どうして襲われなければならない!3

 廊下を進んだ先は左右に分かれていたが、右方向の廊下の天井下に案内看板が吊り下げられ、左に矢じりを向ける矢印とともに図書室という文字が見えた。


 図書室があるという廊下の左側からは、この建物に連れ込まれてから目にしていなかった煌々とした光が目に入った。


 電柱の光に吸い寄せられる夜光虫になった気分で、俺は強い光の方へ走り出す。


 とりあえず視界の悪くないところへ。

 矢印通りに角を曲がると、ガラス窓を四角にはめ込んだ引き戸があり、ガラス窓の向こう側は明るい。

 安堵で足の力が抜けそうになりながら、俺は戸を滑らせて開け、中に駆けこんだ。

 戸口から室内を見回すと、向かい合った背の高い本棚が三列の奥まった通路を形成しており、左通路は壁際で薄暗く、右通路は明るい読書スペースと隣接している。


 今はとにかく身を隠せるところを確保したい。

 俺は人のいなさそうな薄暗い右の通路に目を向ける。


「なに?」


 そちらへ足を進ませようとした時、ふいに左方から声を掛けられ歩みを止めた。

 振り向くと、シックな色合いのワンピースに身を包んだ紺色の長髪ポニーテールの女性が、単行本を胸に抱えるようにして持って、驚きを浮かべた紺色の瞳で俺を見つめていた。


 室内があまりにも静かなので、まさか利用者がいるなんて思ってもいなかった。というかそもそも図書室というのは私語を慎む場所だった。


 突飛もない理由で室内に入った俺がばつ悪くしていると、女性の瞳から驚きが薄まり次第に怪訝さを帯びる。


「ここに何の用?」

「何の用というか。緊急事態なんだ、少しだけ居させてくれ」


 右も左もわからない薄暗い建物内で、運よく見つけ出した隠れ場所だ。俺はすがるような思いで頼んだ。

 紺色髪は推し量るように見つめてくる。

 しばらくして何かに思い当たったように眉を広げた。


「追われてる?」

「え……」


 状況を示すような物は持っていないはずだが、わかるのか?


「赤髪、金髪、銀髪に襲われそうになって逃げ込んできた、違う?」


 図星だ。俺の置かれている状況を理解されている、どうしてだ?

 疑問に思っている俺を見て、紺色髪は口元を綻ばす。


「何故っていう顔してる」

「はは……」


 完全に見透かされている。

 知られているならいっその事助けを乞うた方がいい……いや、彼女を信じるにはまだ早いか。今まで助けられたと思ってたのが、ことごとく嘘だったからな。


「警戒しなくていい」


 紺色髪が優しい声音で言った。

 懐疑心を撫でられたような気分になる。


「私は人間だから」

「は?」


 人間だから、とはどういう意味だ。

 言い草としては、彼女以外は人間ではない、ということになるぞ。

 そんなことがあり得るのか、もし人間じゃないなら襲ってきた三人はなんだ。


「心配しなくていい。説明する」


 俺は相当に不信げな顔をしているのだろう、紺色髪はそう言って読書スペースの方向を指さす。


「ついてきて」


 単行本を手にしたまま、紺色髪は読書スペースへと歩き出した。

 やむを得ず彼女の事を信じることにして、俺は後に着いていく。

 スペースの右隅のテーブルのところまで来て、紺色髪は足を止めた。


「そっちの椅子」


 静かな声で俺の席を指定すると、その向かいの椅子に静々と腰かけた。

 大人しく俺も指定された席に座る。

 俺の顔を見つめて、紺色髪は口を開く。


「まず一つ、あなたに訊く」

「なんだ?」

「あなたがここに来た理由を教えて?」

「さっきお前が言い当てた通りだ」

「図書室にじゃない、この土地に来た理由」


 この土地、とはそこら中が薄暗いこの建物のことだろう。

 ホテルの入り口らしきものを見つけてから、知らないうちにこの建物内にいた。

 なので理由を問われても困る。


「そうだな。答えるなら、いつの間にか連れ込まれてた」

「弥生さんからは何も聞いてない?」


 弥生さんだと。弥生は母の名前だ。なぜ今、母のことが出てくるんだ?


