崩落の後に、俺はメリアの顔を見たくなった

 邸宅の原形を脳内で蘇らせて、地下通路に繋がるドアがあった位置の当たりをつける。 

 当たりをつけた場所に向かうと、白いコンクリ材の瓦礫が山積する上で、くすんだ縞模様の猫が飄然と立っていた。


「逃げてなかったんですか、虎吉」


 思いも寄らないという顔で、パシフィーが虎吉に話しかける。

 もちろん虎吉は返事をせず、拳大の瓦礫に前脚をしきりに押し付けている。


「虎吉はなにをやってるんだ」

「おそらく私達へここに来い、って言ってるんだと思います」


 何故わかる。

 確認してきます、と言ってパシフィーは虎吉の元へと歩み寄っていった。


「虎吉、どこ。見えない」


 パシフィーの向かう先を、ペテシアは眉根が寄る程に目を凝らして見ている。

 ほんとに近眼なんだな。


「それでユウスケ。地下通路へのドアはここら辺で間違いないだろうな?」


 自信なさげにシェルが訊いてくる。


「この辺りで合ってると思うけど、俺より長く暮らしてるシェルの方が詳しいんじゃないのか?」

「メリアの気配は感じるんだが、ここまで建物の形がないと、さすがの私でも確信は持てん」


 そう言って照れたように苦笑した。


「皆さん。こっちに来てください!」


 虎吉に構っていたパシフィーが、瓦礫の山の上から喜色の浮かんだ顔で手を振った。もう片方の手に黄金の石のような塊を握っている。

 俺とペテシアとシェルが瓦礫を登ると、パシフィーは握っている物を掌に載せて俺に差し出してきた。


「これ、見てください」


 握り玉型の真鍮のドアノブだ。地下通路から建物内へ入る時に通ってきたドアに付けられていたノブだ。


「地下階段のドアノブか」

「はい、間違いありません。これを虎吉が弄ってました」


 息子の手柄のような口ぶりで嬉しそうに言うと、パシフィーは緩んだ表情で虎吉を抱え上げる。


「メリアを探す手伝いをしてくれた虎吉には感謝しないとな。これであと地下通路が見つかれば、メリアを助け出せる」

「偉かったですねぇ、虎吉」


 パシフィーは腕に抱えた虎吉を褒めながら頭を撫でる。

 その称賛に応えるかのように、虎吉が前足でパシフィーの鳩胸を突き始めた。


「もう、くすぐったいです」


 ちょっと恥ずかしそうに身を捩って、パシフィーは虎吉の前脚を摘まんで方向を逸らす。

 感謝の印に虎吉の頭でも撫でようかと思っていたが、ちょっと妬ましいので労うのはまたの機会にしよう。


「おい、ユウスケ」


 右横から声がして振り向くと、シェルが立っていて悲壮な顔で口を開く。


「地下通路があったとすればこの辺だが、この瓦礫が大量の状況でどうやってメリアを見つけ出すんだ?」


 はっとして辺りを見回した。

 希望を断つように周囲を埋め尽くす瓦礫群。

 メリアが地下通路を見つけ出すには、瓦礫を退かさなければならない。

 鈍器で頭をぶたれるような衝撃に、胸が詰まる。

 地下通路の大よその位置がわかった時点で、これで助けられると楽観しかけた自分を殴りたい。


「絶望的」


 沈んだトーンでペテシアが呟く。

 ペテシアの言う通り、まさに絶望的だ。


「どうするユウスケ?」


 名案を閃いてくれと縋る瞳で、シェルが俺を見つめる。

 俺にも最善の判断がわからない。

 どういう方法を採れば、一刻も早くメリアを助け出せるんだ?

 裏門から地下通路に入ってもいいが、裏門まではかなり距離があるし、メリアが力尽きた時と同じ場所に居るとしたら往復するぐらいの距離になる。

 それに、もしも向かっている間に地下通路の天井が崩壊し、メリアが押し潰されて息のできない状態になったら……助けられたものも助けられなくなってしまう。


「ごめんなさい」


 不意にパシフィーのか細く謝る声が耳朶を打った。

 暗闇を進むような思考が途切れて、思わずパシフィーの方に顔を上げる。


「虎吉と再会できたことに浮かれて、リアちゃんの事真剣に考えてませんでした。もっと簡単に助け出せると思ってました。私は冷酷で薄情者です」


 申し訳なさに耐えきれないような喉を絞った涙声で、パシフィーは自らを罵った。

 俺もだ、パシフィー。俺だって安易に救出できるものだと気を抜きかけた。

 でも今は自戒している場合じゃない。メリアを助けた後なら、いくらでも自戒する時間はある。


「瓦礫。退かすしかない」


 ペテシアが決意を固めた声音を発して、ノブの見つかった場所にしゃがんで瓦礫を手に掴み放り捨て始めた。

 しゃがんだペテシアの背中で服を破けており薄墨色の羽が揺れている。

 その時、ふと一つの案が頭に浮かんだ。

 空を飛べる三人なら俺が走るより余程速く裏門に到達できるかも。


「今、思い付いたんだが……」


 唐突に言葉を発する俺に、三人は同時に振り向く。

 考え得る限り、この方法が一番じゃないか?


