夜のデートに連れて行きます1
折しも冬のはしりのような寒さを感じ始める時節。吸血鬼四人と血盟を交わしてから早一か月が過ぎた。
あちらは俺の事をどう思っているのか知らないが、四人とはそれなりに懇意になったつもりで、吸血後にも他愛無い話で盛り上がるのだが、彼女たちが時々見せる物寂しさには胸が痛む。
彼女たちが物寂しさを見せるときは必ず彼女たちが好きな物を語っている時で、楽しそうな顔から一転して、晴れない顔になる。
先週吸血に行った日から、四人の晴れない顔がどうにも脳裏から離れず、彼女たちの望みを叶えられる方法はないかともやもやしていた。
そしてついに。俺は彼女たちの望みを叶えるために今宵決行した。
「祐介さんとお出掛けなんて楽しみです」
ベージュのブラウスに襞状の黒のロングスカートという服装で隣を歩くパシフィーが、弾む声で言った。
いつもより一時間早く屋敷へ赴き、怪異な存在ゆえに外出を避けている四人へ事情を明かして説得した。それでも四人揃って街中を歩いたら、彼女たちの美貌も相まって悪目立ちする恐れがあったので、今夜はパシフィーのみを連れ出した。
「それで、どこに連れていってくれるんですか?」
「着いたらわかるよ」
焦らしてやろうと、わざとそう返す。
「ひどいですよ。三人がいないから教えてくれてもいいと思いますけど」
「教えたら遠慮しそうだからな」
「遠慮? どうして私が遠慮すると思ったんですか?」
「まあ、なんとなく」
あまり追及されるとこっぱずかしいので、深い考えのないふりで俺は煙に巻いた。
心の底からの笑顔が見たかったから、なんて言えない。
しばらく談笑しながら歩いていると、視界の先に目的の店舗が目に入る。
店の前まで来て、俺は足を止めた。
釣られるように足を止めたパシフィーの目線が、店前の立て看板に注がれる。
立て看板には、ドリンク付き一時間一〇〇〇円、と書かれてある。
パシフィーが立て看板から俺の方に視線を移した。
「このお店は?」
「猫喫茶だ」
「猫喫茶?」
なんだろうというように、パシフィーは首を傾げる。
店構えは普通の喫茶店と変わりないが、事故などで飼い主のいなくなった猫を店主が保護する形で始めた喫茶店、と聞いたことがある。
「どういったお店なんですか?」
「入ればわかるよ」
質問には答えず、何が何だか理解できていないパシフィーの背中を押して店の入り
口のガラスドアを潜った。
「いらっしゃいませ」
入店すると、カウンターの前で屈んで猫を撫でていたカーディガンの上にエプロンの若いお姉さんが、俺とパシフィーに気付いて微笑みを向けてくる。
午後七時半という閉店間際の時間帯だからか、店内に猫の姿はちらほらあるが他の客の姿はない。
「もう少しで店仕舞いよ。あまりゆっくりできないけどいいの?」
お姉さんはまったりとした口調で訊いてくる。
「いいですよ。突然猫と触れ合いたくなっちゃって、こんな時間にすみません」
「あなたが謝ることないのよ。こっちは商売なんだから、来てくれてありがとね」
そう言って、ほんわかと笑った。
こんな優しそうな人が店主なら、猫もさぞかし幸せだろう。
お姉さんはちらりと俺の隣に立つパシフィーを見つめる。
「でもほんとうにここに来たかったのは、彼女の方じゃないかしら」
パシフィーに目を遣ると、パシフィーは店内にいる猫達に視線を奪われていて、俺とお姉さんには目も暮れていない。
「ご注文は何にしますか?」
一応仕事だからという顔つきで、お姉さんがオーダーを尋ねてくる。
「ホットコーヒーで。パシフィーは?」
「は、はい?」
猫を目で追うのに夢中になっていたパシフィーは、遅れた反応でこちらを振り向いた。
「ドリンク。何がいい?」
「ドリンクですか。なんでもいいです」
「そうか。じゃあ俺と同じのいいか?」
「はい」
ホットコーヒーを二杯、とお姉さんにオーダーを伝えた。