「母さんと何か関係があるのか?」


 俺は身を乗り出して、紺色髪に詰め寄った。

 息子である俺の知らないことをこの紺色髪は知っているのか?

 紺色髪は神妙な顔つきになる。


「あたしはあなたの母親からこの土地の管理を任されていて、あたしの仕事はここに住む吸血鬼が外へ出ないよう見張ること」

「吸血鬼?」


 低俗なファンタジー世界じゃあるまいし、吸血鬼などという殺伐とした怪物が存在するわけがない。


「母から土地の管理を任されていた、というところまではいい。でも吸血鬼なんて趣味の悪い嘘はやめてくれ」

「信じられないと思う。でもほんと」

「まさか」


 俺に話す彼女の表情は切実だ。それだけに俺も無理矢理に話を終わらせようと気は起きなかった。それでも信用は出来ない。


「あなたを襲った三人は部屋を暗くしてたはず、どう?」

「確かに暗かったが、それだけで吸血鬼とは言えないだろ?」


 明るいのが苦手とか、人を強襲するのに有利だとか、そんな理由も考えられる。吸血鬼と断定できる根拠ではない。


「それに牙が生えてたはず」

「牙か。それらしき物は見た」


 しかし牙だって、付け歯の要領で自由に取り付けられそうだ。

 根拠としてはまだ弱い。


「ほんとのことを話してくれないか?」


 俺は業を煮やして、紺色髪が母と関係があることだけは確信が持ちつつも、真実を話すよう促した。

 彼女の口から明るい声でさっきまでの話が嘘だと告げられるのを期待したが、彼女は予想外にも残念そうに俯いた。


「全部、ほんとの事」

「……」


 俺は返事に窮した。

 彼女がなおも嘘をついているようには見えない。


「あなたには私の言ってることがホントだと信じてほしい」

「否定する材料がないから、とりあえずは受け入れる。だがどうして俺が襲われるんだ?」


 あの三人が吸血鬼か否かは、今のところ確かめる術がないので措いといて、他の疑問を投げてみる。


「女の吸血鬼は若い男性の血を好むから」

「それだけか?」

「そう」


 彼女の言い方からすると。若い男性の血ならば誰でもいい、と受け取れる。

 吸血鬼は個人として俺ではなく、若い男性という認識で俺を襲ってきているのだろう。となると変装などの小細工は通用しない恐れが高い。


「つまるところ、俺はどうすれば助かるんだ?」


 吸血鬼と初めて対峙した俺よりも、母からこの土地を任されている彼女の方が色々知っているはずだ。

 期待して尋ねた。


「難しくない。朝になるのを待てばいい」

「吸血鬼は朝に弱いのか?」

「太陽の光が苦手だから、陽が出ればほとんど行動しなくなる」


 太陽の光が弱点と言うのは、映画やマンガの世界の吸血鬼ではお決まりだ。

 襲ってきた三人が吸血鬼だとするなら、日の出まで持ちこたえるのが賢い判断なのだろう。

 しかしどこで日の出まで待てばいいんだ。


「図書室にいればいい」


 俺の頭の中を覗いているかのように、紺色髪が呟く。


「図書室なら本があるから時間ならいくらでも潰せる」

「俺がいることが吸血鬼にバレたら、この部屋にまで追ってきやしないか」

「この部屋は明るいから吸血鬼には目が痛い。だから入ってこれない」


 微かに自信が窺える声が返ってきた。

 彼女が言うんだから、そうなんだろう。

 頼る当てのない今は、彼女の言うことに従うことにしよう。


「それじゃお言葉に甘えて、ここで待機させてもらうよ」

「それがいい」


 紺色髪は賛同したように頷いた。

 これで朝日が昇るまでの間は、この図書室に留まることができる。

 ただ当面の質問が無くなった途端に、彼女との会話が絶えてしまった。


「何か飲む?」


 沈黙を破って、紺色髪は脈絡もなく訊いてきた。

