第二章 青春のリスタート

第10話 青春の1ページは日常から

 

 日常の変化。

 それはある日、突然訪れるものだ。


 ただ、変化には前兆があり原因がある。

 必ず何かしらの前触れがある……つまり、偶然ではなく必然。


 何かなければ本来起こり得ないことなのだ。

 ……そう何かなければ。



「塾長、お先あがりまーす! 報告書は控室に置いておいたんで!」


「お疲れさん。いつもありがとね」


「全然っすよ〜、楽しくやらせてもらってるんで! あ、また飲みましょうね! 俺、いつでも空けときますからっ」


「オッケー。日付の候補日を回しとくよ」


「あざっす! あ、それと塾長」


「……うん?」


「俺は偏見とかないですし……。その……寧ろ、応援してるんでっ!!」


「…………?」


「じゃあ、お疲れっすー」



 おかしい……まるで見守るような生温かい視線と対応。

 今、帰ったアルバイトを含め、今日は似たようなことをよく言われている。



 ……この態度は、どうしてなんだ?



 俺とアルバイトの関係は良好と言っていいだろう。

 トラブルも特になく、アルバイトも就職とかで辞めていくぐらいで、途中リタイアがない珍しい状況だ。


 着任した当初は、アルバイトが数名と目が当てられない状況だったが、今では20名程度。


 アルバイトが辞めてないということは、それだけ環境が良い証拠ではあるから問題はないが……うーん。



「有賀っち〜っ! お疲れ!!」



 元気な声が耳に届いたと思ったら、頰に冷たい物を押し当てられた。

 ひんやりとした感覚に驚き、不満を伝えようと眉をひそめて彼女を見る。


 俺と視線を交わした奏が屈託のない笑みを浮かべ、それからプリンを差し出していた。



「これ、食べよ?」


「ああ、ありがと」



 あの日から、奏との関係は大きくは変わっていない。

 人懐っこいのも相変わらずだ。

 まぁでも、元々世話焼きな性格に、若干ではあるが拍車がかかった気はしないでもない。


 けどそれは、『レポートなどの課題をやる場所として俺の家を使い、場所代の代わりに料理をする』みたいな理由で入り浸っている。


 奏が言うには、「場所を提供してもらうから、料理を作るね! これで貸し借りはゼロだからっ」ってことらしい。


 離婚して、変わったことはそんなところだろう。

 結婚していたら、家にあげるなんてことは絶対になかっただろうし。


 他に何かあったこかと言われれば、奏との間ではなく元嫁に対してだ……とは言ったものの、俺は奏に言われて書類を書いたりしたぐらいなので、直接的な接点はない。


 ある意味、洗脳と言っても過言ではない状態だったからな……。

 また会って一悶着なんてごめんだし、今後関わりたくない俺としては、プロに任せるのが1番である。


 だから、色々と紹介してくれた奏には、感謝しても仕切れない。



「今日もバイトお疲れさん。いつも通り絶好調だったね」


「まぁ〜ね! あ、そのプリン早く食べた方がいいよ! 冷えてる内が美味しいからッ!」


「んじゃ、すぐに食べるわ」


「私もーっ!」



 生徒もアルバイトもいなくなった静かな教室。

 スプーンとプラスチックの容器が当たる音が小さいながらも、静かに響いていた。


 奏は、うーんと背を伸ばしてからプリンを口に運ぶ。

 ひと口食べるごとに幸せそうな顔をしていた。


 その姿はどことなく小動物を彷彿とさせる。

 リスが美味しそうに頬張っているような感じだろうか。



「今日も楽しかったわ〜。やっぱり、若い子たちと喋るのはいいよね! 私まで元気出てくるし」


「若い子たちって、その分類は奏も入るだろ」


「そうかなぁ〜、おじいちゃん?」


「人を勝手に老いさせるな」


「へへっ、めんごめんごー」



 舌をペロッと見せ、謝る仕草をする。

 あざとく見えるその行動だが、許せてしまうのは彼女だからなのかもしれない。


 同じことを元嫁がやったら……。


 うん、嫌悪感しかないな。

 昔だったら違った風に見えたかもしれないけど……そう考えると、あの日以来、未練というのが微塵もなくなっている。



「感謝しないとなぁ」


「ふふっ。またその話〜? 何回も同じ話をすると、それこそジジくさいって言われるよ?」


「いいだろー、事実なんだから。なんか解放された気分なんだし」



 どうして我慢できていたのか。

 今の俺には、もうわからない。


 奏に打ち明けただけで、これほど楽になるなんて……。

 ほんと聞き上手だよ、彼女は。


 俺がそんなことを思って、苦笑していると奏が顔を覗き込むようにして訊ねてきた。



