第30話 教えてください

 


「……覚えてますか、この場所」



 目の前に現れた響ちゃんは夜空を見上げ、昔を懐かしむように微笑みながら、そう問いかけてきた。


 ――1年前。

 俺は、奏と喧嘩して家出した響ちゃんをこの場所で見つけていた。


 流域が広い大きな川の河川敷。

 外灯は少なく、夜になると真っ暗で人通りもない。

 そんな所で俺は見つけた。



 何故、見つけられたのか。

 今、思えば“運が良かった”としか言いようがない。


 昼に彼女が別れ際に言っていた『星降る夜に』っていうのは、授業中に教えてくれたことだ。

 考え事をしたくて、独りになりたい時に行く場所……それは、灯りが少なくて天体観測に適している。

 そんな、何気ない会話からその場所を推測し、走り回った——それが1年前の出来事である。


 ……まさか、また来るとはな。


 俺は苦笑し、響ちゃんの頭に手を置き、ポンポンと叩いた。



「忘れないよ。あれだけ探し回ったからね」


「……ふふ。そうでした。あの時は、迷惑をかけてすいません」


「あの時って、今も迷惑をかけているからなー?」


「……子供は大人に迷惑をかけるものです」


「子供であることを免罪符にすんなって。そういう意味で、前に俺は言ったつもりはないぞ」


「……わかってますよ。もちろん、冗談です」



 響ちゃんは、注視していなければ見逃してしまっていたほど一瞬だけ、くすっと何かを懐かしむように微笑んだ。


 ほんと、突飛なことばかりする姉妹だよ。

 きっと家の方で大騒ぎになってるぞ……。



「なぁ。俺がここに来なかったら、どうするつもりだったんだ? たまたま俺が気づいたからはいいものの……」



 俺は嘆息し、彼女に苦言を呈す。

 けど、言ったことを特に気にしたような様子はなく、微笑を浮かべるだけだ。



「えっと、響ちゃん?」


「……ふふ、たまたまって兄さんは来ますよ。私の予想は外れたことなんて一度しかないので、統計的に当たります」


「一度あるなら、不確定なことに頼るなよなぁ」


「……その一度は兄さんが原因ですけどね」


「え、俺?? 全く記憶にないんだけど」


「……でしたら、そのことは私だけの秘密です。私は天才ですから、予測も予想も容易いんですよ」


「はは……、相変わらず自信たっぷりだな」


「……客観的な事実です」



 嫌味な物言いなのに、苛立ちも嫉妬も起きない。

 言っていることは事実だし、人を惹き付けるような魅力的な笑みが反論を許さないでいる。


 天才……か。


 一回で大抵のことは覚えて、二回では盤石。

 勉強は大してしなくても出来るし、思いつきで作ったモノが簡単に賞をとってしまう。


 勉強、運動……あらゆる面で死角がない。

 百年に一度、いや千年に一度って言っても過言ではないかもしれない。


 それが——雨宮響という人間だ。



 唯一の欠点は、性格ぐらいなものだろう。



「それで、響ちゃんはなんでこんなことしたんだよ。家の人は心配してるからな?」


「……ああ、それは大丈夫です。友人の家に泊まってることになってますから。“学校を休んだノートを見せてもらうというてい”で」


「はぁぁ……。そのために今日、サボってたのか。じゃあこれも計算ってことね」


「……そういうことになりますね」



 悪びれることもなくにこりと笑い。

 少しだけ得意気な顔をした。



「ってことは、最初から俺と話したかった……そういうことだよな」


「……察しがいいですね。そういうとこ素直に好感が持てますよ?」


「ハハハ……ありがと」


「……ゲームで言うと、好感度が上昇ってところですね。攻略キャラであれば、ぐぐーんと爆上がりです」


「ったく、そんな冗談はいいから……響ちゃんは、こんな方法とらなくてもよかっただろ。話したいならいつでも機会はあるだろうし。こんな夜中に出歩いて何かあったら、どうすんだ」



 俺が嗜めるように言うと、彼女は目を伏せ「……私、強いので」と一言だけ口にした。

 さらっと言ってのける響ちゃんの頭に、俺は手を乗っけて乱暴に撫でる。



「アホか。確かに、響ちゃんが武道も極めてるかもしれないけど。それを行使する場面に遭遇する機会を与えてしまうのが問題なんだよ」


「……それはそうですが」


「響ちゃんは頭はいいが、そういうところがなっていない。事故に巻き込まれて怪我することの心配もそうだが、その後のことが俺は不安なんだ。いくら自分に正当性があっても、心には何かしらの爪痕を残すからな……」



 俺の言葉に響ちゃんの顔色が曇る。

 そして、丁寧に腰を折り頭を下げてきた。



「……失念してました。すいません」


「わかってくれたならいい。けど、気をつけてくれよ? 響ちゃんが何かする度に、俺のライフがごりごりと削られるんだから」


「……その場合は削られた分、補充しますね。勿論、姉さんが」


「いや、そこは自分でやれよ!」



 俺がツッコミを入れると、可笑しそうに笑ってみせる。

 そして「……先生っていいですね」とぼそっと呟いた。



「話は逸れてしまったけど、場所と話す機会はいくらでもあると思うぞ?」


「……そんなことありませんよ」


「そうか? 俺って、今は基本暇な人間だけど」


「……暇とかそういうことではないです。って、自覚してくださいよ」



 響ちゃんは呆れた顔をして大きなため息をついた。

 それから、俺の顔をキッと気合いを入れるように見る。



「……離婚して不安定な兄さんを姉さんは、常に気にかけて寄り添っています。だから、こうやって疲れている日じゃないと出し抜くことは出来ません」


「出し抜くって、お前なぁ……」


「……姉さんに要らぬ心配をかけたくありませんので。私が兄さんを呼び出したことが分かれば嫉妬してしまいますからね」



 肩を竦め、自嘲気味に笑う。

 そして——



「……では、回りくどいことはやめて。単刀直入に聞きます」



 俺に詰め寄り、至近距離から見つめてくると俺の手首を掴み訊ねてきた。



「……教えて下さい。兄さんは姉さんのこと、どう思っていますか? いえ、これから兄さんはどうしたいのですか?」



 遮るものがない河川敷。

 そこを静かに風が吹き抜ける。


 そんな中、彼女の抑揚のない声が静かに響いていた。

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