第363話 ヤバいハンカチ
テオドール様は、私の刺した帝室紋章のハンカチを見て、なにやら戸惑っている。もしかして、下手過ぎて、あきれておられるってことは……ないと信じたいけど。
そう、形そのものは一応きちんとできたと思うのだけれど、残念ながら図案の正確さを維持しながらサイズを小さくする腕前が、いくら練習しても私には身につかなかった。結果としてハンカチの隅っこに刺すアクセントとしては、結構大きな紋章になってしまったわけで……見た目は立派に仕上がったけれど、普段使いするにはイマイチなものなのだ。
「すみません、やっぱり、微妙でしたか……」
テオドール様らしからぬ分かりにくい反応に、つい彼の眼を下から覗き込んでしまった私は、どうもずいぶん無防備だったらしい。
「聖女っ!」
反応する間もなく、がっと引き寄せられ、呼吸が苦しくなるほどぎゅうぎゅう抱き締められる。びっくりして身体を強張らせてしまう私だけど、この人にぎゅっとされること自体は、結構心地よくて……徐々に緊張を解いてしまう。それを感じ取ったのか、彼の動きも、なんだか優しいものになって……そして私の眼前、すっごく近くに彼の顔がある。いや、あの……まだ私はそこまで、覚悟できてないんですけどっ!
「シャーッ!」
そのシーンは、コカトリスの威嚇音に断ち切られた。いつもの定位置、私の肩にいたルルが、テオドール様にその眼をむいている……一撃で十数人を石化できる、コカトリスの魔眼を。
「だ、だめっ、ルル!」
(うん、こいつはママを守ってくれるし、本気で石にするつもりはないよ。だけど、カミルがいない間にママに迫るのは、だめなの!)
うん、まあ、そうなるよね。つい流されそうになってしまった私だけど、あぶないあぶない。彼もはっと、冷静さを取り戻してくれたみたい。
「すまん聖女、つい性急になってしまった。こんな凄い刺繍を俺のためにと思ったら、愛しさが抑えきれなかったというか……いやもう大丈夫だ。コカトリスのお嬢ちゃんにもすまんと言っておいてくれ」
「私の刺繍は、姉のものなどと比べたらどうしても精緻さが欠けてしまうので、大したものではありませんが……」
「はぁ~っ、自覚がないのは本人ばかりなりか。このハンカチはヤバいぞ、刺繍されているあたりから、聖女の力がびんびん放射されているのが、俺にすらひと目でわかるんだからな」
あ、そういえば。クララに勧められて、一針刺すたびに、聖女の「精神力」を刺繍針に込めたんだった。その方が、集中できるだろうって。だけど結果としてそれは、図案そのものに聖女の力を縫い付ける行為になってしまったようなのだ。これって、またやらかしちゃったってことなのかしら。
「こんな恐ろしいハンカチ、使ったら大変なことになりそうだ……」
「使って下さいっ!」
そっか、聖女の力がこもったハンカチか……何の御利益があるようにも思えないけれど、世の人たちにとって、特別感あるアイテムになることは、私にもわかる。なら、レイモンド姉様に一回お願いしてみようか。姉様の刺繍は職人級の腕前だし、聖女の力に至っては私のヒトケタ上……国宝級のハンカチが出来ちゃうかも。
「また何かおかしなことを思いついたみたいですね……まあ、ロッテお姉さんのこれは、平常運転ですからね」
ずっとそばで私たちのやり取りを聞いていたビアンカが私の表情を見て、ちょっとあきれ顔で言った。う~ん、なんだか不本意だわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
あの大きなネズミ……ポワティエ伯を退治した後のアルフォンス連合軍は、順調に王都に向けて進軍していた。アルマさんたち隠密部隊が探り出していた小さいネズミたちは、半数は脅しつけられてこちらの軍門に下り、残る半数は……まあ、そういうことなのかな。
そして、野戦に関しては連合軍が連戦連勝、圧倒的に強かった。もともとロワールの貴族軍より、ベルフォール辺境伯軍やバイエルン軍の方が、練度が高い。そこにもってきて数の優位が加わったのだ。余程の無茶をしなければ、ほとんど被害を受けることなく支配地を拡大していくことができる。
ただ、叛乱軍側に、西教会が付いているのが不気味だ。教会の直接的な軍事力は大したことがないけれど、彼らは一般国民を巻き込んでしまえるところが厄介なのだ。田舎に行くと住民の生活すべてを教会が支配している地域なんかがあるので、敵軍だけでなく住民たちの動きにも注意を払わねばならなかったりすることもあって、直接戦闘で負けていないにもかかわらず前進が遅くならざるを得ないのだ。
そんな障害がいくつかあることはあるけれど、間違いなく連合軍は、日々支配地域を拡大し、敵軍はその兵力を減じている。バイエルンから遠征してきている部隊は、国に帰れる日の近いことを、あちこちでささやき始めている。
そして私たちの前にようやく、ロワール王都を囲む石積みの壁が現れた。そう、かつて私を追い立てた、あの王都の城壁が。
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