俺に出来ること

 門の前の道路に停まるバンに目線を向けないように、公園を出て道路を渡り、前方を照らすヘッドライトを頼りに、古びたレンガ塀に沿ってロードレーサーを飛ばした。

 塀の角を曲がってスピードを緩め、メリアの言っていた錆びたドアを見つけるために、塀を注視して進む。


 門の真反対に当たる位置まで来たところで、ドアらしきものが目に入った。

 俺はちょっと乱暴に自転車から降りて塀に立て掛けると、スマホを取り出してドアらしきものに近付く。

 スマホのライトで照らすと、観音開きでくすんだクリーム色のスチールドアの表面に、大量の赤錆が浮いていた。


 ノブを掴んで回す。

 意外にも楽にノブが回って、俺は毒気を抜かれた。

 秘密の裏口みたいだから、もっと堅固だとイメージしてたけど、驚くくらいに容易く入れそうだ。

 誰でも入れそうでセキュリティが心配になりながら、ドアを引き寄せる。


 なんだこれ、めちゃくちゃ重い!


 かなりの力で引いたつもりだったが、ドアは一寸も動いていない。

 学校の体力テストの握力計測では十点に近い点数を出したのだが、自信をなくしそうだ。

 しかし落ち込んでる場合ではない。スマホを一旦ポケットに入れて、力を出しやすいようにノブを両手で掴み直し、自重も使ってドアを引く。

 すると重く引き摺る音をさせながら、なんとか爪先が挟まるぐらいドアが開いた。


 容易く入れると思ったのが馬鹿みたいだ。


 諦めずになおも引き続けると、ようやく人が一人通れる隙間ができた。


「ふう」


 腕が疲れて、思わず太い息を吐く。

 ドアの内側をスマホのライトで照らしながら、横歩きで隙間へ身を滑り込ませる。

 ドアを手で押すと開ける時よりも軽い力で閉まる。外からの光が遮断された。

 唯一の光源となったスマホを左右上下へ振り向けながら、俺は歩き出した。

 周囲は天井から床にかけて鉄筋コンクリートで囲まれており、もう一枚上着が欲しいくらいに肌寒い。


 たしかメリアは、階段の前のところで待ってる、と言っていたが、通路の先へ向けた光は、奥へと続く闇の中で途切れている。


 とにかくメリアと合流できれば、三人を助ける手段を知ってるかも。


 先の見えない暗闇を進んでいるというのに、不思議と怖さはなく、命に危機に瀕している四人の事しか頭になかった。


 俺なんかでよければ、いつでも助けになってやるよ。


 メリアの姿を求めて進行方向へ目を凝らして歩いているうちに、入ってきたスチールドアが背後で完全に暗闇に紛れてしまった頃、ライトの光が届いていない前方で、小さな光が視界に入った。


 なんだろう?


