ゲーム疲れにマッサージをして、と言われても

 シェルは俺の人差し指で手早く吸血した後、断りもなくベッドの端に腰かけた。


「おい、祐介。ゲーム持ってきてないのか?」


 話し出したと思ったら、案の定ゲームだった。

 持ってきてないよ、と答えると、露骨に舌打ちする。


「ゲームがなかったら、何してペテシアが来るまで過ごせばいいんだ?」

「俺が知るかよ」


 メリアとパシフィーとは談笑して過ごしたけど、シェルとはゲーム以外の話を振っても会話が続きそうにないな。

 どんな話題を持ち出そうかと思案していると、シェルが退屈そうに身体をベッドに大の字で寝転がった。


「暇だ」

「メリアとパシフィーは自分の好きなことについて話をしてくれたよ。シェルには好きなこととかないのか?」

「好きなこと? もうわかってるだろ」

「ゲームか?」

「そうだ」


 シェルはが短く答えて、俺との間で会話が途切れた。

 ベッドの上でごろりと身体を半回転させて、検分するような目をして白いシーツを山みたいに摘まみ上げた。


「このベッドって、弥生さんの時と変えてないんだな」

「母さんも同じベッド使ってたのか?」


 自宅ではないとはいえ、俺はベッドまでも受け継いだのか。

 シェルはシーツから手を離すと上半身だけ起き上がらせ、不思議な感慨に浸る俺を真顔で見つめた。


「マッサージしてくれ」


 マッサージ? 突然何を言い出すんだ。


「さっきから会話に何の脈絡もないな」

「吸血の後にいつも弥生さんにはしてもらってたんだぜ。このベッドの上で腰のあたりをグイグイと」


 そう言って、両手の親指を立たせて押し込むような仕草をする。

 マッサージが必要な年齢じゃなかろうに……あっでも吸血鬼なのか。見た目とは裏腹にメリアもパシフィーも百歳超えてるからな。


「シェル。お前は今何歳だ?」

「ふふん。聞いて驚くなよ人間、百十九歳だ」


 何が、訊いて驚くなよ人間、だ。あっそうか、俺人間だ。

 メリアとパシフィーの年齢を聞いていたから驚きもしないのだが、人間ならば驚くべきだったのだろう。


「おー、すごいな」


 俺は平板な声で驚いてみせた。

 シェルはムッとして眉をしかめる。


「なんだその、さも驚いてます、みたいな言い方は」

「正直、メリアとパシフィーよりは若いわけだから驚けない」

「それもそう、だな。まあ私は若いなんて言われても嬉しくないぞ」


 そう言うシェルの口元は微かに緩んでいる。

 人間の俺からすると百歳超えてる時点で、年上も年下も大差ないと思うけどな。


「そんなことより祐介。マッサージだ、マッサージ」


 はぐらかされた子供が無理矢理話を戻すような口調で、シェルはベッドに上半身を倒して俺にマッサージを乞う。


「しないとダメなのか?」

「しろ」


 偉そうに命じて、ベッドの上でうつ伏せになった。

 シェルに吸血された左手指先の血は止まってるから、腕はどうあれマッサージの真似事ぐらいなら出来る。

でもな、面倒……。


「さっさとしろ!」


 焦れた声と同時に、シェルの何も履かない足裏が物凄い速度で迫ってきた。

 足裏を目で捉えたまではいいが、横頬から拳一個分の距離しかなく、気付いた時には躱す暇などない。


 ボゴン!


