第12話 元教え子と後輩社員

 


「さっきの話、説明してください! どういうことですか……いえ、何があったんですか!?」



 俺の腕を掴み、真剣な眼差しを佐原さんは向けてきている。


 会議が終わり、俺は捕まらないようにそそくさと帰ったわけだが……。

 見ての通り、教室にたどり着く前に捕まってしまったわけである。


 幸い、人通りが少ない抜け道だから助かったな。

 これが人が行き交う商店街だったら、目を当てられなかったよ……。



「とりあえず落ち着こうか。何があったかは、また今度話すから。それに、これから教室に戻らないといけないだろ?」


「そんなことよりも、こっちが大事です!」


「こらっ、佐原さん」



 俺は佐原さんの額をコツンと叩く。

 大した力ではなかったが、叩かれた箇所を押さえ不服そうに俺を見てきた。




「……痛いです、有賀さん」


「不用意な発言するからだぞー?」


「けど……」


「“けど”は禁止だ」


「ゔぅ……はい」



 叱られた子供みたいに体を小さく縮めてしゅんとした。

 俺はそんな佐原さんの目を見て、ゆっくりと話を始める。



「いいか? 前に教室研修の時も言ったけど。一番大事なのは子供。俺達は子供の未来を背負った仕事なんだから“そんなもの”なんて言ってはダメだよ」


「……はい」


「それを忘れると、いつまで経っても顧客目線に立てないからな。いい? 佐原さん」


「…………わかってますよ。言葉のあやです」


「そっか、それならよかった」


「はぁ。また……子供扱いして……」



 微笑み、佐原さんの頭をぽんぽん叩く。

 すると、頰を膨らませ不機嫌そうになった。



「それで一体全体どうしたんですか? 私は一応、有賀さんを信じてますが……まさか、浮気をしたわけじゃないですよね?」


「しないって。逆だよ、逆。俺が浮気をされたんだ」


「……奥さんが浮気?」


「ああ」


「誕生日には無理してでも有給をとったりしてるのに?」


「……ま、まぁ」


「プレゼントも時間をかけて選びますし、サプライズも用意して楽しませてる工夫もしていたのに?」


「お……おぅ……」


「“奥さんバカ”と社内で言われたほどなのにですか!?!? 信じられません! 有賀さんがかわいそうですっ! このままでは、有賀さんがショックで死んでしまいます!」


「ああ本当、死にそう。お陰様で、俺のライフは限りなくゼロだよ……」



 主に恥ずかしさで……。

 ってか、元嫁のための行動って筒抜けだったのか?

