終戦と、その後のこと

 秦陽城に立て籠もった梁軍は、連日必死の抵抗を行った。この激しい徹底抗戦によって、タージャン軍は全く突破口を開けずにいた。


 ところがある日の朝、城の周辺から、タージャン兵の姿が消えてしまった。不思議に思った梁兵が城壁の上から周囲を見渡してみると、タージャン軍は包囲陣事態は維持したまま遠くに引き下がっている。


 弩を手にした梁兵は、怪訝な顔をして遠くのタージャン軍を眺めていた。やや梁兵の緊張が緩んできた時のことであった。

 敵陣から、突然何かが飛んできた。それは城壁を飛び越えて、城内に引かれた道路の真ん中に落下し、がしゃんという音とともに割れた。


 瞬間、女の金切声のような強烈な音が、落下地点の周囲に響き渡った。


 それを聞いた兵士や城内の人々に、すぐさま異変が現れた。彼らは各々の手段で、自らの命を絶ち出したのである。ある者は刀を首に押し当て、またある者は柱に頭をうち、またある者は弩を口に咥えて引き金を引いた。

 同様のことは、城内のあらゆる場所で起こった。四方八方から素焼きの鉢が投射され、それが地面に着弾して割れると女の金切声のようなものが響き渡った。そして、それを聞いたものは狂気を発し自殺を図った。兵士のみならず多くの者たちが、様々な手段で自害し果てたのである。


 もう城内は抗戦どころではなかった。目に見えて防衛能力の落ちた秦陽城は、まるでドミノを倒すようにたやすくタージャン軍の手に落ちてしまったのである。総大将の趙舜徳は捕虜となり、その部下たちも隙を見て逃走した者たちを除いて同じく虜囚の身となった。


 アヴドゥルが届けた秘密兵器、それがこの素焼きの植木鉢であった。その中には、あのマンドラゴラが植わっている。秘密兵器というのは、マンドラゴラを植えた植木鉢であったのだ。マンドラゴラの栽培は困難を極めるものであるが、首都では栽培を試みる宮廷医師たちによって、少数ながらマンドラゴラを植栽されている。アラン・マフムードはこのマンドラゴラの植木鉢を本国に発注し送らせたのだ。


 アラン・マフムードは兵を引いた後に大型の投石機を用意させ、これによって植木鉢を城壁内に投射したのであった。肥料を与えられて人工的に育てられたマンドラゴラの根は太く、その発狂音声の効力もより広範囲に及ぼす。効果はてきめん、着弾地点で植木鉢が割れることによって天日に晒されたマンドラゴラの根は例の怪音声を発生させ、それを聞いたものを発狂させて自殺へと追い込んだのだ。まさしく、このマンドラゴラ鉢は必勝の兵器となったのであった。


 秦陽城落城後、タージャン王国と梁の間で講和条約が結ばれた。これによって両国の国境線の取り決めなどがなされた。梁の西方進出の野望は、この戦いの敗戦によって完全に挫かれたのであった。

 ところが、このすぐ後にタージャン王国側で動乱が起こった。この戦いでの戦功を笠に着たアラン・マフムードが王位の簒奪を企んでクーデターを起こしたのだ。

 この鎮圧で活躍したのが、あのアヴドゥル・アシィムであった。五千の騎兵を預かりこれを指揮した彼はアランの反乱軍を急襲してその後方を突き、幕僚数名を射倒してアランを捕虜とした。アランはすぐさま首都に送られ、見せしめとして市場で斬首刑となった。彼の妻子も官吏によって探し出されて逮捕され、連座制が適用されて同じように市場で打ち首とされたのであった。


***


 湿気のない、乾燥した風が、一人の男の袖を吹いた。

 集団墓地で、四十がらみの男が馬を降りた。その所作は手慣れており、長年馬の背に跨ってきた男であることが分かる。かさついた顔には皺がたたまれ、後頭部で結わえられた長い髪には白髪が交じっている。


 彼――アヴドゥル・アシィムの人生は、戦いと共にあった。北へ赴いては騎馬民族を打ち払い、西へ走っては異教徒の遠征軍を叩きのめし、南に向かっては奴隷軍人の反乱を鎮圧した。

 戦いに明け暮れる内に、妻子もないまま年を重ねてしまった。もっとも縁談を断り続けてきたのは自らの意志である。「兵事に携わる身でありながら、どうして妻子を顧みることができましょう」そう強弁して縁談を蹴り続ける内に、周囲の者はすっかり呆れ果ててしまったのであった。

 

 彼は一つの石造りの墓標の前で立ち止まった。そこにはかつての友、マグリヴの名と、彼の享年が記されている。


 ――いつの間にか、俺はあいつの何倍も生きてしまったのか。


 もし、彼が駆け寄って来なかったら、死んでいたのは間違いなくアヴドゥルの方であった。そうなっていれば、きっとマグリヴは良い医師になり、多くの人々を救っていたであろう……けれども、そうはならなかった。あいつの人生を吸い取って生き延びた自分が、国と民を守るためとはいえ弓矢で人を射殺し続けているのは何たる皮肉であろう……そうした思いが、この武人の胸中にはある。


 その墓標のすぐ傍に、薄紫の花が咲いていた。アブラナの仲間のような花弁を持つそれに、アヴドゥルは心当たりがあった。

 忘れもしない。その花は、マグリヴが命を落とす原因となった、あのマンドラゴラが咲かせるものであったからだ。


 アヴドゥルはマンドラゴラの花から視線を逸らすと、跪拝きはいして静かに聖典の一節を唱えた。そして、手に握った黄色い花びらを、ぱらぱらと墓標の上に落としたのであった。

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秦陽城の戦い マンドラゴラ絶対防衛線 武州人也 @hagachi-hm

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