第362話 下手ですみません
「テオドール様は離れた物陰から、ずっとお姉さんを見つめて……そしてあの時、私は固まって何もできなかったのに、テオドール様は落ち着いて最善の手を打って……お姉さんが自由を取り戻したらすぐに部下の方たちを率いて敵と戦って……本当にすごかったです。だから悔しいんです、お姉さんを守るのは一番近くにいる私だって思ってたのに……」
エメラルドの眼から雫があふれ、その頬を濡らしている。そんなシーンを見ちゃったら、私だってうるっと来てしまう。思わずビアンカをがばっと抱き締める。
「うん、一番私の近くにいて、一番優秀な秘書で、その上身の回りのお世話までしてくれて、護衛までしてくれる。そんなに尽くしてくれる妹なんて、世界に何人もいるものじゃないよ。ビアンカは、一等大事な、私の妹だよ」
しゃべっているうちに私の目尻からも、涙があふれる。だって、あまりに健気なんだもの。飛びぬけて優秀で、あまりに振る舞いが大人っぽいからつい忘れちゃうけれど、この娘はまだ十五歳、本当はまだ家族に甘えたい年頃なんだ。なのに、私の役にもっと立ちたいって、こうやって思いつめてる。
「ろ、ロッテお姉さん、大好きです……」
ビアンカが、強く抱き締め返してくる。大事な、大事な私のビアンカ……今日も、私のために必死で戦ってくれた。これはご褒美をあげないといけないよね。唇を重ねて、いつもより深く、お互いを探り合う。私のおかしな魔力が、ものすごい勢いで彼女に向かって流れていって……ああ、とっても幸せだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ビアンカが何だか満足そうな風情で資料整理のお仕事に行ってしまった後、私はさっき彼女から聞かされた話を反芻していた。あんな切迫した状況の中で冷静に弓を放って私の危機を救ってくれたのは、普段は単純直情バカにしか見えない、テオドール様だったのだ。
あの一矢がなかったら、私はあのまま首を極められて失神していたであろうし、そうなったらあの後も、みんな動くことが出来ずにポワティエ伯の目的は達せられてしまっていただろう。
真っ先に飛び込んで伯爵を斬ってくれたのも、テオドール様だ。騎馬での立ち回りもすごく強くて……カミルが「この人は地に足をつけて戦う人じゃなく、騎馬での戦いが本領」って言ってたのは、本当だった。ものすごく速くて、強くて、カッコ良かった。
あれだけ活躍されちゃうと、やっぱりきちんとお礼を言って、褒めて差し上げないといけないわよね。リアクションが過激にならないか、ちょっと心配なのだけれど……以前からちょっと準備していたものもあるし、えいっと行っちゃおうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「おお聖女、昨日は大立ち回りだったな。体調は戻ったのか、疲れてないか?」
「ええ、もうすっかり。体力には、自信ある方ですから」
翌日、ちょっと腰が引けつつも訪ねたテオドール様の幕舎。上衣がなんだかしっとり濡れているところが、なんだか色っぽい。
「ああ、これか。さっきまで馬の世話をしていたのでな」
「皇弟様なのに、自分で馬を洗ったりするのですか?」
「ああ、バイエルンやロワールではあり得ないかもしれないが……騎馬帝国アルテラでは、それほど珍しいことではないぞ? 普段からこうやって世話をしていればこそ、心が通っていざという時に素晴らしい働きをしてくれるのだからな」
さらっとおっしゃるけれど、テオドール様以外の皇族が、自ら馬にブラシをかけるなんてとても思えない。やっぱり彼は特別、馬を愛する人……だからあんなに人馬一体の動きができるんだろう。
「はい、とっても、素敵でした」
「惚れたか?」
それは、もはや挨拶みたいになったからかい。だけどその時、なぜだか私の言語中枢は機能を停止してしまったのだ。言葉を失って、その代わりに頬を目一杯染める私の様子に気付いて、へらへらした微笑を消して近づいてくるテオドール様。いや、この流れは、ちょっとマズいでしょ、ここでシリアスロマンスな展開はなしで!
「あっ、そ、それでですね……お礼と言うわけではないのですが、こんなものでよければ、使って頂けないかなと……」
必死で言葉を絞り出しながら差し出したのは、一枚のハンカチ。
「これは……聖女が刺繍したのか?」
彼が広げたハンカチには、跳ねる馬と剣をモチーフにした、アルテラ帝室の紋章が刺繍されている。恥ずかしながら、私が刺したものだ。本当は行政府でテオドール様がいろんな活躍をしてくれたことに対して、軽い気持ちでお礼がしたいなと思って刺し始めたのだけれど……私はアルテラの紋章をナメていたようだ。最高級難度とされるそのデザインは、ハンカチに収まる大きさにしようと思ったら、ものすごく精緻に刺していかないとおかしくなってしまうことに、取り掛かってから気付いた私なのだ。
クララにさんざん指導を仰いで、十数枚のハンカチと大量の刺繍糸を無駄にしたあげくに、この間ようやっと合格点のものができたのだ。出征のゴタゴタで渡せていなかったのだけど、今回の感謝を伝えるにも、いい機会なんじゃないかと思って。
「はい、刺繍はとても苦手なので、恥ずかしながら……」
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