マンドラゴラを守れ

 この時、秘密兵器を運搬する輜重しちょう部隊は、将軍が陣を置く場所まであと二舎(一舎は約十二キロメートルであり、軍隊が一日に移動する距離である)というところまで来ていた。

 雲一つない青空の下に、涼しい秋風が吹いていた。この輜重部隊はただ前線に武器や食料などを送るだけの部隊ではない。一般の軍需物資だけでなく、戦の趨勢を決定する新兵器を運搬している最重要の部隊なのだ。

 後方でよく肥えた黒い馬に跨る指揮官こそ、あのアヴドゥル・アシィムである。数年の月日を経て背も伸び、顔つきも幾分か大人びている。さらに伸びた黒髪は、あのマグリヴのように後頭部で結わえられている。銀色の甲冑を身にまとい、騎馬用の弓を携えた彼は、鋭い目つきで周囲に注意を払っていた。この輜重部隊の護衛任務は、彼の戦場での初仕事であった。


 あの時、自分の意志ではないとはいえ、アヴドゥルは友を殺めてしまった。その事件は結局うやむやなり、彼が何かしらの罪に問われることはなかったのであるが、友殺しが多感な時分のアヴドゥルの心にどれほど暗い影を落としたかは察するに余りある。

 だが彼はそれ以降も、訓練に励み己を磨き続けた。以前にも増して、彼はより自分を厳しく追い込むようになっていたのである。その様はまるで、何かから必死に気を逸らしているようでもあった。


 実は今彼が運んでいる秘密兵器には、マンドラゴラが使われている。かつて友を失う原因となったマンドラゴラを守る任務に就くことになろうとは、何とも数奇なめぐり合わせといえよう。アヴドゥルも当然、戸惑いを感じはしたが、さりとてこれは自らの職責であり、私情を挟む余地はない。それにこの兵器は、きっと自軍に勝利をもたらしてくれるものなのだ。


 日が中天に上った頃のことである。

 輜重部隊の左手側には、丘陵が広がっている。その丘陵の方から、何か、地面が唸るような音が聞こえた。その音は、部隊の殆どのものが聞いていた。

 この音は、アヴドゥルにとって、よく聞きなじんだものであった。


「……まずい!」


 その音は、馬蹄の音であった。予想通り、稜線の向こう側から、皮の戎衣をまとった騎兵が姿を現した。肥え馬に鞭打ち黄塵を蹴立てる軽騎兵がおよそ二百騎、恐らく梁に服属した騎馬民族による部隊であろう。彼らは軽快な機動力を活かしてタージャン軍の後方に回り込み、糧道を断つべく攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

「歩兵部隊はその場に留まって武器を構えよ! 騎兵は俺と一緒に来い!」


 アヴドゥルは叫んだ。彼の麾下の若い騎兵たちは、すぐに彼の命令に応じて集結した。

 敵の騎馬の数が二百ほどであるのに対して、こちらの騎馬は七十騎。数の上では非常に不利だ。槍や弓、クロスボウを手に輜重車を守る歩兵たちは、騎馬の機動力に全くついていけぬであろう。だから、この七十騎で何とか打ち払わねばならない。


 丘を下った梁の騎兵は、そのまま横並びに真っすぐ突っ走ってくる。アヴドゥル率いる騎兵部隊は、それを正面から迎え撃った。

 やがて、両軍による矢弾の応酬が始まった。双方ともに手練れの騎兵が揃っている。流動的に草地を疾駆しながら弓を構え、矢を射かけ合う。

 アヴドゥルも、得意の騎射を披露した。戦場で敵を射殺すのはこれが初めてであるが、そうとは思えぬほど、彼の馬さばきも弓の腕も卓越している。彼に狙われた者で、その白い戎衣を矢に貫かれない者は一人としてなかった。

 この時、敵の一部がアヴドゥルたちをすり抜け、後方に回り込んだ。彼らの目標は、列をなしている輜重車であった。馬の機動力を以て急激に距離を詰め、矢をつがえて狙いをつけている。

 

「隊長! 敵が輜重車に!」

「構うな! 目の前の敵に集中せよ!」


 アヴドゥルは輜重車を狙う敵部隊を気にする部下を一喝した。奴らは無視せよ、ということである。

 これは冷静な計算による命令であった。自軍の騎馬戦力は敵に比して劣っている。だから、敵が軍を割いたのは寧ろ好都合であった。目の前の敵が減ったことで、数的不利がやや軽減されたからだ。とはいえ、それでも目の前の敵騎兵は自軍の騎兵の二倍近くはいる。全く気が抜けない。

 アヴドゥルは指示を出して敵の弓射が分散するように部隊を動かしながら、自らも弓を引き敵兵を射倒していった。梁の騎兵も、「流石にこれは手強い」と、徐々に気迫の面で押され始めている。


 この時、輜重車を襲った騎兵部隊はどうであったか。彼らは歩兵部隊による全力の抵抗に遭っていた。

 歩兵部隊の対騎兵戦は、実に模範的であった。輜重車を並べ、槍兵が大盾を構えながら槍を突き出し、それらの影を利用しながら弓兵やクロスボウ兵が射撃を加えて接近を許さない。実際、何騎かは弓やクロスボウの射撃によって戎衣を血に染めて射倒された。

 だが、これで諦める騎兵ではない。彼らは左右に広がって矢弾を避けつつ、側面に回り込んで弓射を敢行した。流石に、この攻撃には歩兵部隊も大いに苦しめられた。何しろ騎兵の動きは流動的で掴みどころがない。機動力でかく乱されれば、歩兵側は攻撃も防御もままならないのである。


 ――このままでは、まずい。


 いよいよ歩兵部隊側の気持ちが折れかけた、まさにその時のことである。

 敵の騎兵部隊が、騎馬民族の言葉を話しながら馬首を翻した。彼らの振り向いた先で疾駆していたのは、アヴドゥル率いる騎兵部隊であった。

 アヴドゥルたちの奮戦により、敵騎兵の主力は敗走していったのだ。残るは輜重車を襲った部隊だけである。敵主力の排除に成功したアヴドゥルは、馬首を返して戻ってきたのである。


「者ども続け! 敵を打ち払うのだ!」


 アヴドゥルに率いられた騎兵は、七十騎の内半分程度しか残らなかった。それでも残りの騎兵は敢然と敵に襲い掛かり、歩兵部隊を攻撃していた梁の騎兵をさんざんに打ちのめしたのであった。

 


 

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