夜のデートに連れて行きます3-2


 夜の無人の公園は、森閑と静まり返っていた。

 満月に成りそこなったみたいな小望月が、空の上から夜の闇を照らしている。

 たしか母が死んだ日の夜も、こんな月だった気がする。

 円満には届かない、とでも俺に告げているかのように。


「なーに浸っちゃってんのよ」


 同じベンチに座っているメリアが、阿呆を見るような目を向けてきた。


「月夜にタピオカなんて取り合わせ、風流も風情もないわよ」

「別に浸ってたわけじゃない」

「ふーん、まあそういうことにしときましょ」


 さっぱり信じていない態度でメリアはベンチの背にもたれかかり、ドリンクをストローで啜りながら夜空の月を仰ぐ。


「今日の月って、満月?」

「いや、満月じゃない。少しだけ欠けてる」


 俺は小望月の隅の扁平な部分を指で示す。


「あー、ほんと。少しだけ欠けてるわね」

「明日には満月だな」

「でも明後日にはまた反対側が欠けるんでしょう?」


 虚しい質問するような声でメリアが呟く。


「そうだな。満月でいられるのも一夜だけだな」

「あの月を見て、あんたは何を考えてたの?」


 メリアが唐突に真剣なトーンで訊いてくる。


「もしかして、弥生さんの事?」

「なんでそう思うんだ?」


 いきなり出た母の名に、俺は戸惑いを覚えつつ訊き返した。


「だって月を見てた時のアンタの顔が、楽しい事を思い出してる顔じゃなかったから」

「だからって母さんの事とは限らないだろ。もしかしたらエッチな事でも考えてたかもしれないだろ」


 しめやかな空気を払拭したい、と俺はわざと下品にニヤケてみた。

 メリアが面白そうにふっと鼻で笑う。


「バッカじゃないの」


 ああ、馬鹿だ。こんな場面でエッチなことを考えるなんて、ほんとに馬鹿だ。


「あんな寂しそうな顔してくだらない事を考えてたはずないじゃない。弥生さんの事でしょ?」


 図星だ。母と今生の別れをすることになった夜を思い出していた。


「……ああ、そうだ」

「空気が読めないのね。あたしみたいな美少女を隣に置いといて、母親の事を考えてるなんて」


 ちょっとおどけた様子でメリアが笑う。


「自分で美少女って言うか?」

「ほんとのことだから」


 揺るぎない自信のある口調で言った。

 まあ確かに、メリアは美少女だ。俺からは言ってやらないが。


「ありがとね」


 不意にメリアが感謝を口から漏らした。

 メリアの口からは予想もしていなかった言葉に、俺は心臓を撫でられたような驚きでメリアの方を振り向いた。


「どうした、突然?」

「あたし達のために計画してくれたんでしょ。こうして外出するの」

「まあ、な」


 相手が望んでいることを出来る範囲で叶えてあげる、なんて礼を言われるほどでの善行ない気がする。第一、俺は母が望んでいたであろうことを引き継いでいるだけなのだ。


「パシフィーもペテシアもあんたに感謝してるわよ。私達、あの屋敷から出られたの五十年ぶりだから」

「五十年ぶり?」


 俺は聞き間違いではないかと、オウム返しに尋ねた。


「あたし、変な事言った?」


 何もおかしいと思っていない顔でメリアが首を傾げる。


「今、五十年ぶりって言ったか?」

「言ったわよ」

「五十年って半世紀だぞ」

「そうね。でもあたし、一三五年生きてるから」


 しれっと口にして、メリアが微笑む。


「長く生きてるとしても、五十年ぶりってどういうことだよ。五十年前に何があったんだよ?」


 半世紀もの間、あの邸宅から外に出ていない。

 俺の知らない遠い遠い過去に、一体何があったんだ。


「ちょっとだけ昔話をしてもいい?」

「ああ」


 俺が頷くと、メリアは月を仰いで話し始める。


「あたし達、生まれはみんな英国なの。五十年前までは英国にいたんだけど、文明の進化とともに人間にとって忌避すべき存在の吸血鬼に対抗した武器をいくらでも作れるようになったの。そうして吸血鬼は数を減らし、残ったのはあたし達四人だけ」