「ホットコーヒー二つね。作ってくるから少しだけ待っててね」
「あ、あの」
オーダーのコーヒーを淹れにお姉さんがカウンターの内側へ退こうとした時、パシフィーがおずおずと言った声音で話しかけた。
お姉さんは首だけをパシフィーに向ける。
「なあに?」
「このお店の猫さんに触ってもいいですか?」
「もちろん。好きなだけ触っていいわよ。でも猫によっては執拗に触ると怒る子もいるから気をつけてね」
「はい。ありがとうございます」
パシフィーは感激とばかりに礼を言うと、店内の隅で丸まっている毛並みの美しい白猫に目を留めた。
「ほんものの猫さんですぅ~」
顔の筋肉がこれでもかというほど緩み、夢の地にでも誘われるかのようにふらりふらりと白猫へ歩み寄る。
白猫の前まで近づくと、膝を折って屈み両腕を差し出した。
「こっちに来てください、白猫さん」
白猫は突然近づいてきたパシフィーに気付いたのか、丸めていた身体を起き上がらせて四本脚で立ちパシフィーと対面する。
だが、途端に前足を突っ張らせ、威嚇するように毛並みを逆立てた。
「シャー!」
「ああ、白猫さん怒らないでください。私は敵じゃありません」
パシフィーは両腕を肩のところまで上げて、降参のポーズをしてみせる。
しかし白猫は襲われるとでも思ったのか、逆立てた毛並みがぶるりと震わせ、
「シャー、シャー!」
と、恐慌をきたした叫びを発しながら、店の奥の方へ駆け逃げていった。
猫は本能的にパシフィーが吸血鬼だと認識できていたのだろう。白猫の逃げる姿には命を取られる恐怖のようなものが感じられた。
「うう、白猫さんを怖がらせてしまいました」
屈んだ姿勢のまま、パシフィーの表情が暗くなった。
「やっぱり、私に懐いてくれる猫さんはいないんです」
「そんなことはないと思うぞ」
どうにもパシフィーの暗い顔は見ていられず、根拠もない慰めが口を衝いて出た。
百年前の猫ならまだしも、現代の人慣れた猫なら怯えることはないだろう、と考えていたのだが、見立てが甘かったらしい。
望みを叶えてあげようとしたのに、裏目に出てしまった。
パシフィーの琥珀色の瞳が、すまなそうに俺を見つめる。
「祐介さん。せっかく連れてきてくれたのに、私は猫を怯えさせてしまうだけです。もう帰りませんか?」
「さっきの猫は初めて見るパシフィーを警戒していただけだよ。別に怖がってたわけじゃない」
と、思ってもないことを口にする。
吸血鬼を恐れない猫などいるのだろうか。今になって自信がなくなってきた。
「気遣いはいりません、祐介さん。猫の写真集で私は充分ですから、三人を待たせてるこおとですし帰りましょう」
「そう……するか」
余計なお節介だったのだろう。
本物の猫を見たい、というパシフィーのささやかな願いを叶えてあげたかった。吸血鬼という理由だけで、願いを断念しなければならないのか。
「ごめんなさい。店仕舞いの近い時間だったのに」
パシフィーは立ち上がると、カウンターからコーヒーを運んで来ようとしていた
お姉さんに詫びた。
「あら、もう帰っちゃうの?」
「はい。これ以上猫さんを怯えさせるわけにはいきませんから」
「猫は初対面の人には警戒するものよ。警戒する必要のないことがわかれば、猫は自分から来てくれるわよ」
「ダメなんです。私は普通じゃありませんから」
そう諦めの微笑を浮かべて言うパシフィーの琥珀色の瞳に、どうにもならない嘆きが漂っているように俺には見えた。
「そう。あなたがダメだと思うなら、私の方も無理強いはしない。でもまた猫に会いたくなったら、うちに来てね。マケてあげる」
「はい。ぜひ来ます。お邪魔しました」
パシフィーはお姉さんに頭を下げると、踵を返して入り口のガラスドアを押し開けた。
「ニャ~オ」
その時、濁った猫の鳴き声がして、ドアの隙間からするりと潜り込むようにして一匹の虎猫が入ってきた。
「あ、虎吉」
お姉さんが虎猫を見て、驚いたような声を出す。