「三人は空を飛んで裏門に向かってくれ、俺はここで瓦礫の中から地下通路を探す」

「祐介さん一人じゃこの瓦礫の量はとても大変です。私もここで一緒に探します」


 自責の念が振り切れたパシフィーが、俺に同意しかねる口調で言った。

 俺の案を無理とは決めつけずに協力しようとしてくれるパシフィーの優しさはありがたいが、俺だって無考えに提案している訳じゃない。


「俺一人で全部の瓦礫を取り除けるなんて思ってないよ。ただ裏門の入り口は三人がかりじゃないと開かないかも知れない」

「そういえば。侵入を防ぐために外側からは開けにくい構造になっていたな。私達を逃がすための設備のはずなんだがな」


 シェルは皮肉っぽく笑う。

 俺に助力を断られたれたパシフィーが、虎吉を抱いたまま矢庭に羽を蠢かして、ふわりと宙に上がった。


「シアちゃん、シェルちゃん、早くリアちゃんのところに行きましょう」


 押っ取り刀で浮揚したパシフィーの促す声に、ペテシアとシェルは頷き瓦礫を蹴って飛び上がる。

 空中に浮かんだ三人は上昇して、その眼下に立つ俺へ脇目も振らずに裏門のある方角へ飛び進む。

 空を切るように飛行する三人の姿が、瞬く間に夜闇に紛れていった。

 吸血鬼である三人の足手纏いになることだけは避けよう。人間である俺は、出来ることをするしかない。

 目の前で希望を阻むように敷き詰められた瓦礫を睨み据えた。

 この下にメリアがいるなら、すぐに手を伸ばしてやりたい。

 息を深く吸い込み、叫ぶ。


「メリア!」

 声を張り上げた叫びが瓦礫で反響する。

 しかし、耳に返ってくるのは月光の乏しい夜闇の静寂だけだ。


 クソっ。


 メリアの声が聞ければ、どれだけ安堵できたことか。

 こうなったら、手段は一つだ。

 ノブの見つかった位置の近くにある扁平なコンクリートに膝を降ろして、目につくコンクリートの瓦礫を掴んで俺は背後へ投げ捨て始める。


 瓦礫に埋もれたであろう地下通路が顔を出すかどうかなんてわからない。それに角張った瓦礫を掴むたびに左右の掌も痛い。

 それでも、俺にはこれしか出来ることが無いんだ。

 ただ愚直に瓦礫を退かして、メリアのもとへ駆け付けられる道が現れることを祈るだけだ。


「どれだけ瓦礫を退かせばいいんだよ、クソっ!」


 際限ないほどの瓦礫の数に、胸のムカつきを抑えられず吐き捨てた。

 退かせども退かせども無くならないコンクリートの瓦礫が、俺の助けたい気持ちを折りに来ている。

 瓦礫、瓦礫、瓦礫、瓦礫、瓦礫。お前たちはどれだけ俺をメリアに会わせたくないんだ。何か恨みでもあるのか。

 退かし続けている俺の掌の皮膚が、ついに瓦礫の執拗さに負けて、赤黒い血が滲み出してきた。


 お願いだ、メリアの顔を見させてくれ。


 心を持たない瓦礫に懇願しながら、目に見えて数を減らしてきた瓦礫を放棄した。

刹那、瓦礫ではない平たく固い感触が指に触れる。


これは――もしかして。


 手を離して感触の正体を視認すると、見覚えのあるマンホールのような丸い鉄板が露になっていた。

 たしか、地下通路から地上階へ出る時に押し開けた鉄板だ。

 緊張の糸が切れるように歓喜が身に沁みてくるが、まだ安堵していい状況ではない。

 開閉用の溝に両手の指をかけて、掌がズキズキと痛むが鉄板を引き上げた。

 蓋が引き上がり大人の入れる隙間が出来ると、地下の冷えた空気が昇ってきて腕と頬に寒さを覚える。


「やった……」


 思わず頬が緩んだ。

 暗い穴の壁に沿うように梯子が下へ伸びている。間違いない。

 どうか、瓦礫に埋もれていないでいてくれよ。

 メリアの声はまだ聞こえてこないが、梯子を降りた先でメリアが無事で居てくれることを心で祈る。

 両手の痛みを堪えて梯子に掴まり、はやる思いで梯子を降りた。

 コンクリートの床に足がつくと、梯子から手を離して暗闇の中壁に手を当てながら最後にメリアと別れた位置へと進む。


「メリア、いるか?」


 壁で跳ね返ってうるさいぐらいの声で呼び掛けた。


 ――返事はない。


 最悪の想像が脳裏に過ぎる。


 もしや、瓦礫の下敷きになって――。


 いや、そうでないことを俺は祈る。

 記憶を頼りに角を曲がると、少し進んだ先の床に微かな光源があった。

 地下通路で光を出す物はなかったはずだ。するとあの光は。

 光源がメリアのスマホの放つ光だと認識できた瞬間、俺は光に駆け寄っていた。

 スマホがここにあるとすれば、メリアはすぐ近くにいる。


 周囲へ首を巡らせた。

 その時、足元から弱い息遣いが耳を打つ。

 目を落とすと、スマホの光に顔を照らされたメリアが横たわっていた。


「死ぬな、メリア……?」


 拍子抜けした気分だ。

 苦悶を示していると思っていたメリアの表情は、苦しみのない穏やかさを湛えている。


 無事だったんだな、メリア。


 口から出ようとしていたその言葉が喉元で留まり、嗚咽に変わる。

 なんだか、視界が滲んで……。

 ここまで自分の涙腺が脆いとは知らなかった。


「結局泣くのかよ、クソっ」


 誰にともなく毒づいた。

 とにかく今はメリアを地下から出してやらないと。

 溢れる涙を拭って俺は腰を落とし、冷たい床からメリアを抱きかかえようと手を伸ばした。


「ははっ」


 その時、自分の掌が目に入って苦笑いが漏れる。

 こんな血みどろの手で抱き起したら、服が汚れたって後でメリアに怒鳴られそうだな。

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