第26話 奏は妹にペースを乱される

 

 さっきから美人を前にして妙に静かな同僚の様子が気になり、俺はいるであろう方向を向いた。

 敦は信じられないモノを見たような目で、口を魚のようにパクパクとさせている。


 これ、もしかしてじゃなくてもダメそうだな……。



「おーい。敦ー、生きてるかー?」


「…………」


「……“ へんじがない。ただのしかばねのようだ”ですね。以前、お見かけしたことがありますが……この方はどうかしたんですか?」


「まぁ、目の前の光景を見てショックを受けたんだよ。でも、後で戻るからきっと大丈夫」


「……そうでしたか。でしたら、精神科医の紹介は必要ないですね」



 響ちゃん興味なさそう素気なく答え、敦からぷいと顔を背けた。


 そして、何かを思い出したのか、ごそごそと自分のカバンを漁り中から何かを取り出す。

 丁寧に腰を折り、俺へ複数の布…………いや、下着を差し出してきた。




「……兄さん、これをお納めください。御所望の品です」




 ——女子高生に下着を差し出される社会人。

 傍から見たら、完璧にアウトな光景である。


 犯罪の臭いしかしないんだが……。

 俺はため息をつき、下着を突き返した。



「普通にいらないんだけど」


「……またまたー」


「遠慮しないでみたいなことをされてもなぁ。普通にしまってきなさい」


「……それで兄さん。どっちがいいと思いますか?」


「会話のキャッチボールは無視なのね……。ってか、パンツなんてどうでもいいんだけど」


「……そう、仰らずに選んでください。Tのタイプか、透け透けのタイプか……。それとも紐?」


「いやいや、選ばないから」


「流石は兄さんです。これでは満足しないと……。やはり、私の予想を裏切ってくれますね。並々ならぬ欲望の持ち主です。ノーパン派ということを失念してました」


「勝手に決めつけるなよっ!」



 彼女にツッコミを入れると、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。そして挑発するように、俺の顔の前で何度も下着をチラつかせてくる。


 俺は鬱陶しそうに手をひらつかせるが、まるで効き目がない。

 まるで催眠術でもかけようとしているのか、目の前でゆらゆらと下着を動かしてくる。


 ……何がしたいんだよ。

 けど、下手に動けば響ちゃんの思う壺に嵌りそうだし……困ったな。


 俺がどうしようか、悩んでいると復活した奏が妹の姿を確認するなり、慌てた様子でやってきた。



「ちょっと響!! 有賀っちに何をしてんの!?」


「……どっちの下着が似合うかなと。せっかくですから、試着をしようと思ったのですが」


「そんなこといいからっ! いいからそれを置きなさい」


「……お断りします。雨宮家の女性たるもの『戦線からの離脱は重罪』ですから」


「ウチの家にそんな決まりはないでしょ!?!?」



 なかったのかよ!

 と、俺は内心でツッコミを入れた。


 いつも口癖のように響ちゃんが言っていたから、雨宮家の家訓として存在しているのかと思ったよ……。

 普通にキャラ作りだったなんて、今更ながら衝撃的だな。


 俺は苦笑し、2人のやりとりを眺める。


 奏は、響ちゃんから下着を奪い取ろう手を伸ばす。

 抵抗することなく、響ちゃんは奏に下着を手渡した。


 それには奏も予想外だったのだろう。

 可愛らしく小首を傾げ、顔をしかめた。



「えっと……響にはまだそんな下着は早いから回収って思ったんだけど。やけにあっさりしてない?」


「……子供には早いってことなら、姉さんが穿いてください。もう二つとも買ってしまったので、無駄になってしまいます」


「いつの間に買ったの!?」


「……昨日、予約購入しました」


「なんてことしてんの!?!? 私はそんなの絶対にいらないからねッ!」



 今度は妹に突き返し、頰を膨らませて声を荒らげた。

「私はもっと普通のが……」「勇気が……」とぶつぶつと言っているようだけど、これは聞かない方がいいかもしれない。


 動揺する姉を見て、響ちゃんは意地の悪い笑みを浮かべた。



「……姉さんが穿かないなら仕方ありません。勿体ないので、ここは私が“この可愛くて男性を虜にしそうな魔法の下着”を使うことにします」


「え、男性を虜に……?」


「……そうです。そういう触れ込みだったのですが……。でも姉さんには関係ないことですよね?」


「あ、でも……」


「……あー、どうしましょう。JKブランドにこの下着が合わさればまさに“鬼に金棒”。色仕掛けを行うと、つまり兄さんの陥落は間違いないものに〜〜」


「……陥落? いやいや、朴念仁で頑なで、誘惑にも折れない有賀っちに限ってそんなことは……」



 ……さりげなくディスるなよ、おい。

 俺は心の中で文句を言った。


 勿論、声は出さない。

 下手にこの会話に入ったら、標的が俺に変わってしまうからな。



「……甘いですね。チョコラテのように甘々です」


「何よ……響。私は、そんなことないけど?」


「……いいですか、姉さん。よく聞いてください。兄さんは、この下着に視線が何度も誘導されています。見つめる時間も長かったです。よって、下着が効果的というのは、確かな信憑性があるかと……」


「そんな……」


「……信じたくなくてもこれが真実。男は色香に弱いと遺伝子に組み込まれた、性質の問題です。なので抗いようがありません」


「……有賀っちには下着が有効だったなんて」


「……姉さん。この下着を受け取り、あわよくば兄さんに好みの下着を選んで貰う。仮に出番がなくても、印象付けにはよろしいかと」


「響って天才!?」


「……雨宮家の女性たるもの『二頭を追って、二頭を得る』ですから……。ここで有効打を入れましょう。そしてゆくゆくは“ピー(モザイク音)”です」


「そ、それは早いんじゃないかなっ!?」


「……いつまでもウブではいられません。姉さんの武器を生かすべきです」


「ゔっ」



 目の前で繰り広げられる姉妹による、聞いてはいけない会話が続く。

 響ちゃんが奏の何を見て、アドバイスをしているか……それも見て見ぬフリだ。


 ……ってか、当人がいないところで会話してくれよ。


 きっと俺の顔は気恥ずかしさに溢れ、赤面していることだろう。顔が熱く、体感温度が5度ぐらい上がった気がする。


 この会話を家でやられていたら、お茶を飲みながら聞き流すことができただろう。


 けど今は、それが出来ない。

 だから——



「と、とりあえず二人とも……そういうやりとりは別の所でやろうな?」



 俺は2人の間に割って入り、話を中断させることにした。

 そして、きょとんと首を傾げる姉妹に周りを見るように促す。



「「「「………………」」」」



 そう……。

 俺たちに向けられたのは、店員や他の客の無言の圧力。

 そして、「何事だろう」と、野次馬から向けられた好奇の視線だった。


 奏はようやく自分の過ちに気づいたのか、茹で蛸のように顔を紅潮させる。

 ぷすぷすと湯気が出できそうなぐらい染め上げ、わなわなと震え出した。



「な、な、な……嘘。ちょ、ちょっとお手洗いに行ってくる~~~~っ!!!」



 走ってその場を逃げ出す奏。

 俺と放心状態の敦、響ちゃんだけがぽつんとその場に取り残された。



「……これで姉さんの羞恥心をやや排除。積極性がアップです」


「鬼かっ!」



 奏は、妹の前だと途端にペースを崩されてしまう。

 ちなみに、彼女が戻ってくるまで20分ほどかかった。

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