「この店の猫なんですか?」
俺が尋ねると、お姉さんは困ったように頬に手をつく。
「そうよ。でも毎日フラフラどこかへ出かけていって、店にいないのよ。」
「ニャーオ」
虎吉はドアの前にいるパシフィーの足元を通り抜けるかと思いきや、動きを止めてパシフィーを見上げた。
パシフィーは突如現れて自分の足元で立ちんぼする虎吉に、戸惑いの目を落とす。
「あの、猫さん。私に何か用ですか?」
「ニャーオ、ニャオ」
だみ声で鳴きながら、虎吉はパシフィーの足に甘えるように身体をすり寄せた。
きょとんとパシフィーが小さく口を開ける。
「私のこと、恐くないですか?」
「ニャーオ」
虎吉から頷きのような鳴き声が返ってくる。
俺と同じく虎吉とパシフィーの様子を眺めていたお姉さんが、微笑ましげにふふっと漏らす。
「虎吉ったら、彼女を気に入ったみたいね」
「わかるんですか?」
「だって虎吉は、特定の条件を備えた人にはすごい懐くもの」
「特定の条件?」
「知りたい?」
「まあ。ちょっと気になりますね」
なんせ吸血鬼のパシフィーに臆せずにすり寄る猫だ。何か他の猫にはない気質みたいなものを持っているのかもしれない。
お姉さんは俺に顔を近づけ耳打ちする。
「実はね。虎吉は胸の大きな女性にだけ懐くの」
「え?」
「それもD以上。ちなみに私はEよ」
思わず、お姉さんの胸に目を遣ってしまう。
確かに、Eぐらいあってもおかしくない膨らみ具合だ。
って、クソっ。必要もないことまで吹き込まないでくれ。
「あの、これ、どうしましょう?」
俺がお姉さんに弄ばれていると、パシフィーが顔だけこちらを振り向き、困惑した目で見てきた。
「猫さんが足から離れません」
「そういう時は抱いてあげればいいのよ」
お姉さんが教えた。
パシフィーは頷いて、恐る恐ると言った手つきで虎吉に両腕を伸ばし、脇を支えるようにして胸元まで抱き上げた。
「ニャオ、ニャーオ」
パシフィーの腕にぶら下げる形で抱かれた虎吉は、興奮したように濁声のトーンを幾つか上げて肉球を突き出した。
虎吉の肉球がパシフィーの豊満な双丘の片方に触れ、水風船に似た思わせる弾力で食い込ませた。
すげー、柔らかそう。
「やめてください。くすぐったいです」
パシフィーは悪気のない子どもを諭す口調で、虎吉の前足から避けるように身を少しひねる。
パシフィーが身を捻ったことによって、虎吉は必然的に自身に近くなったパシフィーの反対の胸に肉球を押し当てる。
「ほんとに、くすぐったいんですっ」
パシフィーは何度も身を捻り、言葉通りくすぐったそうに猫を言い聞かせようとしている。
「あらまあ。彼女と虎吉は相性が良さそうね」
暢気な口ぶりでお姉さんが微笑む。
「彼女には、虎吉の飼い主になってもらうしかないわね。君もそう思わない?」
良い考えじゃない、という目をして俺に訊いてくる。
パシフィーを怯えない猫が他にいるのかわからないし、もし虎吉以外にいないとなると、せっかくの機会を逃すことになる。
とはいえ、俺がどうこう迷うよりも、パシフィーに飼い主になる意思があるかどうかが重要だ。
「なあ、パシフィー?」
パシフィーは虎吉をゆっくり床に降ろしてから、俺に向く。
「なんですか、祐介さん?」
「その猫、気に入ってるか?」
「はい。私と会うのが初めてだからなのか攻撃してきましたけど、そこも含めて可愛い猫さんです」
「そうか。なら部屋で飼うか?」
俺の言葉が予想外だったのか、パシフィーの目が大きく見開かれる。
「いいんですか?」
「パシフィーが飼いたいっていうならな。お姉さんも虎吉の飼い主にぴったりだってさ」
お姉さんがうんうん、と請け合うように頷く。
「えへへ、ありがとうございます」
心の底からの嬉しさが溢れ出たように、パシフィーは花咲くように満面で笑った。
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