第385話 逃げられないよなあ
そんなわけで地下牢での監禁は、思ったより楽しい生活だった。
食事は美味しいし、暖かい衣服も寝具もある。油断していると太ってしまいそうなので、意識して牢の中でも筋肉を使う運動などがんばっている。アルベルト殿下からは「聖女の様子を逐一報告せよ」と命令が下っているそうなのだけれど、全員獣人である看守さんたちは結託して「聖女は憔悴しております」とか適当な報告を上げてくれているらしい。
退屈が最大の敵だけれど、看守さんたちが入れ替わり立ち代わりお話相手になってくれる。お返しと言っては何だけどお話の終わりに、それぞれの看守さんに私の魔力を流してあげたりして。みんな身体のどこかに調子の悪いところがあったみたいで、腰痛が直ったとか、膝の古傷が痛まなくなったとか、喜んでくれた。
こんな好待遇、お返しがちょっと足りない気がしたので、病気やけがで困っている獣人さんの治療なども始めてみた。何しろ看守さんはもうすでに味方なので、病人さんを地下牢に運び込むのも、その方に一晩添い寝して魔力を注ぎ込んであげるのも、結構簡単にできてしまうのだ。
そんな感じで数日を過ごしていたら、その日の看守さんが切迫した調子で声を掛けてきた。急いで来たらしく、息が弾んでいる。
「聖女の嬢ちゃん、済まないが急いで見てもらいたい子がいる」
「いいですよ、病気ですか、怪我ですか?」
「怪我だが、シャレにならない重傷だ」
そう言って運び込まれてきたのはまだ六~七歳の、狐耳を持った女の子。うつ伏せに寝かされた彼女を包んでいた毛布をはぎ取った私は、思わず息をのんだ。小さく白い背中が、深く断ち割られている……これは明らかに、刀創だ。
「飼っている猫が、司祭が乗る馬車の前に出てしまったんだ。それを助けようとして道に出たこの子に、護衛兵がいきなりグレイヴを振り下ろしやがって……人間の子ならそうはならなかっただろうに、西教会のやつらにとって獣人の子なんて、犬猫と同じってことさ!」
看守さんは憤慨している。その怒りは私も同じだけれど、まずはこの子を救わないといけない。内臓までは達していないみたいだけれど、傷が深いからこのままでは失血死してしまう。私はためらわず、彼女の背中の傷に、唇をつけた。
「おい、聖女さん、何を……」「貴族のお嬢さんが、そんな……」
看守さん、そして彼女を抱いてきたお父さんらしい獣人さんの口から、慌てたような声が漏れる。ああそういや、私の「なめなめ」治療は、限られた人にしか見せていないんだった。まあ顔中血まみれでひたすら傷をなめる若い女とかって、決して絵面のいいものじゃないからなあ。引かれちゃうかも知れないけど、今はこれが必要だ。
「おおっ、傷が……」
よしっ、私の「なめなめ」パワーは健在らしい。小一時間もなめ続けたら、傷は何事もないようにふさがった。あとは失血で弱った体力を、私の魔力を流して補ってあげるだけだ。
「と、父さん……ごめんなさい」
「エヴェリン! エヴェリン! 気が付いたか! もう大丈夫だ、聖女様が、お前を救って下さった!」
「せいじょ……さま? このお姉さんは、せいじょさまなの?」
「そうだ、聖女様だ! 人間だけじゃない、獣人も魔獣も救う、本当の聖女様だ!」
なんだか大げさなことになっているけど、まあいいや。私は魔力を思いっきり注ぎ込むべく、女の子を包み込むようにぎゅっとした。
「うん、せいじょさま、あったかい……」
ああ私も、獣人特有の高め体温に癒される。ひんやりした地下牢の中で、この暖かな生命のかたまりを抱いていると……結局いつものように、深い眠りに引きずり込まれていくのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
女の子が斬られた事件は怖かったけれど、それから先はそれほど剣呑なこともなく、日々が過ぎた。西教会の横暴は相変わらずだけれど、獣人さんたちは賢く接触を避けているらしい。
だが、目立ってはいけない私にとってはあまりよろしくないことに、獣人さんたちの間で「獣愛づる聖女」の評判が、やけに上がってしまっているようなのだ。しまいには王都の有力な獣人さんが、地下牢まで訪ねてくるようになった。
「聖女様。我々は王都の貧民街、地下通路に通暁しております。我らにその身をお任せあれば、かならず城外までお連れすることができます、どうか脱獄を」
「獣人ではない私に、なぜそこまで?」
「貴女は同胞を、何人も救って下さっている。獣人は家族や仲間を助けられた恩を、生命にかけても返すものです」
うわぁ、とっても嬉しい。私に出来たことは、持て余した魔力を注いだことくらいなのだけど……そんなことでも恩に感じて、危険を冒そうとしてくれているんだ。でも……
「ありがとうございます。獣人さんたちの誠実な感謝の気持ち、嬉しいです。ですが私は、脱獄するわけには参りません」
そうだ、私がここから逃げたら、看守さんたちには厳罰が下るだろう。そして獣人である彼らには、通常の罪人よりも苛烈な処罰が下されるはず。こんなに良くしてくれた人たちを、そんな目にあわせるわけにはいかない。
「む……残念です」
獣人さんの代表は、私の言わんとすることを理解してくれたようで、眼に感謝の色を浮かべつつ引きさがってくれた。
それからしばらくは、平穏な日々が続いた。貧民街に「聖女の祠」なるものがいくつも造られて、祈ったり何やら御供物を置いていったりする獣人さんが引きもきらないとかいう、ありがたくない話も聞いたけれど、そんなことに責任はとれないわよね。祠に置かれた「聖女様への手紙」は地下牢まで届けられて、読んだ私は頬を緩めている。
だけど、あの妄執チックなヤンデレ王子様が、あのまま私を放って置くはずもなかった。監禁されてから半月ちょっと、いつもの獣人さんではなく、人間の刑吏が、しかつめらしい顔で宣告した。
「アルベルト陛下のお召しです」
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