最後のお願い

「あたしが最初に見つけたのよ。一番の権利ぐらいくれたっていいじゃない」

「抵抗されて逃げられたにしては随分と欲張るんですね。邪魔さえ入らなければ私が一番だったのに」

「人の事言えないだろ。部屋に二人きりだと油断してるのが悪いんだ」

「テレビゲームで注意を引いたつもりになるのは詰めが甘過ぎ。睡眠薬で動けない身体にしてから……」

「あんたの場合は行為に入るまでが長いのよ。だから寸前で私達に阻止されたんじゃないの」

「だからってメリアは焦り過ぎだろ。警戒心も解かずに攻めれば、激しく抵抗されて当たり前だ」

「私みたいにベッドの上ならまだしも、床で直接なんてリアちゃんは性急だわ」

「うっさい。早く終わらせたかったのよ。喉カラカラなんだから」

「ベッドの上もどうかと思う。すごい破廉恥」


 わちゃわちゃと舌を戦わせている数人の声が、眠りの深みから浮き上がってきた俺の聴覚に届いてくる。

 声の数から察するに四人いるようで、その声が四人ともに微かに聞き覚えがあった。


 恐る恐る瞼を開ける。

 またしても目の前は暗闇が満たしていて、暗赤色、琥珀色、銀鼠色、紺色の四対の瞳が宙目に入る。

 瞬間、全身に怖気が走った。四人とも襲ってきた奴らだ。各々に手段は違ったが、言い争いの内容からしても間違いない。

 

 逃げなくては。

 慌てて自身の状況を確認する。

 背中を硬い壁のようなものに凭れかけていて、右脚を床に伸ばしている。

 幸い、四人は言い争いに夢中で目はこちらに向いていない。


 今なら上手くいけば。

 伸ばしていた右脚を立たせて両手を床につきそっと腰を上げ、

 チラリ。

 暗赤色の瞳がこちらに向き、ピタリと据えられた。

 逃げるなんて、無理だ。

 上げようとしていた腰から力が抜ける。


「なんで泣いてるのよ?」


 俺を見る暗赤色の瞳が不思議そうに細められ、気づかわしげな口調で問いかけてきた。


 泣いてる? 誰が?

 頭の中に疑問符が浮かぶ。

 暗赤色の瞳の女の声で俺が目覚めたことに気づいたように、他の三人も光る瞳を注いできた。

 質問の向けた相手が誰なのかはわからないが、針の筵だ。


「悲しい夢でも見てたんですか」

「気持ちはわかる。事情が事情だしな」

「辛いと泣けてくるのは当然」


 三人の瞳が慰めを湛えている、ような気がした。

 暗赤色の瞳が屈むように急接近し、息が掛かりそうなぐらいの距離で俺の顔を覗き込んでくる。


「さっきは脅かすようなことして、ごめん」


 俺に据えられている他の三人の瞳も申し訳なさそうに向けられている。

 どうして俺は謝られているんだ?

 勝手に襲ってきて、勝手に詫びて、状況がさっぱりだ。


「今明るくするから、ちょっと待ってて」


 暗赤色の瞳の女はそう言うと、俺の右方にあると思しき壁に手をついた。

 しばらくして、視界の上の方で淡く白い光が瞬いた。

 次の瞬間、弱く白い光が降り注ぎ、周辺を広域に照らすと、若干に明るくなった室内で、四人の輪郭が明瞭になる。

 亜麻髪が目を伏せて、おもむろに口を開いた。


「松尾祐介さん。あなたのお母さん、松尾弥生さんのことについては私達も悲しいです」


 どうして俺の名前を。それに加え何故母の名前と死んだことまで知っている?  この四人は一体、何者なんだ。


「押し倒したりして脅かしたことは謝ります。でも私達にも事情がありますから」


 痛ましそうな目を上げて俺に注ぎつつも、弁解するように付け足した。

 事情とはなんだろうか。俺を襲わなければならない事情?

 母の死のことを知っていて、かつ、俺を標的にしている。

 母を亡き者にしたという身元不明の暴漢、それにしては四人とも暴漢という雰囲気ではないし、そもそも罪のない母を殺すような暴漢が、息子である俺に謝罪の気持ちを持つとは思えない。

 では四人は、母の何なのだろか?


