処刑場のマンドラゴラ
山本アヒコ
処刑場のマンドラゴラ
『マンドラゴラ』
植物の一種で根が人の形をしている。薬の材料になり高値で取引される。引き抜くと悲鳴を上げ、それを聞いたものは死ぬか発狂する。生える場所は死者の血が流れた場所。
******
そのマンドラゴラの種が生まれたのは、村の処刑場の地面だった。何年もかけて数多の死者の血が染み込んだのだ。それはどれだけ雨が降っても消えることはない。
種が生まれた瞬間がいつだったのか。隣人の家から金を盗んだ男が首を切られたときか。村長に妻の初夜権を渡すまいと抵抗した夫が処刑されたときか。それとも、戦争によって村の所属する国が変わり、やってきた新しい領主によって村長が串刺しにされたときか。
植物であるマンドラゴラにはわからない。処刑人や処刑台を囲む村人たちも、殺される人間を見るばかりで、その下の地面からわずかに見える小さな草葉などに気づくこともない。
「やめろ! やめてくれ!」
村は新しい領主のもとで発展している。王国は数年前から意欲的に領土を拡大し、勢力を増していた。精強な王国騎士団の総数は万を超える。これは周辺の小国にとってどうすることもできない戦力差だった。ほとんどの国は戦う前から降伏し、果敢に戦った国はことごとく滅亡していく。
村の処刑台に縛られた男が引きずられていく。服は血で汚れていて、大きく肩の部分が裂けてその下に見える肌にも剣で斬られた傷があった。
男は王国との戦争で敗北した国の兵士だ。戦争があった場所はここから遠いのだが、わざわざ何日もかけて運ばれてきた。この処刑台で殺されるために。
「助けてくれ! 俺は、俺たちは降伏したんだ! 奴隷でもいい! 死にたくない!」
のどが裂けてしまうかと思えるほど叫び逃れようと体を暴れさせるが、体と足を縄で縛られ屈強な兵士二人に拘束されてしまっている。
わざわざ敵国の人間を遠くまで運んで処刑するのは、王国の統治政策のためだった。こうやって国民に処刑を見せることで反抗させる気を起こさせないためだ。そしてこの時代での処刑は、一種の娯楽でもあった。
「殺せー!」
「王国に歯向かう者は地の底へ落ちろ!」
処刑台を囲んだ村人は、拳を振り上げ罵声を叫ぶ。代わり映えしない繰り返しの毎日のなかで、処刑は村人たちにとって最高の楽しみだった。
男たちは昼間から酒を飲みながら処刑台に立つ男へ叫ぶ。女たちも負けていない。幼い子供たちですら目を輝かせて、はやく残虐劇の幕が上がらないかと待っている。
男が無理矢理に処刑台の上でうつ伏せにさせられた。泣き叫び体をくねらせるが、兵士が背中に膝を押し付けて体重で押さえ込むので逃げることはできない。
もうひとりの兵士が大きな斧を頭上に振り上げると太陽の光で輝く。村人たちの歓声がさらに大きくなった。
振り下ろされた斧は精確に男の首へ吸い込まれ、切断された頭部は地面へ転がった。
首の断面からあふれ出た血は、処刑台の下の地面へ音をたてて流れ落ちる。
地面ではじけた血が、そこに生える草葉にまだら模様をつけたが、それを気にする人間などひとりもいなかった。人々はそれよりも次に処刑される男に注目している。
マンドラゴラの葉は、興奮した村人たちの足踏みでかすかに揺れていた。
王国は十数年もかけて周囲の国々へ侵攻し、世界で一番の大国になっていた。
戦争の時代は終わり、平和でゆるやかな停滞の季節がやって来た。人々はこれを歓迎し、幸せをただ享受して過ごす。しかし、それは永遠ではなかった。
王国の絶対的君主であった王が崩御すると、後継者をめぐって何人もの王子と王女たちが争い始める。王の息子と娘の数もそうだが、王妃の数も多い。その出自も王国民だけでなく降伏したり占領した国の王族も存在していた。そんな状況で平和的に王の交代ができるはずもなかった。
王冠を求めて血を分けた兄弟姉妹、それらを支援し甘い汁をすすろうと考える有象無象が血みどろの抗争を繰り返す。あのときの戦争以上の命が失われていく。
「お母さん! お父さん!」
少女は駆け寄ろうとするが、鍛えられた兵士の腕で抱えられてはどうすることもできない。涙でにじむ視界には、処刑台へ上がらされる両親の姿があった。