 メリアの横顔に作ったような気丈の笑みが浮かぶ。


「どうして四人は日本に来たんだ?」

「英国にはいられなかったから、とにかく遠い場所へと逃げようと思っているうちに、日本に辿り着いてた」


 ファンタジーみたいな話だが、メリアと他の三人が吸血鬼であることすれば、別段あり得ない話ではない。


「辿り着いた日本で何かあったのか?」


 俺は話を先取りして訊いた。

 メリアは首肯する。


「日本に来た五十年前、ある人と出会ったの」

「誰?」

「吉次郎さん。あんたの曾祖父よ」


 思いも寄らない人物に、俺は息を呑んだ。

 俺が生まれるよりも前に亡くなっていたが、祖父から名前だけは聞いたことがある。


「それで、俺の曾祖父と会って何があったんだ?」


 自分の知らない謎に迫るような気持で、どうにも質問が止まらない。


「行く当てもなく彷徨っていた私達を、吉次郎さんは匿ってくれたの」


 メリアは懐かしい記憶を話すように穏やかな口調になる。


「人間に助けてもらうなんて初めての事だったから驚いたわよ」

「俺の曾祖父は、メリアたちが吸血鬼だってこと知ってたのか?」

「最初は知らなかったみたい。私達が吸血鬼だって知ってからも、吉次郎さんは変わらず優しくしてくれたけどね」

「優しかったのか、俺の曾祖父は。それじゃ、メリアたちに外出を禁止したのは曾祖父じゃないのか?」

「いえ、吉次郎さんよ」


 どういうことだ? 優しかったんじゃないのか?


「優しいはずの曾祖父が、どうして外出を禁止したんだよ?」

「正体をバレないようにするためよ。ほら、当時は他とは違う目の色をしてるだけで奇異に見られるでしょ」

「そうか」


 五十年前にはカラーコンタクトなんて無かっただろうし、異質なものに対する風当たりも強かったのだろう。


「外出ができないとなれば、メリア達はどこに潜んでたんだ?」

「今と同じ」

「あの邸宅?」

「そう。あそこは実は昔ホテルだったのよ」

「マジか」


 部屋の数がやたら多かったり、図書室や宴会場があったりと、やけに規模が壮大だと思っていたが、まさか元々ホテルだったとは。


「そうなると、曾祖父はメリア達をホテルで匿う権限を持つくらいだから、ホテルの経営者だったのか?」

「経営者には違いないけど、ホテルではないわよ」

「じゃあ、何の経営者だったんだ?」

「遊園地よ」


 遊園地? ホテルとは何の脈絡もないではないか。


「どうして遊園地が出てきたっていう顔してるわね?」


 心の内を読んだかのようにそう言い、くすりと笑った。


「まあ、ホテルと遊園地に何の関係があるのかさっぱり思いつかないからな」

「ホテルは遊園地に付属で建てられたのよ。あたし達は住み込みで深夜に掃除当番みたいな仕事をしてたの」

「それで遊園地はどうなったんだ。今はそれらしい遊具とかはないみたいだけど」


 質問すると、メリアの顔がにわかに曇る。


「ありきたりな話よ。二十年前に経営難で潰れて、遊具は取り壊された」

「どうしてホテルだけは残せたんだ?」

「敏郎さん、義雄さん、弥生さんが、土地の所有権を引き継ぎ続けてくれたからよ。ほんとに感謝してもし切れないわよ」


 祖父、父、母の名が出てきて、俺はいささか厳粛な気持ちなった。

 一家三代、世間の目から吸血鬼たちを匿い続けてきた。

 自分がどれだけ大きな役目を引き継いだのか、今更ながら気付かされた。

 十七歳の俺には、荷が重すぎやしないだろうか。


「なーに、暗くなってんのよ」


 懐旧談をしていた時とうって変わり。軽い口調でメリアが間違ったことに注意を与えるように言った。 


「気負わなくていいのよ。あんたはきちんと役目を全う出来てるから」

「そうか。全う出来てるのか」


 メリアに言われて、肩の荷が少しだけ降りた気がする。


「これで昔話はおしまいよ」


 メリアは話を切り上げると、手に持っているドリンクのストローで中身を一気に啜り込んだ。

 中身がなくなるとストローから唇を離し、ベンチ傍にある空き缶用の鉄のくず籠にカップを放り入れた。

 ベンチから立ち上がり、明るい微笑を浮かべる。


「さ、帰りましょ」

「そうだな」


 俺もカップをくず籠に投げ捨てて、メリアと並んで邸宅への帰り道に就いた。

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