「祐介さんは驚いてますでしょう? 私達がどうしてあなたのお母さんのことを知っているのか」 


 図星だ。俺の懐疑心は見抜かれている。

 驚きを顔に出したつもりはなかったが、案外顔に出ているのかもしれない。

 今の四人からは狂気を感じない。思い切って問いを口にしてみる。


「ああ、驚いてる。単刀直入に訊かせてくれ、お前たちは俺の母の何なんだ?」


 四人の瞳以外の全貌が見えているからか、自然と怯えはなかった。

 もしこれで彼女たちの目的が俺を殺すことなら、逃げるなり闘うなり死力で抗ってみせる。違うのなら……どうすればいいのだろう?

 一呼吸、二呼吸、と間を置いて、亜麻髪は唇を開いた。


「盟約者。それも庇護されている側の」


 盟約者? 庇護? 訳がわからない。

 どうして母が彼女たちと盟約しているのか、俺を襲うような彼女たちの方が庇護される側なのか。


「全くもって、訳が分からない」


 俺は知らない恥も感じず正直に言った。

 無言だった紺色髪が眉根をひそめる。


「話すと長い。理解してほしい」


 いきなり喋ったと思ったら、中々に厳しいこと言われたんだけど。

 盟約とか、庇護とか、日常生活で使う機会少ない単語だろ。事情も知らない俺が、どう理解しろって言うんだ。

 俺が戸惑っていると、赤髪がショートカットの髪を揺らして、心底困ったように肩をすくめた。


「ほんとに何も聞かされてないみたいね。このままだと話が進まないんだけど、どうしよう?」


 そう言って他の三人に目配せする。

 まるで話が進まない原因が俺にあるみたいじゃないか。いや……実際、俺に原因があるのか?


「なあ、こういう場合はあれしかないだろ?」


 置いていかれた気分になる俺を、ほんとうにさて置いて、銀鼠色の髪の少女が決まりきったことを告げるような顔で赤髪、紺色髪、亜麻髪に提案する。

 四人の中で何かが決議したのだろう。四人は動き出して互いに身体を向け合うと、四人で囲いを形成する。

 そして、四人が四人とも真剣な顔つきで囲いの中心に片手を突き出す。

 このような陣形、学校生活で見たこともある。おそらく――。


「「「「じゃーん、けーん……」」」」

 ぽーん。

 じゃんけんだった。

 赤髪がグー、亜麻髪がパー、銀鼠髪がパー、紺色髪がパー。

 よって赤髪の女が単独で負けとなる。


「う、うぅぅぅぅぅ!」


 言い訳できない負けを前に、奥歯を噛みしめるようにして赤髪は言葉にならない呻き声を発した。

 何故だか俺にはわからないが、相当に悔しいらしい。

 じゃんけんに勝利した三人が、それぞれに度合いはまちまちだが勝ち誇った表情して、さあさあと赤髪に促す目を送っている。

 渋々といった顔で赤髪は俺に振り向く。


「一度だけ説明してあげるから、きちんと見てなさいよ」

「あ、ああ」


 当惑気味に俺は頷いた。

 赤髪が至極真面目な顔つきになる。


「あたしを含む四人は吸血鬼なの」


 そういえば、紺色髪が三人は吸血鬼だと言っていたな。

 宝くじに当選したことを二度告げ知らされたかのような、不思議な驚き。

 現実感がないはずなのに、違う人物から二度目を聞かされると、何故だか現実感が増してくる。

 信用するか否かの天秤をかけていると、赤髪は頑な目をして睨んでくる。


「どうせ信じてないんでしょう?」

「完全に信じろと言われても」

「わかった。じゃあ証拠を見せてあげる」


 そう言って身を翻した。

 しばし無言で背を向けていたが、くるりと首だけでこちらを振り返る。

 振り返った顔は心なしか赤らんでいる。


「今回だけだからね。もう一回見せろって言われても、絶対に見せないから」

「何を見せるのか知らないが、説明は一回で事足りる」

「そう」


 俺の返事に納得したのか、赤髪は顔を前に戻す。

 そしてシャツの裾を掴んで捲り上げた――ってええ!