王国の後継者争いは激化の一途をたどり、各地の治安は凄まじく荒廃していた。治安を維持しようにも、兵士たちは戦いに駆り出され人手不足。なのでなんとか人員をかき集めれば素行の悪い連中ばかり。そんな人間たちが治安を守るとなると、不正と賄賂が飛び交い始める。
「やめてください! 私たちは何もしていません!」
「いいや。お前たちは税を払わず商売をしていた。これは許されない罪だ」
「なにが罪だ! お前たちは賄賂がもらえなかったからありもしない罪をでっちあげただけだろうが! それをっ、」
兵士は父親の顔を容赦なく殴りつけた。父親は処刑台に倒れこむ。
「犯罪者ほどよくしゃべる。うるさいから口をふさいでおけ」
兵士が手際よく父親の口に布を巻く。すでに何度もやっていて慣れた手つきだ。
父親を殴った兵士が剣を抜く。使い込まれた剣は彼の手によく馴染んだ。
「ダメ! 嫌! 離してっ、お父さん! お母さん!」
少女の叫びで剣が止まることはなく、父親の頭が失われた。
「………………」
少女は地面へ転がる両親の頭部を前に、地面へ膝をつけたまま動かない。流れ出た血が彼女の膝を濡らすが何の感触もしない。見開かれた目には感情の一片すら無く、ただ二つの頭を瞳に映していた。
両親の血が混じりあった地面に、人差し指ほどの長さの葉が揺れていたが、少女がそれに気づくことはない。
数年後、王国の領土はそれぞれの勢力によって分割されてしまっていた。それは完全に線引きされているようなものではなく、流動的であやふやなものだ。ひとつの都市や村をめぐって常に小競り合いが起こっている。
そんな状態で治安が保たれるわけもなく、相変わらず各地は無法地帯といってよい状態だった。支配者の言葉が法であり、それに従わない者は罪人となる。
今日もまた、村で処刑が行われようとしていた。処刑台に上げられたのは若い男。腕を後ろで縛られ、殴られたのかいたるところが腫れて口元には血がついている。
男は処刑台に立たされながら全く慌てる様子はなかった。落ち着いていて静かに処刑を待つ村人たちを見下ろしている。
「どうした? 怖くて言葉も出ないか?」
傍らに立つ兵士が馬鹿にした口調で言うと、そちらへ顔を向けた。
「ん? これが最後の言葉になるぞ。言いたいことがあるか?」
「…………三年前、ここで処刑された男を覚えているか」
「そんなもん覚えてるわけがないだろ。何人殺したと思ってんだ?」
「そうだろうと思ってたよ」
男の腕に力がこめられると、縛っていた縄が千切れた。自由になった手が兵士に向かって伸びてくる。慌てて腰の剣を抜こうとするが、男のほうが速かった。
「が、ぁ……」
男の手には短い刃物が握られていた。腕を縛っていた縄を切ったそれが、兵士の首に深々と突き刺さっている。それを捻り傷口を広げると、横へ引き裂けば血しぶきがあがった。
「キサマっ」
周囲の兵士たちが剣を抜くと、その一人の胸に矢が突き刺さった。さらに次々と矢が飛び交い、兵士たちに穴を開ける。腕や足に刺さった者は悲鳴をあげ、頭や胸を貫かれた者はその場に倒れた。
「ウオオオオオオオッ!」
叫び声とともに群衆のなかから複数の人間が飛び出す。男も女もいる。若い人間だけでなく髪の毛が白い老人もいた。彼らに共通していたのは、誰もがその手に武器を握っていたことだ。ナイフや手斧に弓矢だけではなく、鎌などの農具に木製のこん棒を持っている者もいた。
武器を持った人間たちは、確かな殺意を瞳に宿して兵士たちに向かって行った。剣を抜いた兵士たちに臆すことなく、叫び声をあげながら武器を振り下ろす。
ナイフが兵士に突き立ち、斧とこん棒が頭を砕く。兵士たちもただやられるわけがなく、剣で襲いくる人間を斬り捨てるが誰一人ひるむ様子がない。それどころか腹を裂かれた男が兵士にしがみつく。顔を割られた老婆が脚にしがみついて兵士を地面へ倒す。
「アアアアアアアア!」
一人の兵士に何人もの人間が襲いかかり、死を恐れず、殺すために武器を振り続ける。
「やめてくれぇ!」
兵士の命乞いと悲鳴に躊躇うどころか、さらに興奮して殴り、刺す。
「俺はお前たちに妻を殺されたんだ!」
「息子をかえせえええええっ!」
「娘と孫をよくもよくもっ!」
絶えることなく怨嗟の言葉を叫びながら、人々は兵士を殺戮する。
