第3話 二人の距離感
「……今の聞き間違い? なんか『泊めて』とか、言ってた気が……」
「アハハ! 何その反応、ウケるね」
「ウケるってお前なぁ。冗談ばかりだといつかは信じてもらえなくなるぞー」
「ふつーに言ったんだけど……それでどうかなー? 私としてはバイト後にオールしたい気分なんだけどっ」
まるで俺を試すような挑発的な視線を向けてくる。
じーっと見つめる飲み込まれそうな大きな瞳は、俺を捉え放さない。
そんな目で見られると、男ならばつい心を動かされそうな衝動に駆られてしまうことだろう。
けど——
「いや、泊めないよ。仕事とプライベートは別だからな」
俺は、淡々と言い可能な限り平静を装う。
そんな俺の態度に、奏は少しムッとした表情になり「有賀っちのケチ!」と短く不服そうに言ってきた。
「よく考えてみろ。家に女子大生とか連れてくとか……」
「部屋の空気がいい匂いで一杯になるねっ。最高じゃん」
「ほぉ、そう考えると確かにそれは桃色な香りになるからアリか…………って、馬鹿!」
「お! ナイスツッコミ〜。ノリがいいね!」
漫才みたいなやりとりも、4年も経てば淀みはない。
流れるような自然なやり取りで、生徒たちにも好評だ。
ま、これは狙ってるわけではないんだけど。
教室内が明るい雰囲気になるなら、よしとしよう。
今、行う意味は皆無だけど。
奏とは話しているとこうなってしまうのだ。
俺は苦笑し、今度は少し真面目な顔をする。
彼女を嗜めようとゆっくり口を開いた。
「冗談抜きで奏を連れて行くと、嫁とは修羅場になるだろうから……そういうのはマジ勘弁。いくら仲が良くても、変に誤解とか与えたくないしさ」
「嫁って…………あ。そういうこと……ね」
「えっと奏、どうかしたか?」
「ううん! 何でもないよっ!!」
慌てたように手を振り『何でもない』と言い張る。
そんな彼女の態度に俺は首を傾げた。
何か、引っかかるところでもあったんだろうか?
「アハハ……いやー、私ったらうっかりうっかり〜。ごめんねー」
「はぁ、どう考えてもわざとだっただろ。まぁ……奏で話してると元気が出るからいいけど」
「ほんと!? じゃあ、せっかくだしもっと話そうよ! コンビニでお菓子でも買ってくる~?」
「そうだな~。そうしたいのは山々だけど——」
俺は自分のスマホを取り出し、時間を確認する。
時刻は23時をとうに過ぎていた。
「とりあえず、今日は帰りながら話をしようか。お菓子とかはまたの機会でね。ほら、これ以上は遅くなるし、いつまでも教室で話してるも微妙だしさ」
「なんか諭すような口調……私、もう生徒ではないんだけどー」
「悪い悪い、ついね。けど職場にずっといるわけにはいかないだろ。遅くなって変な目で見られても困るからな」
「そお? 真面目なアルバイトと塾長が談笑しているって構図じゃない??」
「いやいや、今の状況を客観的に見てみようよ……」
——夜の教室。
——そこに距離感が近い男女。
そしてこの時間……どう考えても絵面的によくない。
そんな俺の気持ちに気がついたのか、奏の顔が薄らと赤く染まった。
「ってことで、他のバイトメンバーに“怪しい関係”と邪推されたくないだろ? だから、今日はここまで」
「えぇ〜っ。こんな可愛い女子大生が誘ってるのにーー」
「駄々っ子か! ってか、自分で可愛いとか言うなよ。まぁ、普通に夜遅いから送ってやるから……」
「有賀っち、それってもしかして送り狼ってやつ?」
「違うわっ!! 全くお前は、人聞きの悪いこと言うなよ。いつになってもそのノリは変わらないんだから……」
「ごめんごめん。話してると、ついからかいたくなっちゃうんだよねぇ~」
「もうちょっと男に警戒心とか持っとけよ? 変な男に騙されないか心配だよ」
「ハハッ。大丈夫だって! これでもガードは固めなんだから」
「だったら、その服装を――」
「この服が好きだから、変えるなんて無理っ!」
「ほんと、昔から意思は強いよなぁ」
にかっと屈託のない笑みを向けてくる彼女に、俺は苦笑した。
「褒めていいよ〜?」
「この頑固者」
「それ褒めてないよね?」
「どっちで捉えるかは人それぞれってことで」
「むー、何それ〜」
彼女は、不満気に頰を膨らました。
まぁ、好きなものなら仕方ないけど……いちいち服装が緩いんだよな。
ダンスをやってる人ってこういうのなのかもしれないけど。
でもスタイルがいい分、目のやり場に困るんだよ。
それに、普通だったら恋人ではない男と一緒に……となれば警戒心を多少なりとも出すものだが、そんな雰囲気は奏に微塵もない。
警戒心も皆無ときたら、余計に心配になるわ……。
だから俺はあくまでビジネスパートナー、もしくは腐れ縁として接しないといけない。
一番怖いのは勘違いだからな。
嫁の時と一緒で『上手くいっている。いい関係だ』と思っている時が一番危険だ。
「んじゃ、帰るぞー。遅くなったからって、その分の給料は出ないからな?」
「はいはーい。わかってますよ~」
「ちなみに俺は残業代が出る」
「ずーるーい!」
そんな軽口を叩き、お互いに荷物を纏める。
そう……俺と奏の関係は今まで通り何も変わらない。
ちょっと前までは先生と生徒で、そして今は雇用主とアルバイトってだけだ。
家まで送ることもたまにあることで、それ以上でも以下でもない。
そうお互いが前に決めたこと。
だから、変な勘違いも期待も持ってはいけない。
奏との距離感は前からこうなんだから……。
俺は、そう何度も自分に言い聞かせ、奏と一緒に教室を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます