どうして襲われなければならない!2

「おい」


 耳元で尊大な口調が呼かけてくる。


「聞こえてんなら、目開けろ」


 覚えのある巻き舌の声に、俺ははっとして身を起こした。

俺の右隣で銀鼠色の瞳の少女が、胡坐の上に肘をついて座っている。


「ここはどこだ?」


 気を失っていた俺は少女に尋ねる。

 ついている肘を戻そうともしないまま、面倒そうに口を開く。


「ここはあたしの部屋だ」


 返ってきた言葉に、俺は思わず首を巡らす。

 朝起きた時のままなのだろう乱雑とした白シーツのシングルベッド、テレビ台に載っている大きくも小さくもない液晶テレビと据え置き型のゲーム機。

 私室と化したホテルの宿泊部屋みたいな印象だ。


 それでもさっきまで居た部屋のような薄暗さはなく、室内灯にしては若干微弱だが、天井の照明はきちんと点灯していた。

 少しでも部屋に明るさがあるだけで、なぜだかほっとする。


「移動したぐらいで気絶するなよ」


 部屋を見回す俺に、少女は当然のことも出来ないようなトーンでけなしてくる。

 ほとんど人があんな軽業みたいな脱出の仕方やったことないからな。

 少女の方へ向けた顔に奇怪に思っているのが出ていたのだろう、少女が露骨に眉をしかめる。


「あたしを変人みたいを見るような目で見るな」

 見るな、と言われても難しい。窓を蹴破って部屋から脱け出るなんて方法、変な人以外誰がやる。

 俺が向ける目が改めないのを見て、諦めたように少女は溜息をつく。


「まあ、いい。いずれ思い知ることだ」


 やけに勿体ぶった言い方だ。

 俺がどういう意味だ、と視線で尋ねるが、視線の意味に気付いていないのか片方の膝を退屈そうに揺すり始めた。

 膝が揺れるたびにダボティーの裾が微かに捲れて、少女の内腿が露になる。

 ちらりちらりと下着らしきものが覗くのは、あまり健全な気分じゃない。


「おい」


 少女が膝を揺らすのを止めて、俺を見る目に咎めの色を浮かべた。

 ダボティーの裾を掴んで膝の方向へグイと伸ばす。


「あんまり見るな」


 そう言ってほんの少しだけ頬を染めた、気がした。

 俺に落ち度はない。見られるのもやむを得ない恰好をしているのが悪いのだ。好きで見てたわけじゃないしな。

 けどまあ、視線を逸らしておく。


「さすがにズボン履くか」


 自身の恰好そのものに視線の原因があることに気付いた様子で、少女は立ち上がった。

 ついでと言う感じで、テレビ台の方を指さす。


「あそこにあるゲーム、見てていいぞ」


 俺は別段、少女のやるゲームに興味があるわけではない。

 だが少女の方としては沈黙を避けるための話題のつもりなのだろう。

 少女が部屋の隅でズボンを履いている間、ゲーム機に近づき仔細に見させてもらうことにした。

 外見は何の変哲もない最新型のゲーム機だ。特に関心を引くような色合いでも型式でもない。


「ゲームってどんくらいやるんだ?」


 ジーンズ生地のショートパンツを履き終えた少女が、横合いからさっきまでより弾んだ声で訊いてきた。


「暇つぶし程度には。それも友人の付き合いでな」


 俺が答えると、少女はゲーム機を指さす。


「そうなのか。ちょっとプレイしてみろ」


 試すような口ぶりで言い放った。

 予兆もなく謎の少女に連れ去られて、連れ去られた後には少女の部屋でゲームか。


「乗り気でないなら五分でいい。腕前を見たいだけだ」


 言い訳するみたいに少女は五指を広げた掌を向けてくる。

 五分か。それぐらいならさして問題ないだろう。

 五分ぐらいならいいか、と俺はゲーム機の電源ボタンを押し込み、コントローラーを手に取った。

 テレビ画面に数々のゲームアプリが並び、カーソルが中心に出現する。


「何をプレイすればいいんだ」

「一番隅の……それだ」


 少女がそれと呼んで俺にカーソルを止めさせたのは、上から降ってくるパーツを組み合わせて消していくいわゆる落ち物系のゲームで、熱心なゲーマーでない俺でも何度かプレイしたことのある、落ちもの系の中でも有名なタイトルだ。

 少女に教わるでもなく、俺はゲームのメニュー画面まで進める。


「フリープレイでいい。さっさとしろ」


 ずいぶんと偉そうな口調なのが少し気に障る。

 が、まあ俺の方が年上だ。いちいち突っかかることはない。それに金髪の女性から助けてもらった恩も一応はあるしな。

 画面が移り変わり、長方形の入れ物のような囲いが一つ現れる。

 このゲームのフリープレイなるものをやったことはなかったが、相手のプレイングなどを気にせずパズルが組めるらしい。

 一定の間隔で囲いの上から降ってきた様々な形状のパーツを、コツコツと一段ずつ積んでいく。


 時折少女が、普通だな、とか、その棒は退けておいて次のを入れろ、とか俺の腕前を評定したり、頼んでもないのにアドバイスをしてきたりしてきたが、途中で面倒になったのか何も言わなくなった。

 ゲームから流れる音だけが室内に響いている。

 パズルを入れ物の中程ほどまで埋めたところで、突然に少女は俺の背後に移動する。


「こっちは気にするな。そのまま続けてろ」


 なにかゴソゴソやり始めたが、言われた通り気にしないでおこう。

 少女の方を意識の外に置き、俺はゲームに意識を注ぐ。

 アルファベットのIの形をしたパーツを隙間に挿し込んだ途端に、視野のうちにあるゲーム画面以外が急に明るさを失い、周囲が闇に染められた。


 一瞬停電とも思ったが、ゲームの画面だけは光が生きている。

 状況の説明を求めて少女を振り返ろうとした時、背後から両腕が伸びてきて首にゆるりと巻き付いてきた。

 俺は背筋が硬くなる。


「気にするな。ゲームに集中してろ」


 少女の熱い吐息が耳に触れた。

 驚き竦んだ俺の顔と肩口にある不気味に光る少女の銀鼠色の双眸が、暗黒に包まれたテレビ画面に反射して写っている。

 テレビ画面に写る少女は口を開いて鋭牙を覗かせた。


 またか――。

 この少女からも逃げなければ。


 咄嗟に手に握っていたコントローラーの持ち手の先端を掴み、肩口にある少女の顔面を目掛けて打ち込んだ。


「ギャァ」


 コントローラーの先端は鼻頭に直撃し、少女が痛そうな声を発して俺の首に巻き付けていた腕を離した。コントローラーの直撃を喰らった鼻を手で押えて後に倒れる。

 運よく生じた僅かな隙に、俺はテレビの前以外が暗くなった部屋の中で出口を探した。


 あった。

 テレビ画面の微弱な光芒を挟んだ先に、スコープのついたドアがある。


 見間違いなどと考えもせずに、ドアに向かって駆け寄った。

 ノブを掴んで引き開けると、赤髪の女の部屋から逃げ出す際に目にしたのと同じ廊下の壁が目に入る。


 これで部屋から出られる。

 怪奇な少女が俺を逃がすまいと近づいてくる前に、生存本能に駆り立てられて無我夢中で廊下へ飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る