第305話 釣り書き
なんだかんだ言いつつ、私はすっかり立ち直ってしまったようだ。
もちろん、ヴィクトルのことを忘れることなんかない。何かにつけ彼のことを想い出して涙なんかこぼしちゃうときもあるけど、それで立ち止まったりは、決してしない。
あっちこっちの公式行事に顔を出すのはもちろん、妖魔討伐のお仕事もどんどん増やし、森の中の寒村まですでに守備範囲だ。住民さんとのコミュニケーション充実のために、アルテラ語も勉強している。いまだに「こんにちは、さようなら、これいくら」程度しか話せないのが悲しいのだけど。
マリアツェルの街に出れば「領主様!」「聖女さん!」と声を掛けられることも増えた。肩書や二つ名じゃなく、もう少しフランクに名前を呼んでもらいたい思いもあるけど、それでも十分嬉しいよ。右手をぶんぶん振って、微笑みを振りまいてサービスしてしまう私だ。
そんなこんなで「聖女が元気を取り戻した」話は王都にも伝わったようで……次第にありがたくないお世話を焼かれるようになってしまったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ロッテお姉さん、また侯爵様より『アレ』が来ました」
「ああ『アレ』ね……」
それは大量の、釣書だ。
私は十八、もうすぐ十九歳になる。ロワールと同じく早婚のバイエルンでは、あと二年もすると嫁き遅れ扱いされる年齢だ。まあそう言われたって、全然気にしないのだけど。
あの歌劇のおかげで、私が魔獣とお付き合いしていたこと、だけどその魔獣が失われ今はフリーだということが、恥ずかしいことに国中知れ渡っている。そうなると「辺境伯」で「面倒な親戚なし」さらに「適齢期」「無駄に有名」おまけで「地味だけどまあまあ可愛い」私は、王都の貴族たちの眼には、優良物件に映ってしまうようなのだ。次男か三男をうまく婿として送り込めば、労せずして辺境伯の地位と、ここ二年ほどで急速に発展を遂げている領地が、手に入るのだから。
そんなわけで私の養父たるハイデルベルグ侯爵家には、私との婚姻を求める者がひきもきらないらしい。貴族の結婚なんていうものは本人の意志など関係なく、親が了承すれば成立するものなのだけれど、我が家の場合私が辺境伯だという特殊事情がある。なにしろ、辺境伯と侯爵は同格だからね。
「私の意向ではなんとも。娘の意志に任せたいと存ずる」
なるべく敵を作りたくない腹黒のクリストフ父様は、そう言ってにこやかに縁談を全スルー。だけど貴族たちがそれだけで諦めるはずもなく「それでは辺境伯たるご令嬢にこれを」と、ばんばん釣書を置いていくという良くない流れになるわけなのだ。
まあ、父様も釣書は転送してくるけど「相手にしなくてオッケー」的なお手紙を添えてくれてきているし、まるっと無視して大丈夫よね。ちなみに釣書の裏には、カタリーナ母様と我が親友ティアナ様の辛口人物評が流麗な文字で書きこまれている。そのほとんどが「ダメ男」ってことになるわけなんだけど。
結婚かあ。したくないわけじゃないけど、今は考えられないかな。ヴィクトルのことは置いといても、まずはお仕事だし。まだ辺境伯領が創設されて半年やそこらだ、ここできちんと統治や経済が回るような体制をつくらないと、特に旧アルテラ領が大変なことになるだろう。
私に後継ぎがいないことを早くも気にしている人がいるみたいだけど、そんなの大したことじゃない。私が子供を授からなかったら、ハイデルベルグ家の係累から、養子をいただけばよいだけのことよ。まあそんなことしたらクリストフ父様の権勢が絶対的になるから、貴族たちとしては何とか避けたいはずだよね。
領地のみんなはどう思っているんだろう。同性のよしみで執政官のローザに聞いてみたら、しごく真面目で深刻な答えを返してきた。
「そうですね。高位貴族にとって後継ぎを残して無用の争いを生まぬことは神聖な義務です」
「う、うん……そうかもね」
「ですから私の立場としては、本来であればお早くご結婚されることをお勧めせねばならないのですが」
「なんだか、微妙な言い回しね?」
「ええ。私が逡巡してしまうのは、ロッテ様の夫君になられる御方は、おそらく伝統的な価値を重んずる貴族であろうということです。そういった方は、私のような獣人が高位の官職についていることを良しとされないでしょう。私は執政官の仕事に生き甲斐を見出し全力を注いでいますが……おそらく辞職せざるを得なくなるでしょうね」
そうか、そういう考え方もあるか。バイエルン貴族で娘が家督を継ぐケースはいくつかあったけど、その娘が婿を迎えた後は、そのお婿さんが当主扱いされている現実があるのだ。人事方針は、旦那さんが決めることになるのだろうな。確かに伝統的な貴族から見れば、ローザのように獣人で、女で、しかも若い執政官なんて、愉快なものではないだろうし、ローザの懸念は、よくわかる。
「うん、普通はそうだね。私が貴女を手放すとは思わないけど……ありがとローザ、参考になったわ」
「いえ。勝手なことを申しましたが、ロッテ様がお幸せになるご結婚でしたら、私に否やがあるはずもございません。夢のような処遇をしていただいた、大恩あるご主君ですから」
どこまでも真面目に答えたローザに私が思わず頬を緩めた時、ビアンカが飛び込んできた。いつも物静かな彼女なのに、ドアにものすごい悲鳴をあげさせながら。
「ロッテお姉さん! 断れないお見合いが来ましたっ!」
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