ごめんな、読書経経験が少なくて

 ペテシアは吸血を済ますなり、少し待ってて、と俺に告げると部屋から出ていってしまった。

 しばらくして戻ってくると、片手に一冊の冊子を持ってベッドにもたれている俺の正面に立つ。


「どうした?」


 俺が話しかけると、ペテシアの無表情が微かにしかめられた。

 ふいに本を持つ腕を上げ、素早く振り下ろす。

 次の瞬間、本の背が眼前に迫り鼻頭に直撃した。


「いたぁ」


 俺は鼻頭を押さえて呻いた。

ばさり、と本が背表紙を上にして床に落ちる。


「なにすんだよ?」


 本を投げつけてきたペテシアに、抗議の視線を向けた。

 するとペテシアの無言の怒気を孕んだ瞳に身が竦む。


「君にはその本がお似合い」


 裏返しに床に落ちている冊子を手に取り、表紙の方へ返してみる。

 表紙には美形の男女が手を繋ぎ合った写真があり、その上にゴシック体で印刷された題名には、

 

 大人のための性教育(新装版)  


 何が新装版だ。新装されるってことは、需要があるってことじゃねーか。

題名は卑猥なのに、カテゴリーとしては教育本なのか、装丁には白や青など落ち着いた色調が使われている。

 俺はペテシアに問う目を向けた。


「こんな本持ってきて、何がしたいんだ?」

「シェルの変な声が聞こえた。吸血鬼との交合はダメ。勉強して」


 俺の持つ本を指さしそう言うが、本の内容を思い出したのか、急に頬を赤らめて顔を伏せた。

 交合って確か性行と同じニュアンスを持っていたはず。ペテシアは言葉では自粛できても、脳内では自粛できなかったらしい。

 気まずい雰囲気になるが、ペテシアは俺がシェルと一線を通り越したと思っているらしい。誤解は解かなければならない。


「ペテシア。お前は何か誤解しているようだが、俺はシェルと何もやってない……何もやってないは嘘だが、お前の想像しているようなことはしていない」


 途中で語弊があることに気付いて言い換えたから、情けない言い訳みたいになってしまった。

 信じたいような目でペテシアが見つめてくる。


「ほんとに?」

「ああ、ほんとに」

「わかった、信じる」


 ペテシアはこくんと頷いた。

 よかった。どうやら信じてくれたようだ。


「でも、シェルとベッドで何してたの?」


 そう問うて、ベッドの上を指さす。

 無造作にベッドの隅へ寄せられた掛け布団、寝乱れたように皺が出来た白シーツ。誰がどう見ても、事後の様相である。



「答えて。怒らないから」


 静かな憤怒が紺色の瞳の内側に宿っているように見えた。


「ほんとに怒らないか?」

「ほんと」

「じゃあ言うぞ。マッサージをしてあげてた」


 瞬間、微かに目が鋭く細められる。


「マッサージやれ、ってせがまれてな」


 慌てて付け加える。

 ペテシアの瞳から憤怒が霧散した。


「許す」


 許された。本気で怒らせたら人間の俺は成す術もないまま、血を根こそぎ吸い取られてしまうかもしれない。そうしたら、俺は死ぬ。

 心の中でほっとしていると、いつもの無表情に戻ったペテシアが口を開く。


「そういえば。君にお願いがあった」

「なんだよ。急に」

「少し待ってて」


 そう告げて、ドアから廊下に出ていった。

 数分ほどしてペテシアは、両手に単行本を三冊積んだ姿で戻ってきた。

 三冊の単行本を差し出してくる。


「これ、来週までに読んで感想聞かせて」

「俺、普段本なんて読まないから上手い感想聞かせられないぞ」

「上手い必要なんてない。好きな本を読んでほしいだけだから」


 好きな本、とペテシアは言った。

 この頼みは無下には断れまい。

 俺は三冊を受け取る。


「どれぐらい時間が掛かるかわかんないけど、頑張って読んでくるよ」

「頑張らなくていい。読書は楽しむもの」


 優しく教え諭すように言って、口元を僅かに綻ばせた。

 俺は三冊の本の表紙を見てみる。

 表紙にはファンタジックな魔女と剣士が描かれていて、三冊はどうやらシリーズもののようだ。

 ペテシアが壁の時計を見る。俺も同じく時計に目を遣った。

 吸血のために設けられた時間は、残り三分を切っていた。


「そろそろ時間」

「そうだな」

「また来週。感想聞かせて」


 読んだ感想は必ず伝えると俺が請け合うと、ペテシアは微笑んで静かに退室した。

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