 腰から肩へ美麗で緩やかな曲線を描いた背中が露になる。

 俺は咄嗟に片手の甲を顔の前に翳して視界を遮った。


「翼があるでしょ?」


 赤髪が恥ずかしさを無理に抑えた声で訊いてくる。

 指の間を微かに開き、彼女の背中を覗き見た。

 ピンク地のレース飾りがついた色っぽいブラジャー、それはどうでもよくて、肩甲骨辺りから濡れ羽色で鋸状の小さな翼が生えている。

 本物なのだろうか、と確かめたい衝動で思わず翼に手を伸ばす。

 翼の先を摘まんだ瞬間、赤髪の背中全体がピクリと強張った。


「あん、やめて、触らないで」


 くすぐったそうに身を捻り、気弱な声を出して俺を振り返る。

 照れくさくなって俺の方から手を離すと、赤髪の背中が安堵したように強張りをなくしてた。 


「触っていいなんて言ってないんだけど?」


 涙目ながらも非難する眼差しで睨みつけてきた。

 反応を見た限り、翼は作り物ではなさそうだ。ならば本物の翼なのか!


「……」

「まだ信じてない?」


 呆然とする俺に、赤髪が億劫そうに目を細める。


「こっちからすると、あんたには信じてもらわないと困るんだけど?」

「信じようとは思ってるんだけど、現実感に欠けるんだよな」

「ならこっちも手があるわ」


 赤髪はそう言うと一歩だけ後退る。


「今からあたしがやることをよーく見てなさいよ」


 服を捲り上げたままの背中をこちらに向けたまま、軽くジャンプした。

 すぐに両足が床につくのかと思いきや、翼が蠕動して赤髪の身体がグンと浮きあがる。

 と、と、飛んだ!

