第7話 あの時のお返しだよ

 


「奏……強すぎじゃない?」


「へへ〜。やるでしょ〜」



 俺はコントローラーを机に置き、ため息をついた。


 いくら最近やっていないとはいえ、ひと昔前のゲーム……。

 つまりは奏もそんなにやっていない筈のものなんだが。

 手も足も出ないなんて思わなかった……。


 やばい、めっちゃ悔しい。


 ちらりと横目で奏を見ると、得意気な顔をしている。

 目が合うと悪戯っ子のような無邪気な顔に変わり、俺に向かってビシッと指をさしてきた。



「私に叩きのめされた、情けな〜い塾長には……罰ゲームですっ!」


「げっ!? 罰ゲームがアリなんて聞いてないぞ……」


「今、作ったからね〜。ってことで、敗者は勝者に絶対服従!! いつの時代もそうでしょ〜!」


「前衛的すぎるだろ、その考え……」



 いつの時代?

 いやいや、その前にどんな暴君だよ……。

 まぁ、目の前にいる女性が暴君っていう感じだけど。


 でも、どんな要求をされるんだ?

 昔、教室でさせられそうになったポッキーゲームとか……?

 家で流石にそれはないか……だったらなんだ??


 俺が、眉間にしわを寄せ難しい顔をしていると、奏が俺の手を急に握ってきた。



「はい! なので、有賀っちは私に悩みや愚痴を吐露しなくてはいけません。抱え込むのは禁止ッ!」


「……そういうことか」



 俺はそう言い、苦笑した。



 そっか。

 そうだよな……。

 奏はこういう奴だったよ。


 元気が良くて、何も考えていない楽観的に見えて……でも、本当は一番人を見ている。

 そんな子だった。


 はぁ、またも教え子に気を遣われてしまったな……。


 奏のことだ。

『飲みに付き合え』と言っておきながら、いつまでも話さない俺に——話すキッカケをくれたのだろう。


 最初はあんな尖っていた女子高生が、こんな懐の深い人物に成長するなんて……はぁ、涙が出そう。


 俺はため息をつきビールの缶を握る。

 それから奏の目を見て、徐に口を開いた。



「……奏、察しのいいお前なら気づいてると思うけど」


「んー?」


「……嫁と離婚したんだよ、俺。しかも、たぶん浮気……。気持ちが離れているのには気づいてたけど、浮気されてたなんてなぁー」


「…………」



 奏では黙り、俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 心なしか、握る手に力が入った気がした。



「教室では愛妻家を豪語して、『嫁が1番』なんて言っておきながら、蓋を開ければこのざま……。あっさり捨てられて、気持ちなんか元からなかったような態度をされて……。あー情けなくて嫌になってくるね。やっぱり若い男がよかったのかなぁーって……。そりゃそうだよな。将来性もあってイケメンなのが強いよ、世の中は……さ」



 俺はビールを一気に流し込み、それからソファーに背を預ける。


 普段、そんなに飲まない男が無理して飲んだからか、頭がくらくらして、意識が虚ろになりぼーっとしてきた気がした。


 でも、感情のまま吐き捨てからか。

 少しだけ気持ちが楽になったかもしれない。


 そんなことを思っていると、俺の頭に微かな重みと共に温もりが伝わってきた。



「よしよし〜」


「……なんだ、急に。頭を撫でるなって……」


「ねぇ、有賀っちは覚えてる……?」


「受験前の判定模試で、失敗しちゃってさ。『直前なのに全然ダメじゃん』って、落ち込んでいた時にこうやって慰めてくれたよね……」


「……あったな。そういうのも……」


「だからね。これは、あの時のお返しだよ」


「そっか……お返しか」


「うん。“大丈夫。今は失敗しても、成功のための準備。だから必ず報われる”だよね?」



 俺が2年前に口にした慰めの言葉。

 それをそのまま返してきた。


 やだな。

 まだ20代なのに……涙腺が緩くなったのかもしれない。


 でも、教え子の前ではカッコつけたい。

 そんな気持ちから、零れ落ちそうになるのを必死に堪えた。



「よく覚えてたな。そんな話……」


「忘れないよ。忘れるわけない」


「そう言われると……嬉しいな」


「だからね。あの時、私が救われたように……今度は私が有賀っちを救ってあげるよ。って、ちょっと生意気かもしれないけど」


「はは……いや、ありがとう。そう言ってもらえるだけ、気持ちが楽だわ」


「ふふ、それならよかった」



 まるで子供をあやすように、くしゃくしゃと髪を撫でてくる。



「有賀っちは偉いよ。だって、ずっと努力してきたんでしょー? 自分のことは二の次で、誰かの為にって動ける人は中々いないから」


「……そうかな?」


「うん。見てれば、仕事はすっごく忙しかったのわかるし。それなのに、辛そうな顔ひとつせず頑張ってたじゃん。私は見てたから知ってるよ。だから奥さんのこと、『こんなに思われて、愛されていいなぁ〜』って思ってたし」