 そう考えるだけで、顔から火が出そうなぐらい熱くなってしまう。


 俺は手で顔を扇ぎ、少しでも冷まそうとした。



「決めました。とりあえず一発頭に入れてきますね。後のことはそれから考えます」


「落ち着けって! そこまではいいから」


「私の尊敬する先輩を傷つけておいて許せませんっ! 今から千枚通しを自宅から持ってきて……」


「お前はいつからそんなバイオレンスになったんだよ。いいからやめなさい」


「止めないでください先輩! 離してください〜!」


「マジでいいんだって。佐原が慕ってくれているのがわかっただけで気分は十分だからさ……。それに、今更関わったって碌なことにならないよ」


「……先輩」




 目を潤ませて悲しそうな顔をする。

 こんだけ感情表情が豊かなのに、それを生徒の前では見せないからなぁ。

 見せればもっと良くなるんだけど……。


 お堅くて、融通が利かなそうに見えるけど。

 本当は誰よりも情に厚いんだよ。


 だから、俺に起きた出来事を本気で悲しんでいるし、俺以上に怒っているんだ。


 その証拠に『見つけたらしめる』って、怖いことを言ってるしね。

 本当、いい後輩をもったよ俺は……。


 そんな感傷に浸っていると、人気のない路地に声が響いた。



「あれ〜? 有賀っちじゃん。こんな裏路地で……あ、もしかして逢引きとか?」


は冗談が上手いなぁ。ちょうど帰りみたいだね」


「うん? 雨宮さん……?」



 俺が“雨宮さん”と口にしたのが気に食わなかったのだろう。

 眉をひそめ、少しムッとした表情になった。


 だが、今の状況を理解しているのだろう。

 だから、駄々こねてじゃれついてくるみたいなことはなく、すぐに佐原さんに視線を移す。


 そして二人は向き合うと、数秒の沈黙を経て先に佐原さんが丁寧に腰を折った。



「お久しぶりですね。雨宮さん」


「リカちゃん、おひさ〜」


「おや、なんだか……随分と様変わりしましたね。一瞬、誰だったかわかりませんでしたよ」


「ま、リカちゃんと会ったのは高3になる前だもんねっ! あの頃から成長した私は見事でしょ〜?」


「そうですね。志望校が受かったのは見事ですが……性格は幼児化が始まったようですね」


「アハハ、リカちゃんウケるね! ナチュラルに毒吐いてくる〜」



 腹を抱えて笑う奏と、微笑みを浮かべる佐原さん。


 ……どうしてだろう。

 両方とも笑顔なのに、ちっとも空気がよくならない。



「昔みたいにツンツンはしてないんですね」


「リカちゃんも前みたいにカチカチの岩じゃなくなったねっ! なんだろう、ちょっとマイルド? 冗談で怒ることなくなったし、やるじゃーん」


「……そうですね」


「でしょでしょー」



 気のせいではないな。

 なんだろう、なんか寒気が……。


 俺は離脱しようと、一歩後退する……が、すぐに腕を二人に掴まれてしまった。



「勝手に行くのはおかしいですよね……有賀さん?」


「いいじゃん別に〜。早く仕事戻らないとだもんねー?」



 俺は苦笑いをするしかなかった。


 っていうか、何を言えばいいかわからない。

 二人がなんでこんな雰囲気を醸し出してるのかもわからない。


 只々、嫌な汗が俺の背中にダラダラと流れ、主張してくるだけである。



 この二人を落ち着かせるには……。

 俺がそんな方法を模索していると、スマホで時間を確認した佐原さんが、諦めたようにため息をついた。



「まぁ今はいいです。今日は時間ですし、自分の教室に戻ります」


「か、鍵開けとかもあるもんな……」


「ただ、せんぱ——いえ、有賀さん。今度、飲みにいきましょう!! それで辛い気持ちもおさらばですっ!」


「えっと、気持ちは嬉しいけど……。佐原さん飲めたっけ?」


「あ……気合いでなんとか……」


「気合いって大丈夫か?」


「大丈夫です! 不肖。佐原里香。昔の恩を返すために先輩を元気づけてみせます!! たとえ酔い潰れても!!」


「いやいや、とりあえず無理はするなよ」


「問題ありません!」



 その気合いがフラグでしかないんだよなぁ。

 無駄に根性あるから、倒れるまで言わなかったりするし……。

 でも、この提案を彼女は下げる気がないだろうし……うーん。



「そういうことなら私も行く〜っ!」


「「え?」」



 元気よく手を挙げ、俺達に向かってピースをしてきた。



「だって飲みをして潰れたら、他の女性がいた方がいいでしょ〜?」


「それもそうか……」


「その心配はないと思いますが…………まぁいいでしょう。同行を許可します」



 佐原さんは一瞬だけ葛藤したものの、俺に迷惑をかけるわけにいかないと思ったのだろう。

 不承不承の様子で首を縦に振った。


 それから、なぜか二人は見つめ合う。

 俺には何故か、視線のかち合うところに火花が散っているように見えた。



「雨宮さんには新人時代、辛酸を舐めさせられましたからね……。ここで大人の威厳を取り戻してみせます」


「ふふっ。じゃあ勝負だねリカちゃん!」


「……もう、勝手にしてくれ」



 俺は苦笑し、肩をすくめたのだった。

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