遺してくれた土地に行ってみよう

 中学二年生の夏、父が死んだ。


 現代医療でさえ治癒は不可能な難病に罹ったとか、愛する家族のために身を挺したとか、そんなドラマチックな死に方ではなかった。

 会社から家に帰ってくる途中に、身元不明の暴漢に襲われて死ぬ、という不運だった。


 たまたま通りかかった通行人に発見された時にはこと切れていたらしく、持っていた運転免許証により父だというのはあっさりと判明した。

 父が死んだのはそりゃ悲しかったけど、俺よりも悲しかったのは母だろう。

 母は遺体安置室で父の死体に泣きついていた。

 その母を見て、俺は胸を痛めた。


 以来、母は食い扶持を稼ぐために昔働いていた職場に戻り、父の死で下りた保険金には手をつけずに、俺を大学に行かせてあげるとまで言ってくれた。

 俺も母一人に負担を背負わせるわけにはいかず、複数のバイトなどをして家計を助けたが、高校生のバイト代など雀の涙ほどだったに違いない。


 そうして三年間、母と二人で生活してきた。

 しかし高校二年生になって、九月の文化祭を終え、冬の兆しが段々と忍び寄って来ていた時頃にまたしても悲劇が起こった。


 母が死んだのだ。


 息子の俺に隠していた病気が原因とか、働き疲れて交通事故に遭ったとか、そんなドラマックな死に方ではなかった。

 土曜日に仕事へ出ていった道中に、身元不明の暴漢に襲われて死んだ。

 不思議なことに死体に立ち会った時、母の死に顔はそこまで悲愴ではなく、死を覚悟できていたかのように安らかだった。


 その母の死に顔を見たのが、今から一か月前。

 葬式や保険金の受け取りなど、大よそ死後にやる手続きなどが済み、前みたいな平凡な学校生活に戻り始めていた。

 そして今夜、遺産整理の時に母の部屋から見つかった俺に権利が移る所有地と、理由は知らないが、訪問する際は十九時以降厳守、と書かれている遺書をもとに、俺は相続地へと足を運んだ。


 そこは自宅から自転車で二十分ほどの距離にある土地だ。

 遺書に書いてある土地と道路を挟んで向かいにある公園にロードレーサーを停め、スマホの電灯を片手に道路を渡った。


 しばらく歩くと、スマホの電灯が塀らしきレンガ色の壁に照り返された。

 どうやら、この塀を越えたところに母が残した土地があるらしい。

 塀をよじ登ってしまおうかと考えて、スマホの電灯とともにレンガの塀を見上げる。


 スマホの光が塀の上端に当たった。

 しかし、塀の高さは目測で俺の身長の三倍はある。

 こりゃ、よじ登るのは無理そうだ。

 諦めて入り口を探すため、塀に沿って電灯の光を動かした。

 すると、塀と同じレンガ造りの二本の門柱が目に入る。

 その門柱に光を当てたまま俺は近づいた。


 なんだ、これ?

 そこには、二本の門柱の間に白い塗装のはげた鉄格子があり、俺は格子の全体を見るため数歩だけ距離をとった。

 夜目で確信は持てないが、西洋のようなレンガ造りの二本の豪奢な門柱と、その間で白い塗装のはげた格子門が立ち塞がっている。

 格子門に歩み寄り、スマホの電灯で中を照らして左右に振る。

門の中は丈の低い雑草も混在になった広い芝生が見えるだけだ。

寂しいほど何もない。

 門の様相からして誰も住んでいない豪邸でもあるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


 それでも母が俺に残した土地だ。何もないということは考えられない。奥に行けば何か発見があるかもしれない。

 試しに鉄格子を押してみる。

 キュルッと音を鳴らして、意外にも滑るようにして鉄格子は開いた。

 あまりにも簡単に開いたので、つい拍子抜けする。

 鉄格子を通り、安全のためスマホをしっかりと握り直して俺は芝生を歩み出した。


 時折周囲に電灯を振り向けながら、夜闇の中で芝生の上で歩を進めていると、不意に足の裏に伝わる感触が硬いものに変化した。

 足元に電灯を降ろす。

 すると俺の足下には小さなひび割れから草の生えたコンクリ石畳の地面があった。

 石畳の伸びる奥に何かあるではないかと電灯を前方に向け直す。

 この先に何かがあるのは間違いない。

 そう信じて、俺は歩みを進めた。


 石畳を歩いて程なくすると、電灯の光の輪が二本の柱を捉えた。

 さらに近づいてよく見ると、二本の柱は上に三角の屋根を被せてポーチのようになっていて、正面の屋根の縁には光を失ったネオン電飾が備え付けてある。

 ネオン電飾の文字を見て、俺は首を傾げたくなった。


 ホテル アンパイア。


 どうやらここはホテルの玄関であり、ホテルの名前はアンパイア。

 たしかアンパイアって、野球の審判のことだよな。

 アだけ他の文字より小さいような気もするが、ネオン電飾は光っていないので定かではない。


 ここが本当に、母が俺に残した土地だと言うのか。

 母がホテルを所有しているなんて話、耳にしたこともない。

 他人の土地に入り込んでしまったのではないか、と不安になる。

 ボディバックから遺言と一緒に同封されていた、新聞のチラシの裏に書かれた母の手書きの地図を取り出し、スマホの電灯で紙面を照らす。


 地図には周辺の建物との位置関係が簡易的に写してある。

 ボールペンで公園と記したところから、道を挟んだ長方形の囲いの左端に、ここ矢印付きで書き込まれている。

 この地図に間違いがないのだとすれば、長方形の中の一番奥までいかないと行かないといけないわけだ。


 もっと具体的に書いてくれ、と文句をつけたいが、地図を書いた母はこの世にいない。

 母の事を思い出して寂しさが込み上げてくると同時に、寒さを含んだ夜の風が剥き出しの頬をなぶった。

 急に身体が冷えたように感じ、トレーナーの中で微かに俺は身を震わせる。

 もしかすると、夜間に一人で光のないホテルの前に立っているというこの状況が、肝試しのような雰囲気を出しているのかもしれない。

 そう考え出して、急に目の前のホテルが物騒に思えてきた。

 幽霊でも出そうだな。

 明日の昼に出直そう、と臆病にもホテルに背を向けた。

 その時、ふいに耳元で息遣いを感じた。


「ごめんね」


 すれ違いざまに肩が軽く当たった時のような声が聞こえた後、急に意識がふっ飛んで、目の前が真っ暗になった。

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