四人のことを知りたい

 邸宅で調べたいことがあって、今日はいつもより一時間早く家を出た。

 俺が四人に出来ることは何かと、先週から考えたあげく、まずは彼女たちの過去を知ることだと大事だと気が付いた。

 自宅の両親の書斎を漁ってみたが新しい発見はなく、吸血鬼に関するものは何一つ出てこなかった。

 邸宅には四人が日本に来てからの五十年間を知る記録となるものが、保存されているに違いない。

 そう踏んだ俺は、四人が吸血を行う前に図書室へ足を運ぶことにした。


 図書室の引き戸を開けると、以前来た時よりも室内の照明の光量が落としてあり、少々薄暗かった。


「なんであんたがいるのよ!」


 いきなり読書スペースの方から飛んできたメリアの声に、俺は驚いて室内に入ろうとしていた足を止めた。

 メリアはツカツカと怒ったように少し前のめりで歩いてくると、あっちいけとばかりに廊下へ顎をしゃくる。

 メリアの肩越しに、読書スペースの手前で不思議そうな目でこちらを見つめているパシフィー、シェル、ペテシアの姿が覗いた。

 四人でお喋りでもしていたのか。


「大事な話してるんだから邪魔しないで」

「それは悪かった」


 そう言われては、無理に図書室で調べものはできない。

 仕方なく引き返すために身を翻すと、祐介さん? とパシフィーの声音が背中に投げかけられた。

 俺が振り返ると、パシフィーは伺うような目をする。


「何か用があって来たんですよね?」

「そうだけど。図書室使ってるなら俺は遠慮するよ」

「いえ、祐介さんが遠慮することありませんよ。私達はたいした話をしてませんでしたから」

「メリアは大事な話って言ってたけど?」

「大事は大事ですけど話はもう終わりましたから、気にしなくていいですよ」


 気にしなくていいと言われても、少しばかりは気になるが、俺には話せない内容かもしれないと思うと自然気が引ける。

 四人には四人のプライバシーがあることだから、俺が無神経に聞き出すわけにはいかない。

 メリアは釈然としない顔をしていたが、俺を追い返すようなことはなく無言で読書スペースの方へ戻っていった。


「それで、何しに図書室へ来たんですか?」

「ちょっと調べものをしたくてな」

「調べもの、ですか」

「四人が日本に来てからの五十年間の記録とか資料とか、あるかな?」

「どうでしょう? 図書室にあるものはシアちゃんの方が詳しいと思いますけど」


 首を傾げてそう言うと、読書スペースに居るペテシアの所まで戻り尋ねてくれた。

 パシフィーに頷いたペテシアが、いつもの感情の見えない顔でこちらに近付いてくる。


「何?」

「四人の五十年間のことを知りたいんだけど、記録とか、資料とかあるかな?」

「アルバムならある」


 アルバム、となると写真か。

 四人を匿うことを決めた曾祖父、また四人の擁護を引き継いできた祖父や両親の書記などがあれば、五十年前に何が起きていたのか当時の状況をつぶさに知ることが出来たのだが、贅沢は言ってられない。むしろアルバムがあるだけでも、かなりの参考にある。


