからこそ、水を差されたような気がして怒っているのだろう。
感情的になってもおかしくはない。
けど、そんなことはないところに彼女の成長を感じた。
……変わったなほんと。
そう思って嬉しくなる一方……寂しくもあった。
「……あの、その……ごめんなさい」
「ねぇ響。私が何に対して怒ってるかわかる?」
「……勝手なことして……引っ掻き回したから……です」
「はぁ、違うって」
呆れたように肩をすくめてみせて、それから響ちゃんの頭に手を伸ばす。
響ちゃんはさっきのデコピンが痛かったのだろう。
びくりと肩を振るえさせ、怒られることに怯えていた。
だが、そんな響ちゃんを奏は優しく撫でた。
「本当に心配したんだからね……」
「……え」
「いーい? 私が怒ってるのは嘘ついて家を出てきたことだよ。もし、有賀っちが気づいてくれなかったらどうしたの? いくら響が強くたって、不測の事態が絶対にないなんて言える?」
「…………絶対には言えないです」
「でしょ。私はそのことを怒ってるの。昔からそういうところがあるけど、自分で何でも解決できると思わないで。私のことを思って行動してくれたのは……嬉しいけどさ」
そう言って、奏は妹の頭を優しく撫でる。
響ちゃんの強気な姿勢はそこにはなく、何度も謝罪の言葉を口にしていた。
バレたくなくてこの場所を選んだのに……家族の目はもう欺けなくなっていたのだろう。
昔と違い姉妹間の確執はない。
そこにあるのは、姉妹愛ともいえる優しい空間だ。
それを見ていると、乱れてきていた俺の気持ちが落ち着いてきた気がした。
「ごめんねー、有賀っち。迷惑かけてさ」
「俺は何も気にしてないよ。寧ろ早く連絡すればよかったよな、気が回らなくてすまん……」
「いいって。これはウチの家の問題だし。けどこの後、家には帰らないと~」
「それがいいね」
「うん、響を引き渡さなきゃいけないしね。お酒はまた今度にしよー」
「……ああ」
俺が微笑むと、何故か奏はムッとして俺をじっと見つめている。
そんな目で見られていると、全てを見透かされたような気がして、ドキリと嫌な胸の高鳴りがした。
だから俺は気まずくて、彼女から顔を背けると、後ろから大きなため息が聞こえてきた。
「ねー、そうだ有賀っち。ひとつ確認だけいいかなぁ?」
「……うん?」
「今度の休日、デートがあるけど……もしかして、忘れてないよね~?」
「勿論、忘れてないよ」
「ふ~ん、それならいいけど。有賀っちのことだからぁ。『距離を置いた方がいい』とか考えて、行かないっていう選択をとろうとする気がしたけど……私の取り越し苦労なのかな~?」
「ハハハ……」
……図星だった。
あまりにも的確な指摘に、最早俺の口からは渇いた笑いしか出てこない。
響ちゃんに言われたことで……俺は少なからず距離を置くことも考えていた。
仕事上、会うことはあるけどバイトと塾長という関係は崩さず、それ以上は線を引く――そんなことも思っていた。
結論が簡単に出せないなら、昔から好意を寄せている彼女を知っているのに不義理に思えるから……。
「はぁぁ……有賀っちは考えてること分かりやす過ぎだから」
「……はは、なんて言うんだろう。まさか、簡単に教え子にバレるなんてな」
「何言ってんのー。教え子だからわかるんだよ? 教えてくれたのが勉強だけじゃないし、高2の時から接してれば有賀っちの性格から至る考えなんて、こっちには筒抜けだって~」
「数年でわかるもんなのかな?」
「ずっと見てきたからわかるよ……。そのぐらい、有賀っちを目で追う自分がいるからね」
恥ずかしそうに頬を染め、はにかんだ。
“目を追う自分がいた”ではなく、“いる”と言っているあたり彼女の意志の表れなのだろう。
それがわかるだけに、胸が苦しくなる。
けど、彼女は俺を急かすこともなく、ただ微笑みかけてきた。
「距離を置こうなんて無駄だよ。私が勝手についてくし」
「それだと奏に甘えるばかりで……」
「いいよ甘えて。辛い時に頼ることがダメなら、今の私はここにいないから。寧ろ、悲しくて、辛くて、泣きたい時にこそ、誰かが寄り添うものだって……私は思うよ」
「俺は決断もでき——」
「ねぇ。それって、すぐに決めなきゃダメなこと?」
「……俺はそう思う。不義理で不誠実なのはいけないからな」
ケジメをつける。
結論を出す……。
