連絡先一人だけかよ
案内してくれたパシフィーがお風呂と呼んでいたのはなんと大浴場で、俺一人で入浴するにはもったいない広さだった。
ついつい銭湯に来た気分で寛いでしまい、持参したジャージに着替えている時には、すでに午後九時を回っていた。
その後あてがわれた部屋でメリアの吸血を終えて、俺はベッドにもたれて左首筋の傷をタオルで押さえている。
吸血の直後はもちろん身体の中の血量が減っているので、連続で吸血を行えば俺は死に至りかねない。
吸血鬼の四人はそのことを弁えているのか、吸血を行った後は必ず三十分の休憩するように俺に厳命している。
「具合はどう。血を吸われて気持ち悪くなってない?」
メリアが俺の隣に腰を降ろして、気遣う口調で言った。
「先週よりは楽だな」
俺は率直に答えた。
初めてメリアから吸血された先週は、体調不良が次の日にまで尾を引いたからな。相当の量を吸われたんだろう。
「楽なんだ。ならもうちょっと吸ってもよかったわね」
「やめてくれ。先週と比べて楽なだけで、吸血自体ちっとも楽なわけじゃないからな」
ここで本音を言っておかないと、来週には吸血量を増やされかねない。
ようは楽じゃないのね、とメリアが不満そうに冷めた表情になり、俺から部屋の壁へ顔を向けた。
会話が途絶えて、俺はちらとメリアの横顔を見る。
見た目だけでは人間の女子とそう変わらないな。
アニメや漫画だと、吸血鬼はよく不老不死だと設定されているけど、メリアは何歳なんだろうか?
外見だけならば女子高生にいてもおかしくない。
「なあ、メリア。聞きたいことがあるんだ」
俺は失礼を承知で尋ねる。
壁から顔を振り向けると、メリアは何? という目で見返してくる。
「答えたくないなら答えなくていいんだが、何歳なんだ?」
「え? あんた自分の年齢忘れたの。痴呆じゃないんだから」
「自分の年齢はさすがに忘れてねえよ。聞きたいのはお前の年齢だ」
ボケなのか本気で言ってるのか定かでないが、問答のステップを一工程増やすな。
「そんなこと聞いてどうするの?」
「気になっただけだ。見た目では俺と差がないように見えるからな」
「つまりは若くて可愛いってこと?」
口元にあからさまな喜色を滲ませて訊いてくる。
俺は一言も若いとか可愛いとか口にしていないのだが、メリアの整った目鼻立ちを前にすると、正直に可愛いと思う。
とはいえ、俺の方からはっきりと認めるのは恥ずかしいので、可愛いと答えるのは避けておこう。
「若いとか可愛いとかはさておき、何歳なんだよ?」
メリアは明るく微笑む。
「十七歳……」
十七歳となれば俺と同い年か。
だがメリアの表情に一瞬で陰が走る。
「になりたい百三十五歳」
百三十五歳となれば、俺との差は、えーと。
「百三十五から十七引いたら、百十八か。俺より百十八年も多く生きてるのか」
「律儀に計算しなくていいわよ!」
目を三角にして怒鳴られた。
百十八年前ってことはおそらく明治時代だろう。その頃は同い年だったんだな、
とか言うと多分また怒られるので言わない。
「それにしても百三十五歳には見えないな。やっぱり吸血鬼って歳をとっても老いがないのか?」
「まあ、たしかに老いを感じないわね」
そうなるとアニメや漫画の設定はあながち間違いではなかったんだ。
フィクションだと侮るべからず、と急にフィクションの歴史を築いてきた製作者の方々に畏敬を覚える。
「でも老いないっていうのも考え物よ」
「どういうことだ?」
いつまでも若くいられるなんて、世の女性からしたら嬉しい限りだぞ。
「老いないってことは、老衰で死ねないってことなの」
「それもどこが考え物なんだ?」
「同じ見た目のまま長く生きても、つまんないじゃない」
変わらずに長く生きてもつまんない、か。
人間には理解できない心理だ。135年も生きることができないので、メリアの言うことに、俺は否定も肯定もできない。
答えのない問いについて考えていても、少し小難しいので話を変えよう。
「吸血鬼が老いないっていうのは分かったが、どうして17歳になりたいんだ?」
