第366話 説得工作
闇の中で、ジャキジャキという麦を刈る音が控えめに聞こえる。五十人ほどが一列になってひたすら刈り、残る五十人ほどが集めて、荷車に積む。ほとんど何も見えない闇の中、正確に作業するこの難行は、獣人さんたちでなければ無理だったろう。
だけど、作業に集中する彼らは、彼らと城門との間に、私が率いるマリアツェル獣人部隊が展開していることに気付いていなかった。もちろん見張りは立てていたのだけど、アルマさんアベルさんたち隠密部隊が、無言のうちに拘束している。
そして、態勢が整ったことを確認した私が右手を上げると、獣人部隊の将校さんが立ち上がり、低い声を発した。
「お前たち、ちょっと俺の話を聞いてくれ」
「なっ、お、お前は誰だ?」「敵か?」
ざわつく獣人さんたち。だけどパニックになって騒ぎ出す人がいないのはさすがだわ。
「バイエルンから来たからな、敵と言えば言えるんだが……俺も同じ獣人だ。あんたたちのためになるであろうことを提案したいんだ、聞いてくれないか?」
ざわつきが大きくなる。そりゃ混乱するよね、明らかに敵方の軍勢に囲まれているけれど、それは全て獣人で、信じたい気持ちもあるっていうね。だけどあんまり騒ぎが大きくなっちゃうと、王都の連中に気付かれちゃう、そろそろ手を打たないと。
と……獣人さんの中でひときわ大きな体躯を持つ狼獣人らしい男性が、一同を制した。
「騒ぐな、城内のやつらに気取られれば内通を疑われるだけだ。いいだろう、俺が代表して話を聞く」
「ありがたい。俺はバイエルン東部シュトローブル辺境伯領、マリアツェル駐留軍獣人部隊長のデニスってもんだ」
「……獣人の部隊だと? しかも、獣人が隊長をやっているのか?」
「まあな。うちの領主は獣人と人間は平等だとか夢みてえなことを言うお方でな、ロクな仕事がなくぶらぶらしている獣人に仕事を与えようと、こんな部隊をつくったのさ」
狼獣人さんは、ひどく驚いているようだ。まあそうだろうな、ロワール王都における獣人は、およそ奴隷と似たり寄ったりの扱い、まともな職には就けず、スラムで身を寄せ合って暮らすしかないのだ。この麦刈りだって、おそらく家族の生命かなんかをネタに脅迫されて、突撃させられたのだろうし。
「しかし、そんなお人好しの領主なんて……」
「あんた達も聞いたことはねえか? 『献身の聖女』ってな」
「酒場で下手な詩人がそんなことを唄っていたが……あれは実在する話なのか? 人間の聖女のくせに獣人や魔獣が好きで、コカトリスをいつも肩に止まらせ、魔獣を指揮して大軍を打ち負かし、秘書も侍女もみんな獣人で……あげくの果てに魔獣とつがいになることを誓ったとかいう話だろ? 本物だったら、頭がおかしいぞ」
何だか、不本意なことを言われてる気がするけれど、決して非好意的な感想ではなさそうだ。私は狼獣人さんの視界に出来るだけ自然に入るように、静かに近づいた。
「ん? あんたは?」
「ええ、噂の、頭のおかしい領主ですわ」
狼獣人さんの表情が凍り付いたのが、暗闇の中でもわかった。うん、さんざんけなされた後だからね、少しはあわててもらおう。
「いや、いくらなんでも、大貴族が……それもこんな最前線に気楽に出てくるとか、ねえだろ!」
「そう言われましても、私は『頭がおかしい』領主ですので。まわりの方が止めても、ついつい出てきてしまうのですよ」
「あ、いや、あれは言葉のアヤってやつで……」
本格的に焦って、脂汗などたらたら流し始める狼獣人さん。口は悪いけど、とっても正直で、いい人っぽい。そろそろ、意地悪するのをやめてあげないとね。
「ふふっ、なんとも思っていませんよ。私が普通の領主さんとズレているのは、自覚しておりますので。今夜は、獣人の皆さんにお願いがあってきたのです」
私のせこい計略を説明すると、狼獣人さんは真顔になった。
「確かにそれが成功すれば、犠牲を最小限に王都の叛乱軍を追い出せるかも知れん。俺たちの家族に報復が来ることが心配だが、一気に陛下の軍が王都を制圧してくれれば、なんとかなるだろう。だが、俺たちが協力しても、貴族たちは感謝してくれまいよ。王都が陛下のものに戻った後だって、俺ら獣人は相変わらず、最下層の扱いさ」
「では、協力の見返りに、地位向上を約束するというのは、いかかですか?」
「あんた、いや聖女様がロワールの主なら、それができるだろう。もしそうであれば、俺たちは生命を賭けてその話に乗っかるさ。だが、王都を攻め落とした後ここを支配するのは、ロワール王室なんだろう? あいつらは、ここ数百年何にも変わらず、俺たちを虐げてきた。いまさら獣人の地位を見直すなんて、やるはずがない」
まあ、そう思うわよね。長い間何もしてこなかった支配層への不信は、簡単にはぬぐえない。だから、今回は切り札を用意してきたわけなんだけど。
「では、この人に約束してもらうってのは、どうですか?」
「うん?」
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