長年、一緒にいたからこそ、保留にするべきではない。
そう思って、口を開こうとする俺の口に奏は指を当て首を横に振った。
「いくら拒絶してきたって、心から言わない言葉なんて、私には響かない。先生が私に教えてくれたように、それを今度は私がそっくりそのまま返してあげるね」
「…………」
「『人生はまだ長い。何がやりたくて、何がしたいのかなんて、簡単には見つからないのかもしれない。果てのない荒野を彷徨うぐらい途方のないことかもしれない。だからこそ、一緒に探していこうな。焦る必要はない、焦って決めたら大切なモノを見逃すかもしれないからね』って、まんま先生の受け売りだよ」
「……なんでも覚えてるんだな、奏は」
「私の人生を変えてくれた先生の言葉を忘れるわけないでしょー。今でも、私の支えになってるんだからっ」
自分の教えたことが彼女の中に落とし込まれ……それが巡って自分に返ってくる。
言いようのない、表現の難しい感情が込み上げ、俺の涙腺を執拗に刺激してきた。
「有賀っち。前に言ったよね、青春の話」
「ああ……」
「だからさ、まずは楽しも。今は考えが渦巻いて暗い気持ちになってるかもしれないけど。遊びたいから、一緒に楽しみたいから……そういう考えでいいじゃん」
「いや、それは……。それで奏はいいのかよ」
「良いも何も、仲の良い男女が遊ぶのに『楽しみたい』以外の理由なんていらなくない? 純粋に楽しもうよ。仕事で疲れて、日々の生活に癒しを求めて羽を伸ばす。それでいいんだよ」
「私も羽を伸ばして遊びたい」と、諭すような優しい口調で話す。
この言い方で、俺は響ちゃんとの会話を聞かれていたことに確信した。
気を遣われてるな、俺。
嘆息し、視線を地面に落とそうとする。
だが、そうする前に奏は俺の顔を両手で押さえ、無理矢理に上げてきた。
急なことで目を丸くして彼女を見る。
そしたら奏は見つめ返してきて、こう言ってきた。
「当日は寝込んでいても、引っ張ってでも引きずってでも……絶対に行くからね」
目には力があり、今の俺だったら何やっても勝てない。
そう思わせてくるような宣言。
それには俺も思わず苦笑した。
「……ははっ、それは頼もしいな。これじゃ、行くしか……ないじゃないか」
「ふふ~。でしょでしょ~。行かないという選択肢はないよ~」
彼女の屈託のない笑いに俺もつられて笑った。
その様子を響ちゃんが首を傾げ、不思議そうな顔をしている。
「そうだ。言っとくけど響、お母さん……今日はマジでキレてるから。絶対に寝られないよ」
「……ひぃぃ。か、可愛いJKを助けるチャンスですよ、兄さん」
「よくない嘘だから、甘んじて怒られてきなさい」
「……そんなぁ。あんまりです」
“ガーン”と効果音が出そうなぐらいショックを受けた様子の響ちゃんはがっくしと肩を落とした。
顔には絶望の色が濃く出ていて、助けを求めるような目を俺に向けている。
でも、無理だよ。
あの母親には勝てない。
その事実を知っている俺は、親指を立て『頑張れ』とエールを送ることしか出来なかった。
まぁ、骨は拾ってあげよう。
骨も残ってない可能性もあるけど……。
俺がそんなことを考えていると、奏が背中をバシッと叩いてきた。
何事かと振り向くと微笑んでいて、俺の胸をノックするようにしてくる。
挨拶にしては優しく、まるで元気づけようとしているようで……そう思うと自然と笑みが零れた。
「じゃあ、私と響は行くね〜。じゃあまた明日……って、日付変わってるから今日になるのかな?」
「はは。そうかもな……じゃ、とりあえずまた仕事先で」
「うんっ! おやすみ。有賀っちまたね!!」
「ああ、おやすみ。またな」
俺は片手をあげ、彼女に手を振る。
背中を見せ、遠ざかろうとする奏は2、3歩進んでから止まり、こっちを振り向いた。
「どうかした?」
「ううん。最後にひとつだけ」
「……?」
「私、有賀っちが思ってるほど、もう弱くはないよ」
奏はそう言ってから、にこやかに笑う。
そして、響ちゃんを引っ張って俺の前から足早に去って行った。
残された俺は、星空を見上げ大きく息を吐く。
「……もう弱くないか」
俺はそう呟き、拳を強く握る。
そして、ひとり寂しく家路につくわけだが……気持ちは少しだけ軽くなった気がした。
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