寂しくなんかない
「母さん。今週の土曜も仕事か?」
夕食の済んだ午後七時頃。沓脱の天井から降るオレンジ色の照明の下で、俺は夜勤に出掛けようとするタートルネックの上着を着ている母に尋ねた。
尋ねなくても仕事だと言うのは知っている。しかし、どうして毎週土曜日に必ず夜勤が入っているのか、理由がわからなかった。
「どうしたの唐突に。毎週の事じゃない」
パンプスに足を入れながら、こちらを見ずに母は言った。
「だってさ。月から金まで日勤で土曜日の夜にまで働きに出るなんて、常識で考えたら働き過ぎじゃないか。父さんがいなくなって生活に余裕がないのはわかるけど、身体を壊したら元も子もない」
俺が話してる間にパンプスを履き終えた母は、首だけを回して俺を振り返る。
少し嬉しそうに微笑む。
「優しいのね、祐介」
「そんなんじゃねーよ。ただ不思議に思ってるだけだ」
照れ隠しに俺はそう言い返した。
「仕方ないのよ、頼られちゃってるから。それに夜勤に不慣れな人達だけに任せられないもの」
「周りが母さんに依存してるだけだろ」
「そんな言い方しないの。みんな祐介よりも年上の大人なのよ」
別に悪く言ったつもりはないのだが、頼っているといって体よく母に仕事を押し付けているような気がしている。
そんな俺の心理も母にはお見通しなのだろう、俺を安心させるような明るい笑みを浮かべる。
「お母さんは土曜日の夜勤の方が好きなのよ。仲の良い人ばかりで仕事ができるから、身も心も楽」
「そうか」
母が夜勤を自ら好んでやっているのなら、お節介は必要ないだろう。
納得している俺に、母は何を思ったのか急に真面目な顔つきになる。
「祐介?」
「なんだ?」
「寂しい思いをさせてごめんね」
慈愛の籠った心配げな目をして謝る。
そういう目をさせると、息子としてこそばゆい。
「寂しい思いなんかしてないよ。ゲームでもしてれば、時間なんてあっという間に過ぎる」
「そうよね……」
まだ腑に落ちた様子ではないが、自分に言い聞かせるように母はそう呟いた。
すぐに母は明るい表情に戻る。
「それじゃ、留守番お願いね」
そして身を翻し、玄関のドアを開ける。冬の冷たい風が隙間から入り込んだ。
「留守番は任せろ。そっちこそ怪我するなよ」
軽口のように母の背中へ言葉を返し、見送った。
玄関のドアが閉まると、風がピタリと遮断される。
途端に心の隅に棲んでいる、表す言葉の見つからないモヤモヤとしたものが顔を出す。
でも俺はそのモヤモヤに気が付かないふりをして、玄関に背を向けて二階の一人部屋に足を進ませた。
――――――
――――
――俺は馬鹿だ。
あの時のモヤモヤは、寂しさに違いない。
母の言う通り、俺は寂しかったんだ。
今ならわかる。
母がこの世からいなくなった、今なら。
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