 真っすぐ俺を見る紺色髪の瞳には、気遣いの情が感じられる。


「コーヒーならある」

「気を遣わなくていいよ。勝手に入ってきたの俺だから」


 むしろ匿ってもらっている俺の方が彼女を気遣うべきだろう。


「飲めない?」

「そんなことはないけど」

「なら淹れるだけ淹れる。ついでだから」


 ついでだったのか。

 紺色髪は席から立ちあがりクリップボードの貸出表などが置いてあるカウンターまで行くと、カウンターの後ろになるドアを開けて入っていった。

 数分ぐらい要するかと思ったが、ものの一分もせずにアイスコーヒーの入ったグラスを両手に持って出てきた。

 この時期に冷たい方かよ。

 俺のところまで運んできて、テーブルに置く。


「ありがと」

「飲んでみて」


 お願いするような目をして見つめてくる。

 そこまで言われては飲むしかあるまい。


「いただきます」


 グラスを手に取り、一口含ませる。

 自分の気づかないうちに嗄らしていた喉が、心地よく冷やされて潤う。


「うん、美味しい」

「口に合ったならよかった」


 俺の短い感想に、紺色髪は安心したように微かに口元を緩ませた。

 もう一口飲んでいる間に、彼女は向かいの席に座り直す。


「おかわりが欲しくなったら言って。淹れてくる」


 そう言ってから、左横にある本棚に顔を向けた。


「本を読むのは好き?」


 唐突だなぁ。


「俺は好きでも嫌いでもないな。そっちは図書室にいるぐらいだから、やっぱり読書は好きなんだろ?」


 本棚を見たまま紺色髪は頷く。


「おすすめの本とか、あるか?」

「たくさんあるから決められない」

「そうか」


 本を話題にすれば彼女との会話も続けやすいだろうと思ったのだが、決められないでは困った。

 仕方なく話の種になりそうな本を探して、本の背文字を右隅の上段から読んでいく。

 すると、見たことある文字を見つける。

 ヴァンピーア・ヒストリー。

 その本の両隣には、大解剖という文字が見える。

 たしか、母の部屋にも同じ題名の本があった。


「なあ、あの本ってどんな本だ?」


 見つけた本を指さして尋ねる。

 紺色髪が俺の指を追って、本に目を注ぐ。


「『女体大解剖』は、その名の通り……」

「ちげぇよ。その隣だよ」


 『女体大解剖』なんて学術的だけど卑猥そうな本のことを、本好きとはいえ実際の異性に訊くかよ。

 紺色髪は注いでいる視線を横に本に移動させる。


「『男体大解剖』は、男性の身体について……」

「それもちげぇよ。というかその二冊同じ著者だろ。俺が訊きたいのは二冊の間のやつ」


 何故、男女を大解剖した本で挟んだ。

 苛々と突っ込みをする俺に、紺色髪は問う顔を向けてくる。


「『ヴァンピーア・ヒストリー』のこと?」

「そう……だ」


 歯切れ悪く俺は頷いた。

 何故だか急に瞼が重くなってきて、かろうじて開いている細目で本の説明を始めた紺色髪の横顔を眺める。


「あの本は中世からの吸血鬼の歴史を編纂した解説本」


 どうして母がそんな本を?

 頭に浮かんだ疑問が睡魔で掻き消えそうだ。疑問を口にしようとしても、空を噛むばかりで声が出せない。


「そろそろ?」


 今までとは声質の違う婀娜を含んだ声が、紺色髪の口から聞こえる。

 ぞわりと背筋が凍るような恐怖。

 襲ってきた三人と似た狂気を、鈍くなった脳髄が感じ取った。


「時間は取らせない」

 

 一方的に告げて、身を乗り出してくる。

 またかよ。

 紺色の瞳が好色に光るのを目にして、俺の瞼と意識は落ちた。

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