兵士を攻撃しているのは、全員家族や恋人たちを理不尽に処刑された者だった。憎悪が込められた武器は何度も何度も兵士を切り刻み、叩き潰す。処刑台の周囲はすでに赤黒い血で染められていない場所は無いようなものだった。
「クソっ! なんなんだこれは!」
木槌で殴りかかってきた男を斬った兵士は、周囲を見て思わず立ち尽くしてしまった。粗末な武器を持った人間たちが兵士を殺している。一人の兵士に三人以上が囲んで刃物を振り下ろし、農具で殴りつけ、倒れた兵士を容赦なく蹴り踏みつけていた。
「……なっ」
後ろからの攻撃に気づくのが遅れた兵士は、振り返りながら勘で剣を振った。振り下ろされた剣と剣がぶつかり大きな音をたてる。
兵士を攻撃したのは若い女だった。持っている武器は兵士のものより細身の剣。
「父さんと母さんの仇っ……!」
女は剣を何度も振るが、鍛錬をしてきた兵士に勝てる実力はなかった。女の剣はすぐに見切られ簡単に回避されるようになってしまう。
「うっとうしい女だな。死ね!」
兵士が剣で女を突き刺そうと構えたとき、横から男が突っ込んできた。
「わああああああ!」
「邪魔だっ」
兵士が男を一振りで斬り捨てた瞬間、手に激痛が。女の剣が兵士の手の甲を切り裂いていた。兵士は剣を取り落としてしまった。
「アアアッ!」
女は剣を突き出すが、兵士に避けられただけでなく首をつかまれてそのまま地面へ押し倒された。首を息ができないほど締め付けられていたせいで、悲鳴をあげることすらできない。
「このクソ女が!」
兵士は両手で首を絞め続ける。女の手には剣がなく、手が届かない場所へ転がっていた。必死で首にかかった手を外そうとするが力が違いすぎる。
命の危機に何とか解決方法はないかと手が周囲をさまよう。左手が処刑台の脚に触れたが、それを掴んでも頑丈な処刑台がどうにかなるはずもなく無意味だ。
右手は血に染まった地面に爪をたてる。かつて彼女の両親の血も流れ落ちた地面をかき回していると、何かに触れた。地面から生えた草だ。それが何であるかもわからず、ただ必死で握りしめた。
「死ぃねえぇぇぇっ!」
兵士の両手にさらに力が込められ、首を絞められた女の目が真っ赤に充血する。
「…………ィッ…………アッ」
首にかかった手を外そうとしたのか、それとも兵士を殴ろうとしたのかわからないが、その手に草を握りしめたまま腕を振り上げた。
引き抜かれた草の根は、ニンジンみたいに太く、何より特徴的なのは手足のようなものがあり、人の姿に似ていたことだった。
「…………」
その根には小さな穴があった。それがゆっくり大きくなる。まるで根が深呼吸したかのように。そして…………
「!*!*!*!*!*!*!*!」
それは悲鳴だった。人ではないものが発する悲鳴は、誰も聞いたことが無い、数百の赤子と鼠と豚と鳥の声が滅茶苦茶に混ぜ合わされたような声で、耳を壊さんばかりの大きさで響き渡った。
首を絞めていた兵士の手から力が抜けた。彼の両目と鼻と耳からは大量の血が流れだして顔を赤く染めている。口からも大量の泡があふれ出ていて、目と鼻の血と混ざり汚らしい色合いになってしまっていた。
「あはははははははは!」
首を絞められていた女は狂ったように笑い続けている。その両目は互いがあらぬ方向にめまぐるしく高速で動いていた。明らかに正気ではない。
周囲の人間たちもそうだった。多くの人間は顔中の穴から血をたれ流して地面へ倒れ、全く動かない。そうではない人間は奇声をあげて走り回り、自らの体に刃物を突き立て、誰かの口の中に拳を無理矢理ねじ込みながら自分の口にも拳を突っ込んでいた。
すでにこの場所には死者と狂人しか存在していない。
村から複数の煙が立ち上っていた。体に炎をまとった子供が道を楽しそうに走り回り、また違う家に火をつける。中年の女性が鼻歌まじりに包丁で指を切り落とし、沸騰した鍋のなかへ入れた。老人は井戸の中にせっせと死体を投げ込みすべて埋まると、自分もその一員になった。
そして、悲鳴はもう聞こえない。
数ヶ月後、腐敗した死体が散乱する処刑場には見たこともない花が咲いていたという。
処刑場のマンドラゴラ 山本アヒコ @lostoman916
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます