第381話 何度目かのプロポーズ
「ご無沙汰いたしております、アルベルト殿下」
私は、ロワール王宮のマナー講師にも讃えられたカーテシーを披露する。
「人質の身にこのような厚遇、恐れ入りますわ。ですが、私にはこのように大事にして頂く理由がございません。殿下は、私に何をお求めですの?」
私が「殿下」と口にしたときに彼の眉がぴりっと震えたのに気づいたけれど、どうやったって彼を「陛下」と呼ぶ気になどなれない。この国の王様は、腹黒だけど芯はお優しい、ルドルフ陛下しかいないのだから。
「ふふふ、シャルロッテは相変わらずお堅い令嬢だね、変わっていなくて何よりだ。私が君に求めることはただ一つさ……私の妻となり、バイエルンの王妃になってもらうことだ」
はあっ? いや確かに、一年ばかり前にアルベルト殿下とお見合いをさせられて、甘々の攻撃にたじたじになった覚えはあるけれど……まだ、諦めてくれていなかったんだ。
「その件は、陛下を通じてお断りしたはずですが」
「まあ父はそう言っていたが、君はどうなのだ? 確かに昨年は、君も大事な人を亡くしたばかりだったのだ、新しい伴侶のことなど考えられなかっただろう。だが、もう時も経たことであるし、もう気持ちは変わっているのではないか?」
「いえ、私はアルベルト殿下に寄り添うつもりは、今もございません」
また「殿下」のところで眉がぴりりと震える。こんなちっちゃな反抗をして、自分の立場を悪くしてしまうのは、私の悪い癖だ。幸いにもこのヤンデレ殿下は唇の左端をひん曲げただけで暴発せず、静かにワインのグラスを手に取った。
「まあ、夜は長い。まずは、ゆっくりと食事を楽しむとしようか、シャルロッテ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
晩餐は、贅を尽くしたものだった。メインの鹿肉ローストは、赤ワインを煮詰めたソースとの絶妙なマリアージュもあって、私も思わず満足の息を吐いてしまうほどの出来だった。
「本当に、美味しいお食事ですが……陛下の軍勢に王都を囲まれている状況では、贅沢すぎませんか?」
「ほう、さすがは我が王妃だ。私が道を誤らぬよう、厳しく諫めてくれようというのだな。まあ敵も王都を囲んでいると言えど、その包囲を完璧にするほどの兵力はない。そして我々にも二万の兵力があるのだ、王都を出て南方は、こちらが押さえている」
そう、殿下の言葉は、事実なのだ。完全に包囲が敷けるほどの兵力差があれば、王都への物流をすべて遮断して兵糧攻めにしてやれば、消費するだけでろくな食料生産力のない王都は、すぐに干上がる。だが残念ながら、そこまで圧倒できる兵力はまだ、陛下の元に集まっていないのだ。今も南方から、多少の障害はあれど物資はどんどん運び込まれている。
そういう意味では、叛乱軍もまだ追い込まれていないのだと思う。西教会への信仰で団結している彼らに比べれば、陛下の率いる軍勢は緩い。何か大きなイベント一つで寝返ってしまうようなどっちつかずの貴族が、大勢混じっているのだから。
「うむ、このワインは絶品だな、さすが前王が秘蔵していただけのことはある」
え、それって、今飲んでるこれのことだよね。確かにやけに渋みがこなれて飲みやすい赤ワインだと思ったけど、陛下の秘蔵品だったのか。王都を奪還した後で叱られないかしらと妙な心配をしてしまう私だ。あわててグラスを置いた私に、殿下が眼を向ける。
「シャルロッテ、どうしたのだ? 美味いワインではないか、もっと飲んで良いのだよ」
「陛下の秘蔵とお聞きした後では、無断で飲むのがはばかられます」
実はもう、かなり飲んじゃったけれど。ただ、不自然なくらい急いでグラスを置いたのは、陛下を前王と呼び、勝手に秘蔵の品を奪っている殿下への、抗議のつもりだ。
「シャルロッテ。私の妻になる女性だから寛大に見逃してあげているけど、そろそろ父を『陛下』と呼ぶのはやめなさい。陛下と呼ばれるべき者はただ一人、このアルベルト・フォン・エッシェンバッハ……君の夫になる男だけだ」
ダイニングの温度が、いきなり下がった気がした。殿下の頬がぴりっと震える。切れ長の眼は細められ、視線が鋭さを増す。
「陛下が御存命で、自ら退位宣言もされていないのですから、臣下の私としては陛下とお呼びするしかありません。間違っているでしょうか?」
「ふむ、賢い受け答えだね。これなら、我が治世を共に歩くのに十分だ」
頬の緊張がすっと緩み、いきなり甘々の微笑に戻る。すっごく違和感あるわ……これ、わざとやっているのならあざとい人心掌握テクニックなんだろうけど、素でやっているのなら、精神構造を疑ってしまうわ。
だけどもう、王位がどうこうというところに、話題が及んでしまった。いつまでもあいまいな会話をしている時ではないだろう。思い切って、斬り込むしかない。
「殿……いえ、アルベルト様とお呼びしたほうがよさそうですわね。アルベルト様が王位を得た暁には私と共に、とおっしゃって頂いたのは光栄です。それでは一緒に歩く者として、国王として目指す施政方針を伺いたいのですが?」
「うん? 施政方針? そんなものはないよ、私は軍事にも、民の生活にも興味がないからね」
はあぁっ??
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