「そうだ、有賀っち。また家にお邪魔してもいい? 家でやるより、有賀っちのところの方が集中できるんだよね〜」


「そうなのか?」


「そ! 生徒の時を思い出して、めっちゃ課題が捗るんだよ〜! だからぁ。ねっ! いいでしょー?」


「体を揺らすなって! 来るならちゃんと許可とれよ? 親としては心配だろうからさ」


「え〜、もう20歳なんだしよくない? 行動は自由だよ〜」


「よくねぇよ! まだ養われてる身じゃないか」


「じゃあ有賀っちが養ってよ〜」


「一方的に養うのは、もうお腹一杯だ」


「私の場合は一方的じゃなくて、特典もあるよ?」


「結構だ」


「ちょっと!? まだ何も言ってないじゃん!」


「どうせ“特典は私!”とか言うつもりだったんだろ? その手にはのらねぇーよ」


「ぐぬぬ〜」



 リアルで『ぐぬぬ』って言うやつは初めて見たな……。

 ってか、自分を安売りするなよなぁ。

 奏の母親にも『暴走する娘をよろしくお願いしますね?』って、言われてるし欲望にかまけて……みたいなことは避けたいんだよ。


 一回失敗したからこそ、慎重……いや、及び腰にどうしてもなってしまうし。


 俺はため息をつき、奏を見る。

 話を変えようと、違う話題を提供してみることにした。



「なぁ、奏。今日、みんなに何か言ったか?」


「んーっ? なんも言ってないけど……どうして〜??」


「いや、言ってないならいいんだけど」



 奏かと思ったが……。

 言っちゃ悪いが、誤解製造機みたいなところがあるからなぁ。



「うーん。話したと言っても、変なことは言ってなくてぇ。ありのままなんだけどー」


「物凄く嫌な予感がするんだが……」


「そう? “有賀っちの家で勉強してる”とか“朝まで飲んだ”とかだよ。オールみたいだから普通じゃない?」


「オー、ノォ……」


「え、ダメだった?」


「ダメに決まってんだろ!! 奏が毎日のように俺の家にあがってるとわかれば、余計な勘繰りをしちゃうって……。若い女性が入り浸るってそれだけでも外聞が悪い」


「考えすぎだと思うけど。でも実際、何もしてないんだし〜……よくない?」


「よくねー。奏は可愛いしモテるんだから、噂がたってバイト内や他で軋轢が生まれても——」


「えへへ〜。可愛いって褒められたぁ〜」


「聞いちゃいねぇ……」



 頰に手を当て、だらしない表情をしている。

 まったく、ほんといい性格をしてるよ。


 俺は奏の頭に手を置き、くしゃくしゃと髪をやると猫みたいに目を細め「にひひ」とあどけなく笑ってみせた。


 見た目は大人っぽいだけに、その表情は妙に心へ突き刺さり、胸を高鳴らせる。

 そんな自分の変化を誤魔化すように、俺は咳払いをした。



「……そういえば、この前さ」


「この前って、飲んだ日ー?」


「そうそう。そこで奏が青春がどうのって言ってたけど……具体的にどうするんだ? 俺としては、よくわからないんだが」


「うーん? 難しく考える必要はないけど。喩えば今、この瞬間も青春じゃない?」



 彼女が言った言葉に、俺は首を傾げた。

 奏もつられたのか『なんでわからないの?』と言いたげに首を傾げる。



「青春を終えた社会人にわかりやすく言ってくれ」


「えっと、なんて言えばいいかなぁ〜。ほら、楽しく話してて取り留めもなくて「その時間は無駄か?」って聞かれると「それは違う」って、大切に思える——みたいな?」


「抽象的だなぁ〜」


「確かに“青春”って言われても漠然としてるよね」



「そうだ!」と言い、奏は手をポンっと叩く。

 それから俺のカバンから手帳とペンを勝手に取り出して、何かを書き始める。

 書き終わった内容を見ると、メモ欄に『自分の考える青春とは』と、恥ずかしいことが書いてあった。


 ……なに、これ??



「じゃあ、考えてきてもらおうかなぁ。昔、有賀っちから出された宿題みたいに……今度は私から有賀っちに対する宿題ということで!」


「なんだその宿題……」


「ふふっ。いいでしょ別に! 有賀っちは、どういう青春にしたいかを聞かせてねッ! めっちゃ楽しみにしてる〜。ちなみに、レポート用紙100枚分で」


「卒論かよっ!!」



 奏は、にへらと笑い俺の口にスプーンを突っ込んでくる。



「おいし……?」


「うん、まぁ」


「そっかそっか〜」



 嬉しそうに笑う彼女を見てると、俺の気持ちも自然と緩んでゆく。


 のんびり過ごす日常。

 仕事はあっても……何かに追われるわけでも、気負いするわけでもない。


 こんな日常でも、青春と言えるんだろうか?


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