「そのアルバム、見せてもらおうかな?」

「わかった。ついてきて」


 アルバムを閲覧することにした俺は背中を向けて歩き出すペテシアの後を追って、背の高い本棚の並んだ左の通路へ入っていく。

 通路を進むと右の通路と繋がる突き当りの前で立ち止まった。

 俺を振り返って、部屋の隅にある本棚の最下段を指さす。


「そこに」


 ペテシアの指さす場所には、他の書籍と仕切りを隔てて背の擦り切れたものから比較的新しいものまで、アルバムらしき冊子が五冊納めてあった。

 屈んで一番古いアルバムを本棚から抜こうとすると、ペテシアの手が伸びてきてアルバムの背に被さった。

 これじゃ、本棚から出せない。


「ここで見るのはダメ」

「なんでだよ?」


 アルバムを見るのに、わざわざ移動しないといけないのか。


「写真を勝手に盗んで、いろいろ妄想されるの嫌だから」

「しねぇよ。そんな変態行為」

「それに、久しぶりに中を見たいから。三人もそう思ってる」


 ペテシアは微笑んでそう口にすると、メリア、パシフィー、シェルがいるテーブルへ踵を返した。

 俺がアルバムを見させてもらうと言ったから、唐突に懐かしくなったのだろうか。

 俺は五冊のアルバムを腕に抱えて、メリア、パシフィー、シェルがひそひそと話し合っているテーブルにまで運ぶ。

 アルバムをテーブルに置くと三人は会話をぱっと打ち切り、染みていくような歓喜と驚きの視線をアルバムに向けた。


「だいぶ、見てなかったわね。アルバムなんて」

「いつぶりでしょう」

「ちゃんと残ってたんだな」

「三人も見たいのか?」


 俺が訊くと、三人はもちろんと頷いた。

 メリアが最も装丁の新しい一冊を手に取り、ふと思い出した顔で口を開く。


「でもこれ、どうして図書室にあるのよ?」

「さあ、俺には」

「私が移動させておいた」


 ペテシアが突然に声を挟んで答えた。


「どうしてなの。今の祐介の部屋にあったはずじゃ?」

「新しい血盟者に写真を抜き取られたくなかったから」


 そう平然にメリアの質問に返す。

 四人と対面する前の俺、どれだけ信用されてなかったんだ。


「はい、祐介さん」


 ペテシアの言葉に少し落ち込んでいる俺に、パシフィーが一番年季のあるアルバムを差し出してきた。


「これが五十年前から四十年前までのアルバムです。古い方から年代順に調べるんですよね?」

「そのつもりだったよ。ありがと……」


 礼を言いながら受け取ろうとする。

すると、不意に俺の横からかすめ取るようにしてメリアがアルバムを掴んだ。そのまま自分の方へ引き寄せる。

 俺はイラっとしてメリアを睨んだ。

「なにすんだよっ」

「精査する」

 異存は許さない、という口調で告げ、俺に中が覗かれないようアルバムを両手で立てて持つと、じっくりと中を見始めた。

 俺には見られたくない写真でもあるのだろうか。


「おい、祐介」


 俺の知らない間に五冊の中で中間にあたる一九九〇年代を捲っていたシェルが、一枚の写真を二本の指先で挟んで俺に見せてきた。

 写真の撮られた場所はボウリング場で、電光のスコアボードには最高得点が表示されていて、その下で笑顔のシェルがトロフィーを抱え持っている。

「昔は遊園地の中にボウリング場があったんだぞ。それでこれは、私がパーフェクトスコアを達成した時の写真だ」


 シェルの顔が得意げに笑んだ。

 パーフェクトスコア、ということは全球ストライク。

 とんでもねえ、腕前だ。


「どうだ、凄いだろ?」


 自身を親指を指して、ニヤリと口の端を上げる。


「ほんとに凄いな。パーフェクトなんて中々お目にできないよ」

「ハハハッ。私はボウリングでもなんでも得意なんだ」

「他には何が得意だ?」

「そうだな?」


 俺の質問に、シェルはしばし考えるように目を空に向けてから、両手の指を広げて指折り数え始める。


「ダーツ、ビリヤード、テニス、ゴルフ、競馬、スキー、卓球、フェンシング、数え上げたらキリがないな」


 なんとまあ、多才な。

 クレーンゲームを簡単と高言するのも道理だ。

 シェルの多才ぶりに感嘆していると、ふいに後ろからトントンと肩を叩かれる。

 振り返ると、一枚の写真を持ったペテシアが立っていた。


「これ、見て」


 そう言って、俺の眼前に写真を突き出してくる。

 驚いて半ばのけ反りながら写真を眺めた。


「誰か、わかる?」


 写真は白黒で色の識別がしにくいが、割烹着に布マスク姿の女性が写っている。胸部の膨らみ具合からして――


「メリアだな」

「うん、正解。でもどこで見分けた?」


 どこって訊かれても、胸の大きさで見分けた、なんて言えるわけない。


「まあ、雰囲気かな」


 すごく曖昧な言葉で俺は誤魔化す。


「ああ、その写真!」


 検閲が終わったのか、アルバムを閉じたメリアが高い声をあげる。


「返してっ!」


 俺を押しのけるようにして、メリアはペテシアの持っている写真に手を伸ばす。

 しかしペテシアは普段感情の見えない顔に微かに悪戯っ気を浮かべて、メリアの手から写真を遠ざけた。


「な、なんで返してくれないの!」

「面白いから」

「面白いから、じゃないわよ!」


 意地悪く笑うペテシアと、声を荒らげるメリア。

 えっと、これはどうすればいいんだ。取り成した方がいいのか?

