第306話 断れないお見合い

 うん? 「断れないお見合い」って、いったい誰となんだろう。


「ねえビアンカ、落ち着こう? それって、どなたとなの?」


 驚きによるものなのだろう、エメラルドの眼をいつもより二割増し大きく見開いていたビアンカが、大きく一つ深呼吸をしてから、口を開く。


「あっ、はい、取り乱して申し訳ありません、ロッテお姉さん。相手はお二人です」


「二人ですって?」


 う~ん、その二人とも「断れない相手」なのかしら。何だか嫌な予感がするわ。


「お一人は、第三王子アルベルト殿下。いまお一人は……アルテラ皇弟、テオドール殿下ですっ!」


 今度は、私が驚きで言葉を失う番だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 そのお見合いの件を王都から正式に伝えに来たのは、なんとハインリヒ兄様だった。


 財務省のエース官僚たる兄様をこんな辺境まで使者として送らないといけないあたり、事は思っていたよりはるかに重大事になっちゃっているみたいね。


「兄様、アルテラの皇弟様のほうはともかく、なぜいきなり王子様と縁談なのですか? 国王陛下が、私が喜ばない縁談を無理に進めるなんて、信じられないのですが」


「だよね。ロッテの想像している通り、第三王子殿下との縁談は、国王陛下が積極的に望んだものではないんだ。むしろ成り行きでやむを得ず、防衛的にって言うか……」


 防衛って何だろうって思っちゃったけど、順番を追ってハインリヒ兄様が説明してくれたら、なるほどと得心がいった。


 発端は、アルテラ皇室から、私の伴侶として皇弟テオドール殿下はどうかという、打診というより強い要望があったのだという。


 国王陛下もクリストフ父様もそんな話は論外という意見だったのだけれど、ことはそんなに簡単じゃない。かの国とは長年にわたって争いを繰り返し、ようやっと先日講和を結んだばかりなのだ。ここで縁談をけんもほろろに突っぱねれば、新たな対立……最悪は戦の口実にもなりかねない。


 まあ帝国側からすれば「さらに両国の縁を深く結ぶことで、末永い平和を実現するのだ」という大義名分があるのだ。こっちからお断りするならば、納得性のある理由が必要になるわけね。


 というわけで悩み抜いた国王陛下は「シュトローブル辺境伯と王子との縁組を既に考えている、だから他国との縁組はだめ」って主張を、無理やりヒネり出したという訳なのだそうだ。もちろん口だけというわけにはいかないので、王子様と私の見合いまでは形式上やろうと。


 一方アルテラ側だって、そんな思惑は見透かしていた。


「王子殿下に妻合わせるということであればアルテラの出る幕はございませぬが、まだ辺境伯はそのお話、ご存じではないのでしょう。もしや当家の者が辺境伯様のお気に召すかも知れず、是非一度は顔合わせをお願い致したく」


 使者がかしこまってそう反論してきたら、国王陛下もずばっと切り捨てる訳にもいかなかったわけで……結局のところ私は、王子様と皇弟様という、やたら豪華キャストのお見合いを連発でやらないと許してもらえない仕儀になったわけなのだ。


「でも兄様、アルテラの思惑は何なのでしょう?」


 よく考えれば、いけずうずうしいと言うしかない話だ。


 私と皇弟が婚姻を結べば、シュトローブル辺境伯領の実権は普通ならば婿たる皇弟に移る。物慣れぬ小娘など、ちょっと寝室で可愛がってやれば手なずけることはたやすい……と先方は思っているだろう。


 あの戦いで下手を打って割譲させられたマリアツェルだけでなく、豊かな農業州ハルシュタットや、急速に商業都市として発展を始めているシュトローブルも、武力を全く使わずしてまるっと手に入るのだ。本気でこれを実現しようとしているならば、アルテラは依然としてバイエルンに対する領土的野心をめらめら燃やしているということになる。


「でも……皇帝イグナーツ陛下が、それを狙っているとはどうしても思えないんですけど」


 そうなのだ。もともとあの方が皇位を目指されたのは、民の苦労など考えずひたすら外征に血道をあげる帝国の姿を、変えようとしたから。少なくともその理想を語っていた眼に、嘘はなかったと信じてる。そんな彼が、領土的野心のために、再度戦争になりかねない無理筋の婚姻を、ゴリ押しするだろうか?


 その上、アルテラはあの惨敗からまだ数ケ月しかたっていない、どう考えても軍隊はボロボロだ。今バイエルンと戦争再開したら、さらに国境が東へ動くだけだということは、イグナーツ様が一番理解しておられるはずなのだけれど。


「そうだね。実のところ国王陛下も父上も、アルテラの真意を測りかねているのさ。案外、本当に結びつきを深めるだけの目的だったりして……いや、それはないか」


 私と違って明晰な頭脳と政治的センスを持っているはずのハインリヒ兄様が、やや途方に暮れている。


「だけどね、これだけはロッテに伝えてこいと父上にも母上にも言われてきたんだ。意に染まぬ婚姻などしなくてもいい、国のためとかハイデルベルグ家のためとか考えずに、気に入らなかったらはっきり断っていいんだと。うちの家族はみんな、ロッテが幸せになることを一番に願っているんだからね」


 うん、わかってる。なぜだかハイデルベルグ家のみんなは、得体の知れない流れ者だった私を、最初から家族のように愛しんでくれていた。そんなことを思ったら、眼からちょっと何かがあふれそうになって……ビアンカの差し出すハンカチのお世話になってしまう私なのだった。


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