血を飲まされた

「祐介さん……祐介さん」

「起きて、お願い」

「聞こえてるなら起きろ、ユウスケ」


 直で耳に響くパシフィー、ペテシア、シェルの懇願の声が、温もりに沈んでいた意識を浮き上がらせていく。

 細く目を開けると、雫を湛えた三人のそれぞれ色の違う瞳が、俺に覆いかぶさるように覗き込んでいた。


「三人とも、その涙は……」

「死なないでいてくれて、よかったです」

「起きてくれた」

「心配したぞ、ビックリさせるなよ」


 涙の訳を問おうとする俺を遮って、三人は安堵で表情を綻ばせる。

 そういえば。三人を助けるために宴会場で、ラムリー率いる黒服の連中達の銃弾を浴びたんだっけ。

 頭が回転を始めてそこまで思い出すと、途端に危惧が込み上げてくる。

 上体を起こして敵の姿を探して周囲を見回す……あれ?

 黒服達はいないし、場所も宴会場ではない。ここは、どこだ?


「宴会場から避難してきました。黒服はおそらく全員死んだと思います」


 状況が呑み込めていない俺に、パシフィーが簡単に説明してくれる。

 避難? 全員死んだ? 


「あれ、見て」


 ペテシアが俺の背中の方角を指さす。

 そちらを振り向くと、信じられない光景が網膜に飛び込んできた。

 建物の中間部分だけが突き崩されたように、屋上の形のみは留めて折り重なるように邸宅が瓦礫の山となって倒壊している。


「な、なにがあったんだ?」

「君が倒れた後……」


 愕然としていると、俺が気を失っている間の事をペテシアが話してくれる。

 俺が気を失った後、邸宅が大きく揺れて内部のあちこちで崩落が発生、三人は俺を抱えて屋外へ脱出、残された黒服達は逃げ惑い瓦礫に押し潰されて命を絶たれたらしい。


「天罰」


 経緯を話し終えたペテシアが、悦を含んだ微笑で呟く。

 まあ、そうだな。天罰かもしれん。

 ペテシアの話は筋が通っているし、実際に邸宅の崩壊した姿を見ても経緯は間違いないだろう。

 でも疑問はある。


「敵が残らず死んだのはいいが、三人はどうやって俺を連れて宴会場を脱け出したんだ?」

「飛んだんですよ」


 パシフィーが事も無げに答えた。


「シェルちゃんが宴会場の高い窓を飛んで蹴破って、私とシアちゃんで祐介さんを運んで、その窓から脱出したんです」

「その話を聞くと、俺がいなくても三人は助かったんじゃないかと思えちゃうんだけど」

「そ、そんなことないですよ」


 徒労のような気分を感じる俺に、パシフィーは慌てて両腕を顔の前で振って否定した。

 ふとパシフィーの左腕の掌側に、液体が流れたような跡を見つける。

 なんだろう?


「ひゃ、な、なんですか?」


 跡を見つけた左腕を掴むと、パシフィーは驚いて裏返った声を出した。

 左腕に顔を近づけて仔細に確かめる。

 手首から肘にかけて、繊麗な肌の上を鮮やかな血のような赤が走った跡がある。


「ユウスケ、それ血だぜ」


 大した事でない口調でシェルが俺の疑問に答えた。

 血という単語の酸鼻な印象に、俺はパシフィーの手首に傷口がないか気掛かりになり、手首を掴んで傷口を探す。


「どこの辺を怪我したんだ?」

「違います。怪我じゃないです」


 俺の手を振り払うようにして、パシフィーは恥ずかし気に腕を引っ込めた。


「自分で切ったんです」

「自分で? どうしてだ?」


 理由がわからない。パシフィーはわざと手首に切り傷をつけて快感を覚えるようなマゾヒストではないはずだ。

 疑問に思う俺に、ペテシアが無表情に俺を指さした。


「血を君に飲ませた」

「は?」


 驚きの発言に、俺はパシフィーに向き直る。


「パシフィーが俺に血を飲ませたのか?」

「し、仕方がなかったんです。祐介さんの命が危なかったから、こうするしかなかったんです」

「パシフィーの血を飲んだから、俺は助かったっていうことか」


 それなら、パシフィーには感謝しないといけないけど。


「あっ、でも、血を飲ませたのは私だけじゃないです。シアちゃんとシェルちゃんも協力して三人の血を飲ませました」


 俺は一体、どれだけの吸血鬼の血を飲まされたんだ。後遺症とかなければいいんだけど。


「吸血鬼の血を飲むことで身体能力、自然治癒能力が著しく向上する」


 ペテシアがドヤ顔で血を飲む効能について説明する。

 嘘臭い健康食品みたい。


「宴会場から脱出した直後は、ユウスケの全身が銃痕で穴が空きまくってボロボロだったんだぞ。私達の血を飲んでなかったら、今頃あの世だったな」

 軽口の声音でシェルは言う。

 もうちょっと重々しい口調でもよくないですか? 唯一の血盟者の命に影響していたんだぞ。


「でもどうしてですか?」


 パシフィーが首を傾げる。


「祐介さんはリアちゃんの血を飲んだんですよね? 自ら手首を切って血を与えることは経験済みのはずです」

「あっ」


 思わず声が漏れた。

 三人を助けることで頭が一杯で、メリアのこと忘れてた。


「どうしたんですか?」

「メリアがまだ地下通路に……」


 地下通路でのメリアとの出来事を思い出して、俺は言葉に詰まった。いやいや、あれは俺に血を飲ませるためにメリアがしたことで、けっしてキスではないはずだ。非常事態だったしな。

 不思議そうな目でペテシアが俺の顔を見つめる。


「顔赤い」

「気のせいだよペテシア。気のせい、気のせい」


 無理矢理に半笑いを貼り付けて、俺は言葉を返す。


「……そう」


 釈然としない顔しつつも、ペテシアは信じるニュアンスで呟いた。

 今、メリアと唇を重ね合わせたことはどうでもいい。


「おいユウスケ、メリアがどうしたって?」


 シェルが強張った表情で俺に訊き返した。

 ペテシアとパシフィーの面持ちにも真剣みが増す。

 力尽きたメリアを地下通路に置いてきたことを話すと、三人は深刻ながらも理解した面持ちで頷いた。


「早くリアちゃんの所に行きましょう」

「急ぐ」

「ユウスケ、行くぞ」


 もしも邸宅の倒壊で地下通路が崩れ落ちていたら、メリアが瓦礫の下敷きになっているかもしれないし、俺の知らない間にメリアが地下通路から邸宅内にはいっていることもあり得る。様々な危険なケースが浮かんで心配が尽きない。

 俺と三人はメリアの身を案じて、瓦礫の山へ駆け出した。

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