 ちょっと子供じみた悶着を始めた二人に、俺が仲裁に入るべきか悩んでいると、急に横から片腕を捕られる。

 首を巡らすとパシフィーが微苦笑していた。


「リアちゃんとシアちゃんのことは放っておいて大丈夫ですよ。昔からあんな感じですから」

「昔から、ね」


 百歳超えた吸血鬼にとって、昔ってどれぐらい前のことなんだ? いまいち想像がつかいないが、日本がアメリカと戦争するより前でもおかしくない。


「それより祐介さん。調べものするんですよね?」

「ああ、そうだった」


 懐かしんでいる四人の緩い雰囲気に呑まれかけてた。アルバムを出したのは、ちゃんとした理由があったんだ。

 目的を思い出して、精査すると言ってメリアに奪掠されて結局テーブルに戻ってきた一九七〇年代のアルバムを手に取って開いた。

 一ページ目には、遊園地の創業当時のチケットや遊園地の掲載された新聞の切り抜きなどで、四人に関する記録は何もなかった。

 二ページ目、三ページ目、と仔細に目を晒しながらページを捲っていったが、それでも四人のことは一切出てこなかった。

 四人が世間の目に触れることを危惧した曾祖父が、徹底して写真を撮らなかったのではないか、と考え始めていると、最後のページに来て一枚だけ裏返しに入れられている写真に視線が留まる。


「これは?」


 視線が留まった写真を取り出し、表に返した。


「ははっ、そうか」


 思わず笑いが零れる。

 白黒の写真には、林にぽっかりと空いた草地のような場所で、満月をバックに工事途中の建物と曾祖父らしき和服の初老男性の腕に包み込まれるようにして、四人が緊張した面持ちで肩を寄せ合って立っている姿があった。


「そんな写真まであったんですか」


 横から写真を覗き込んだパシフィーが、懐かしむ声で言った。


「吉次郎さんと出会って、初めて撮った写真です。場所はどこだかわかりますか?」


 どれだけを知っているか推し量るような口調で問う。

 俺は写真をじっくりと眺めた。

 写真の中で工事途中なのは、きっと。


「勘だけど答えられるよ。ここだろ?」

 俺は指を床に降ろして答えた。

 パシフィーは破顔する。


「そうです、ここなんです。その写真は、吉次郎さんが私達に初めて工事中のこの建物を見せてくれた時のものです」

「この時はまだ建物は未完成だったんだろ。完成するまでどこで過ごしていたんだ?」

「同じ敷地の隅に残っていた林です。工事作業員の方々に見つからないようにするのは大変でした」

「完成してからは、ずっとここで暮らしてるんだよな?」

「はい」


 屈託ない笑顔でパシフィーは頷いた。


「他にも懐かしい写真があるわよ」

「これもこれも、みんな思い出」


 いつの間にか諍いをやめていたメリアとペテシアが、数枚の写真をテーブル上のアルバムに重ねるようにして置いた。

 祖父と一緒に写る笑顔の四人、若い頃の両親に挟まれて写る笑顔の四人、曾祖父、祖父に挟まれて華麗な浴衣姿ではにかんでいる四人、母とバーベキューコンロを囲んでいる不意打ちにされたような顔の四人、どの写真にも四人の哀し気な顔は見当たらなかった。


 俺はどこかで勘違いをしていたのかもしれない。

 四人を救いたいような気持ちで、なんとかしてあげようと考えていた。

 しかし四人にとって五十年間匿われてきたことは、けっして辛い事ではなかったのだろう。むしろささやかながら幸せだったろう。

 邸宅から外に出られない事を不自由などと、思えば四人は一度も口にしていなかった。

 人間を指標にしていれば不自由に見えるかもしれないが、迫害を受けてきた吸血鬼である四人には、人間にとって何でもないことが、きっと幸せだったんだ。


 庇護者のつもりでいた自分が、本当は何も理解できていなかったのだとまた痛感する。

 アルバムを開いて思い出話に興じる四人の笑顔を、俺の無粋な詮索で曇らせのはやめよう。


「四人とも楽しそうだな」

「は、急に何よ?」


 メリアがアルバムから顔を上げて、少し訝しげに言った。


「言葉通りだよ。楽しそうにしてるじゃないか」

「まあ、いろいろあったから」


 脳裏に面白い出来事を再生されているように、メリアは口元の微笑を深める。

 たぶん、俺の役割は彼女たちを悲しみから救うことではなく、彼女たちの笑顔を守ることなんだろう。

 何かをしてあげようという使命感から思い立った俺の行動は、望まれたものではないんだ。


「俺は先に部屋に戻る」

「え、もう、調べ物はいいんですか?」


 頬を緩ませてアルバムを見ていたパシフィーが、はっとした顔を俺に向けてそう訊いてくる。


「調べ物は終わったよ」

「え? アルバム出して、まだ一九七〇代のものしか見てないですよ?」

「充分だ。それじゃ、先に行ってる」


 吸血のために身体を洗うにはまだ時間が早いが、いつもより浴槽でゆっくり寛げばいいや。

 虚を衝かれた顔をする四人に調べ物が済んだことを告げると、俺は図書室を後にして一人自室に向かった。

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