 俺は駆け足になって、小さな光へ近づく。

 するとそこには上り階段の一段目に座り、ぼうっとした瞳で床に置いた画面の明るいスマホを見下ろしているメリアがいた。

 小さな光は、メリアのスマホから発されていたらしい。


「待たせたな、メリア」


 ようやく会えた安堵で、俺はほっとしながら声を掛ける。

 メリアは俺の向けているスマホの光に眩しそうに手を翳しながら、顔を上げる。


「祐介……」


 俺はスマホの光を足元へ逸らして、メリアに歩み寄る。

 近くで見るメリアの表情は、気力が抜けてしまったかのように悄然としていた。


「どこか怪我でもしてるか?」


 案じて訊くと、弱々しい笑みを浮かべて首を横に振る。


「ありがとう、心配してくれて。でもあたしは大丈夫よ」

「そうか。なら良かった」


 しかし、心は休みきらない。メリア以外の三人が捕らわれていると、公園で聞かされてからは未だ状況が掴めていない。


「他の三人は今どうなってる。捕まったままか?」


 殺されていないことを祈ってメリアに尋ねた。

 メリアは申し訳なさそうに顔を伏せる。


「ごめん。電話でも言ったけど、私にも詳しい事はわかんない」

「でも、広い場所にいることはわかってるんだろ」

「ペテシアが広い場所で時間を稼ぐって言ってたから、そこで捕まっていたら三人はその広い場所にいるわね」

「三人を助けに行きたいんだ。俺にやれることってあるか?」


 本当は今すぐにでも三人のもとへ駆け付けたいが、公園での電話でいかに自分が無力かを思い知っていた。

 メリアは含みのある微笑を浮かべる。


「なかったら、あんたをここまで呼ばないわよ」

「あるのか。俺に出来ることが?」

「むしろあんたにしかできない事なんだけど……」


 そこまで言って、急に頬を赤くして口ごもった。

 俺の目から表情を隠すように、顔を逸らす。

 こんな時に言い渋ってる場合か。

 俺は苛立ちまぎれに急く思いでメリアの肩を掴んでいた。


「メリア! 三人の命が危ないんだぞ、俺にやれることってなんだよ、教えてくれ」


 怯えるように驚愕した目でメリアが肩を掴む俺を見つめる。


「……すまん」


 謝ってメリアの肩から手を離す。

 しばし互いに言葉を待っていると、メリアが落ち着いた顔つきになって口を開く。

「あんたには言ってなかったけど、吸血鬼は人間の血を吸って生気をもらうだけじゃないのよ」

「唐突だな?」

「今、必要な話だから」


 メリアの目が厳しく俺を見据える。


「その話をするってことは、吸血に関することで俺に出来ることがあるのか?」

「吸血鬼はとある方法で血盟者に力を与えられるの」


 そう告げるメリアの声が、天啓のように俺の耳の中で反響した。

 もしも力を手に入れられるなら、三人を助け出すことも可能かもしれない。


「その与えられた力があれば、三人を救い出せるか?」

「可能よ。だからあんたを呼んだの」

「メリア。よければ俺に力を与えてくれ。血盟者である俺になら、メリアは力を与えられるんだろ?」

「死にたくなるほど苦しいわよ?」


 俺の覚悟を確かめるように訊いてくる。

 決意はすでに固まっている。

 頷くと、メリアはおもむろに立ち上がった。


「少しだけ、目を閉じてなさい」


 赤面した命令口調でそう言われて瞼を閉じる寸前、メリアが自身の朱唇に鋭利な牙を突き立てるのが見えた。

 両肩に手が置かれ、僅かに引き寄せられる。

 突然、柔らかな感触に唇を塞がれ、口の中に熱い液体が流れ込んでくる。

 驚愕して瞼を開けると、俺の視界一杯に目を瞑って俺の唇に唇を押し当ててきているメリアの上気した顔があった。


 な、なんだ?


 声を出そうとしたが喉だけが動き、口の中の熱い液体が喉を通っていった。


「ぷはぁ」


 飲料水を一気飲みした時のような声を発して、メリアが顔と唇を離れる。


「なにすんだ、ゴホッゴホッ」


 思いがけないメリアの行動に文句を付けようしたが、急に襲ってきた肺腑の焼け付くような痛みに俺は咳き込んだ。

 胸を押さえて咳き込む俺から、メリアが一歩だけ身を引く。

 瞳を血のような赤に爛々と光らせて、はにかんだ笑みを浮かべた。


「力は与えたから、後は任せたわよ」


 それだけ言うと、力尽きたように階段に腰をストンと降ろした。


「メリ、ア……うっ」


メリアに手を伸ばそうとした時、破裂しかねないほどに心臓が強く打った。

 自ら息の根を止めたくなる激しい胸苦しさに、俺は立っていられずに横ばいで蹲る。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」


 全身の汗腺から脂汗が噴き出すのを感じながら、呼吸の乱れを抑えられない。

 死にたくなるほど苦しい、というメリアの言葉は大袈裟ではなかった。


「うっ!」


 再び、心臓が破裂する勢いで鼓動した。

 すると次第に鼓動が弱くなっていき、息苦しさが少しずつ消えていく。


「はあ……はあ……はあ……ふう」


 乱れていた呼吸がもとに戻って、心臓はいつもの緩やかな鼓動に鎮まった。


「メリア。大丈夫か?」


 正常な鼓動を胸に当てた手で確かめると、俺は手をついて立ち上がり、階段のメリアに目を向けた。

 メリアに近づくと安らいだ寝息が聞こえ、口の端から顎にかけて二筋の血の跡ができて床に滴っていた。

 まだ乾いていない血の跡を見て、何が起きたのか知覚できた。


 血を飲ませる、それが吸血鬼が血盟者に力を与える方法なんだ。


 この方法しか力を与えられないなら、さっきの行動はメリアにとっては俺とキスしたつもりはないんだろうな。


 あれはキスじゃなかったんだな、と自分を納得させていると、その刹那、階段の最上段から耳朶を掠るような小さい砲声が届いてくる。

 階段の最上段に視線を遣ると、階段の突き当りのスペースに弱い光を降らせている梯子の付いた穴が見えた。


 砲声は穴の向こうから響いてきているに違いない。


 身体の中を巡る熱い血液の奔流に、自分のものではない強い力を実感しながら、俺は階段を駆け上がった。

 階段を上がる足が羽のように軽く、身体能力が増幅しているのがわかる。

 今の力なら、三人を助け出せる。そう確信する。

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