 硬い骨と硬い骨が衝突し合う音が耳に聞こえた後、頬を蹴りぬかれた俺は、ベッド沿いの床に横になって盛大に倒れる。

 視界の端でダボティーの中で水色の下着が覗いたのは、気のせいだろうか。


「いてえな!」

 起き上がって叫んだ俺に、シェルは露骨にむくれる。


「マッサージぐらいできるだろ。私は座ってゲーム三昧だから腰が痛いんだ」

「それならゲーム控えればいいだろ」

「嫌じゃ。ゲームをしていないと暇すぎて死ぬ」

「退屈が理由で死ぬ吸血鬼なんて見たことねえよ」


 そもそも普通の人は吸血鬼自体を見たことないけどな。

 マッサージしてやるから少し静かにしてくれ、と言って頼むと、シェルは途端に大人しくなった。

 どれだけマッサージして欲しかったんだよ。


「それで、腰の辺りを解せばいいのか」

「うむ」


 シェルは大儀そうに頷く。

 ペテシアが来るまではまだ時間があるから、急いでやることもないだろう。

 両手の指関節を曲げて多少でも柔らかくしてから、目の前にある細腰の骨の上ぐらいの場所に手を置く。


「何をしておる。服越しではないか」

「そりゃそうだろ」


 時折、疲れた両親にマッサージをしてあげていたが、その時も服の上から指を押し当てていた。


「服越しでは刺激が弱い。捲れ」


 はあ?

 シャツを一枚捲くったら、生肌じゃないか。

 しかもボトムは何も履いていないから、下着を直視することになってしまう。

 シェルは外見では女子中学生と変わらないが、絵面的にはマズイ気がする。


「まだか、マッサージするだけなのによ」


 こちらの道徳的な葛藤は露知らない口ぶりで急かしてくる。


「わかったよ。やるよ」


 ええい、恥ずかしがることはないんだ。やれと頼まれたことをしてやるだけだ、つまりは依頼なんだ。

 脳に依頼だと思い込ませて、シャツを脇腹の下ぐらいまで捲った。

 腰から臀部にかけて覆う色気のない水色の下着が露になる。

 どうってことないじゃないか。119歳の吸血鬼とはいえ、所詮は女子中学生と変わらない体型。

 先程までの葛藤が馬鹿らしく感じてきた。

 自然と恥ずかしさが萎んでいき、躊躇いもなく腰骨と背骨の間に掌を載せる。

 …………柔らかい。

 華奢で骨張っていると思っていたが、指で押すと僅かに指が肌に食い込み、何とも言えない感触だ。


「グイグイと親指で押せ」


 シェルの声が手法を指示する。

 論評してる場合じゃない、これはマッサージだ。

 猫の手を作って支えにし、円を描くように親指で指圧する。


「アッ、ア。そ、そこじゃない」


 痛がるように少し首をのけ反らしたシェルの喘ぎ声に、俺は思わず手指を強張らせたままマッサージを止めた。


「す、すまん」

「もうちっと下だ。変なとこ押すでない!」

「どこだ、ここか」


 滑らか肌の上で掌を滑らせ、下着と腰骨の境目ぐらいに定める。


「うむ。おそらくそこだ」

「おそらく、ってはっきりしてくれ」


 腰回りの柔肌を触らされているこっちの気持ち良……気持ちも知ってほしい。


「とりあえず押せ」

「ア、アアッ」


 再び、親指で指圧。

 アアッ、と今度は心地よさげな喘ぎを漏らす。

 いかがわしい感じがいや増すから喘ぐな。


「そこだ、そこ。筋肉がほぐれるようだぞ」

「指が疲れた。もう充分だろ?」

「うむ、仕方ない。今回はこれぐらいにしておく」


 俺がマッサージの手を退けると、シェルはうつ伏せの状態から両腕をつくと、おもむろに上半身を起こしてベッドの端に腰掛け直した。

 横目で俺を見る。


「感謝するぞ、祐介」

「そりゃどうも」


 指先に柔肌の感触が残っていて妙な気分だが、それを悟られないよう俺は素っ気なく言葉を返した。


「来週はもっと長い時間頼むぞ」

「わかった」


 なんで俺、あっさりと承諾してんだろうな。

 自身の返事に内心首を傾げていると、シェルがベッドから腰を浮かした。


「ゲームの続きをするから、私は部屋に戻るぞ」


 そう言うと、軽い足取りで退出していった。

 足取りが軽いのはマッサージのおかげかもしれない。

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