「まぁ、捨てられたけどな。『仕事の方がいいんでしょ』って」


「そんなの私からしたらていのいい言い訳……だから、それを聞くとムカムカしちゃうな〜ッ!」



 怒りながら、ボスッとクッションを殴る。

 俺の代わりに怒ってくれるその姿が、無性に嬉しく感じた。



「ありがとな、奏」


「いいのいいの! でもさ、世の中は因果応報。悪いことをすれば返ってくるし、有賀っちみたいに頑張って、良いことをしていれば報われる時がくるんだからね!」


「ははっ、わかってるよ」


「本当に〜? 忘れちゃダメだよ??」



 俺は頷くと、奏は満足そうに微笑んだ。




「ま、今は浮かれてる元奥さんも……後で大変になるだろうね」


「……うーん?」


「ううん。こっちの話」



 含みのある言い方に俺は首を傾げる。

 でも、奏はそれ以上いう気がないらしく、気を取り直すようにパンッと手を叩いた。



「それで、有賀っちは今後どうしたいの? 元奥さんの浮気って分かったんでしょ。法廷でバトルとかしちゃう??」


「でも、証拠はないしな……。後から『あれは浮気だったのかな?』って思ったぐらいだよ」



 疑ってない過去の自分に文句を言ってやりたい。

『少しは疑え』って……。

 でも、今更過去の記録を辿るのは困難なのはわかってる。


 それにかける労力も、執念もない。



「そうなんだ……。私になんか手伝って欲しいことはある?」


「いいよ。もう、あいつとは関わりたくなくなったわ……こうやって奏と話してたらさ。うじうじしていたことが、なんだか馬鹿らしくなってきたし」


「やられたらやり返す、倍返し〜とかは??」


「しないしない。そんなことより考えがあるんだよ。って言ってもウケ売りだけどね」


「それってどんな……?」



 可愛らしく小首を傾げた奏に、俺は別れたあの日のことを話す。

 コンビニにいた女性に言われたことを……。



「前にさ。知らない人に提案されたんだよ『最高の復讐』っていうのを……。そっちを目指すことにするよ」


「あ……へ、へぇ……そうなんだ」


「どうかしたか?」


「な、なんでもない! すごいねその人! きっと私みたいにめっちゃ可愛い人だね、うんうんっ!!」



 何故か同調しまくる彼女の姿がおかしくて、俺は思わず笑ってしまう。

「自分で言うなって」と頭に手を乗っけると、何故か口を尖らせてしまった。


 子供扱いしたのを……怒ったか??

 これだから扱いが難しい。



「ま、具体的には決まってないけど。俺に相手と徹底的に戦うなんてことは出来ないからさ。そんな余裕もないし、俺の頭が悪かった……ただそれだけ」



「もし……もしだよ。元奥さんから復縁を迫られたら、どうする?」


「嫌だよ。何年も騙していたかもしれない相手をもう一度信じるなんて……。だから、出来ればもう会いたくないかな」


「わかった。それは任せて!」


「任せる? はは……まぁ、そんなことが出来るならお願いするよ」



 豊満で強調されてしまう胸を張り、「任せて」と口にした彼女が頼もしく見えた。



「ふぁぁ……」



 俺はワイシャツを着たままソファーのふちに身体を預けた。


 マジで眠くなってきた……。

 きっと、話したことで肩の荷が降り、今まで疲れがどっと押し寄せてきたのだろう。


 はぁ、確かに普段はあまり寝てなかったもんな。

 色々なことがありすぎて、今日はもう身体の疲労が限界だ。

 酒も眠気を手伝って、意識がぼんやりとしてくる。



「あ、もう寝ちゃう?」


「ふわぁ……悪いな、ここまで付き合ってもらったのに。もう限界……俺は寝る。……奏は寝るならベッドでも使って……」



 欠伸をしながら返すと、奏は俺の顔を覗き込んでくる。



「こんな可愛い女子大生を放っておいて寝ちゃうの?」


「はは……可愛いって自分で言うなよ……」


「客観的な事実ですけどー」


「そうかも……な」



 眠気が脳を支配し、思考は放棄しようとしてくる。

 目を閉じて、意識を手放なそうとしている最中に、甘い声が鼓膜を揺らした。



「ゆっくり休んでね、せんせ」



 久しぶりに彼女から“先生”と呼ばれた気がする。

 懐かしさを感じ、だが同時にどことなく寂しく人肌を恋しく感じた。


 そんな胸中を一瞬で読み取られたのか、ソファーに預けていた身体を掴まれ、そしてへ移動させられた。


 薄らとぼやける視界に、彼女の慈愛に満ちたような顔が見えた気がした。


 ……膝枕?

 しかし、それは言葉にならなかった。


 眠すぎて、身体も口もまともに動かない。

 けど、そんな意識の中で、強烈に自分の欲望に訴えかけてくるものがあった。



「……独りって寂しい……よな」



 気付いたら、それだけ口にしていた。

「私がいるからね」とそんな言葉聞こえたところで、俺の意識は途切れた。

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