明確に17歳というからには、何か訳があるはず。
「理由? ピッチピッチの女子高生になってみたいから」
満面の笑みで答えた。
一瞬、訊き返そうかと思った。
メリアは女子高生になってみたい、と紛れもなく打ち明けた。それも単なる女子高生ではなくピッチピッチの。そもそもピッチピッチがどんな状態かも知らない。
「流行りのグッズを買うとか、友達とショッピングとか、SNSでやり取りとか。どれも楽しそうじゃない」
身の内から零れ出ているような笑顔でメリアは言い巻く。
「どれもやりたいならやればいいじゃないか」
俺がそう返すと、メリアの顔から笑顔が消えて苦みが走る。
「やれるならとっくの前からやってるわよ。やれないからやりたいのよ」
「そうか」
存在を知られてはならない吸血鬼だから。
流行りのグッズを買うにも、ショッピングをするにも、街へ出なければならない。SNSでもこのご時世、どこから足がつくかわからない。
俺が肩代わりできることならいいのだが、メリアの望みはそうもいかない。
「でもいいのよ、これだけは持たせてもらったから」
メリアは笑みを顔に戻すと、服のポケットから四角い何かを取り出す。
取り出されて手に握られていたのは、スマートフォン。
「弥生さんがあたしに買ってくれたのよ。ネットショッピングもSNSも出来ないけど、メールだけは許可してくれたの」
そう言って、画面を見せてくる。
画面にはメール相手の連絡先が載っているが、そこには母の名前しかない。
「母さんだけじゃねえか」
「しょうがないでしょ。どこからあたし達の正体がバレるかわかんないだから。迂闊に他人とメール交換なんてできないわよ」
見たまんま言うと、不服そうに唇を尖らせて怒られた。
しかし、ふと何を感じたのか表情を曇らせる。
「そういえば、もう弥生さんとメールできないんだった」
唯一のメール相手である俺の母がいなくなれば、メリアとスマホで繋がる相手は誰一人としていない。
悲しみが伝染したように、俺の心も痛んだ。
血盟者であった母だけが、メリアが安心してメールできる相手であり……待てよ?
ふと、思いつく。
メリアが吸血鬼だと知っている俺ならば、メール相手になれるんじゃないか?
「なあ、メリア?」
スマホの画面に目を落としていたメリアが、僅かに顔を上げて俺を見る。
その赤い瞳は繋がりを失った寂しさを湛えているような気がした。
「お前が構わないなら、俺と連絡先を交換しないか?」
「あんたと?」
メリアが驚いたように目を見開いた。
「ダメか?」
「……別にいいけど」
仕方ないと言いたげだが、口元が微かに緩んでいる。
俺はリュックからスマホを取り出す。
互いに連絡先を教え合い登録が完了した。
メリアがおずおずと確かめたそうな目で、俺の顔を見つめてくる。
「試しにメール送ってもいい?」
「ああ」
交換できた確認のメールに許可はいらない気がするが、メリアは急にメール相手になった俺との距離感に戸惑っているのかもしれない。
「じゃあ送るよ」
わざわざ宣言してから、メリアがスマホに指を這わせようとした時、突然に部屋のドアが外からノックされた。
「祐介さん、リアちゃん、そろそろ時間ですよー」
ドアの外からパシフィーの声が聞こえた。
メリアはびくりと手を止めて、慌ててスマホから指を離してズボンのポケットに戻
すと、キッと目を細めて睨み上げてくる。
「連絡先交換しただけで舞い上がって、デートの誘いとか、恋愛交際を求めたり、しないでよ」
「しねえよ。というかそんな具体的な発想よく出てきたな……」
加えて、そんなメール送りたいのはお前の方なんじゃないのか、と茶化したら、鋭利な牙で血を全部吸い取られそうなので言わない。
出血が致死量を超えたら、建物内にいるのが全員吸血鬼だから、俺が助かる見込みはないしな。
「それじゃ、あたし部屋に帰るから」
俺に釘を刺したメリアはそう言って立ち上がると、ドアに歩み寄りパシフィーと入れ替わりに部屋を出ていった。
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