 赤髪は俺の頭の高さぐらいで上昇を止めると、首を俺の方に巡らせる。

 赤髪は自慢の芸を成功させたように得意げに笑った。笑った口の端から鋭い牙が微かに覗く。


「この通り、飛べるわけ。いかにも吸血鬼って感じでしょ?」


 空中へ目を凝らしてみるが、赤髪の身体からはワイヤーなどが伸びている気配はない。

 となると、ほんとうに翼で飛んでいるのだろう。


「祐介さん、私達のことを信じてください」


 宙に悠然と浮かぶ赤髪の姿に呆気にとられていると、亜麻髪が柔らかな声音で話しかけてきた。

 亜麻髪に視線を遣ると、彼女の目は縋るように俺を捉えていた。

 彼女の隣に立つ銀鼠色と紺色の髪の二人の目にも、亜麻髪と同様の感情が籠らせて俺を見つめている。

 そういう目をされると拒絶しづらいではないか。


「……信じるよ」


 俺は気が咎めて、そう答える。

 だけど、信じたところで……


「だとして、俺が君たちのことを吸血鬼だと信じて何があるんだ?」


 俺に吸血鬼であることを信じてもらう必要がある理由が、彼女達には存在するはずだ。

 理由もなく、信じてとは言わないだろう。

 俺の問いに三人は恥ずかしそうに目を伏せた。

 その時、俺の横でふいに着地する足音が聞こえた。

 足音の方に振り向くと、服の裾を元の位置に下ろした赤髪が、そんなこともわからないのと言いたげな顔で腰に手を当てていた。


「あんたはあたし達を吸血鬼だと信じたんでしょ?」

「そうだな」

「じゃあ、吸血鬼が求めるものは何?」

「血か」

「その通り」


 その通り、じゃねぇよ。

 誰が好きこのんで、吸血鬼に血を吸わせてやるんだよ。というか相手が吸血鬼じゃなくても血は吸われたくない。


「吸わせる気がないならそれでもいいけど、こっちは無理矢理にでも吸いに行くだけだから」


 俺は露骨に拒否感を顔に浮かべていたのだろう、赤髪の瞳が俺に狂気を孕んで光る。


「あんただって勝手に血を吸われるのは嫌でしょ」

「そりゃ嫌だよ」


 断固として拒否した。

 申し出に応じない俺に、赤髪は瞳の狂気を消して、根負けしたように溜息を吐く。


「仕方ないわね。最終手段使うしかないわね」

「最終手段?」


 力づくで何か仕掛けてくるのではないか? 俺は身構える。

 だが俺の緊張とは裏腹に、フレアスカートのポケットに手をいれると、中から折り畳まれた白い手紙を取り出す。

 手紙を摘まみ持つと、俺に差し出してくる。


「なんだよ、それ?」

「あんたのお母さんからよ。この中に大体のことは書いてある」

「なんでお前が母さんの手紙を持ってるんだよ?」

「いいから読んで」


 有無を言わさぬ口調で、手紙を胸に押し付けてきた。

 母が直接渡してくれなかった不満はあったが、赤髪の言葉を信じることにして手紙受け取る。

 手紙を開くと、間違いなく母の筆跡でしたためられた文章が流麗に綴られていた。



祐介へ


この手紙を祐介が読んでいるということは、お母さんはもうこの世にはいなくて、遺言に同封してあった地図を頼りに相続した土地に居ることと思います。

 その土地はお母さんのお祖父ちゃん代から受け継いできた大事な土地です。ここまでは祐介も驚かないと思う。

 でも本当に祐介に大事にしてほしいのは、その土地に住んでる四人の吸血鬼。

 四人は吸血鬼の生き残りで、その土地でずっと匿っていて、一週間に一度訪れていたの。土曜日の夜にいつも出掛けてたでしょ。

 祐介には仕事って言ってたけど、ほんとうは四人と過ごしてたのよ。一か月以上も血を飲んでないと四人は飢えて死んじゃうから、お母さんが血を吸わせてたの。

 でもお母さんがいなくなったら、四人は血を吸えなくなって苦しむことになる。かといって吸血鬼である四人の存在を他人に知られるわけにもいかない。

 だから四人を助けられるのは、誰よりも信頼出来る愛しい息子の祐介だけ。

 血を吸われるのには抵抗あると思うけど、お母さんから最後のお願い。

 四人と血盟を結んで力になってあげて。


                   母より


 母の事を思い出す。

 そういえば土曜日の夜勤は、いつも楽しそうに出掛けていた。

 それだけ母にとって四人は大切な……何かなんだろう。


「また泣いてるのね」


 赤髪が俺の顔を見て、慰めのトーンで言った。

 俺は涙を隠すように目元を袖で拭ってから、手紙を畳み直して返す。


「母が嘘をつくとは思えない」

「それじゃあたし達に血を……」

「でもその前に」


 俺は手紙の最後の文章を指さす。


「この血盟を結ぶっていうのは?」

「字の通り、血の盟約よ」

「意味を訊いてるんじゃなくてだな。具体的に何をするのか知りたいんだよ」

「その質問には私が答えます」


 亜麻髪はすっと手を挙げると、しかつめらしい顔で俺の前に立つ。


「吸血鬼は人間の血を吸います」

「そうだな」

「吸血鬼が人間の血を吸うことで血盟は結ばれるんです」

「血盟を結んだらどうなるんだ?」

「ええと、それは……」


 俺の問いに亜麻髪は急に言葉に詰まる。


「祐介さん側に全く利点がないわけではないんですけど……血盟を結ぶと私達が元気になります」


 少し言葉を濁すようにして答える。

 四人としても俺には伏せておきたい事柄なのかもしれない。問題がないのなら無理に声以上の詮索する必要はないだろう。


「それじゃ仮に血盟を結んだとして、俺はどうすればいいんだ?」

「祐介さんは一週間に一度ここに来て、私達に血を吸わせてくれればいいんです」

「一週間に一度か。それなら通えないことはないけど、今いるここって具体的にどこなんだ?」

「弥生さんから聞いてませんか?」

「母さんからは手書きの地図しか」

「多分地図に書いてあった目的地が今いる建物です」


 俺は赤髪から襲われるより前の記憶を思い返す。

 丸柱で支えられた屋根のあるポーチと、ポーチの屋根にはネオン電飾の文字。

 スマホの電灯だけの頼りない視界だったが、この二つははっきりと脳裏に残っている。


「丸い柱のポーチにネオン電飾があった建物か?」

「そうです」


 確かめる俺に亜麻髪は肯定する。


「四人はこの建物に住んでるのか?」


 吸血鬼の四人全員に目を向けて尋ねた。

 四人は一様に頷く。

 となると、ここは自宅から通えない距離ではない。


「お願いします祐介さん。私達と血盟を結んでください」


 亜麻髪が懇願する。

 赤髪、紺髪、銀鼠髪の三人も、亜麻髪と同じ意味合いの目で俺を見つめていた。

 母が四人のために俺にここを訪ねるよう遺言していた、そんな気がしてくる。

 ならば四人の頼みを呑むことこそ、母への孝行ではないか。

 わからないことは幾つかあるが、それらは追々訊くとして、今は四人の力になろう。


「わかった。血盟を結ぶよ」


 俺が承諾することに告げると、四人の顔が一斉に安堵したように綻んだ。


「ありがとうございます、祐介さん」

「ありがと」

「おかげで餓死しなくてすむぜ」

「助かる」


 今の四人からは一片の狂気も感じられず、学校の女子とそう違いはないように思えた。

 これからは俺が、母に代わって夜勤を務めることになるのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る